光光太郎の趣味部屋

Twitter感覚で趣味や心情、言いたいことをつらつらと。

映画:椿三十郎 ~エンタメとアンチテーゼ~

 過去の名作を再上映する名企画、午前十時の映画祭に初めて行ってみた。観たのは黒澤明監督、三船敏郎主演の「椿三十郎」4Kデジタルリマスター版。今回初鑑賞だったが、とんでもない、非常にとんでもない傑作だった。96分。

 

椿三十郎 [Blu-ray]

 

 

エンタメ映画の決定版

今作のプロットは「如何にして要人を奪い返すか?」というシンプルなもの。作中舞台、経過時間、登場人物共にコンパクト。これを96分間ノンストップで、以下の4つのエンタメが突っ走る。

 

・流れ者ヒーローという型

・ロジカルな情報戦

・一瞬の殺陣アクション

・適度なギャグ

 

 

流れ者ヒーローという型

流れ者ヒーローはお手軽に楽しめる映画ジャンルだ。

  • さすらいの強者が弱者を助けて去っていく、シンプルなストーリー
  • 分かりやすい対立構造
  • 戦い=ミッション消化
  • 切なさを残す別れ

この4点がどれもこれも無理なく高水準でまとまっている。

 

物語は三船敏郎演じる「ヒーロー」椿三十郎(この時点では名無しの浪人)が「弱者」である9人の若侍達を助けるところから始まる。

余談だが、この若者たちが土屋嘉男、平田昭彦久保明、太刀川寛といった東宝特撮映画オールスターキャストになっているのが面白い。若き日の田中邦衛もいるぞ!

 

今作は基本的に「若侍が危機に→椿三十郎が憎まれ口叩きつつ解決策をうつ→見事にハマる」の繰り返しで話が進むが、この気持ちよさを冒頭数分で示した後に数分感覚で反芻してくれるので、楽しみ方が非常に分かりやすい。顔つきからして情けない若侍達を、頭も刀も口も切れる椿三十郎が助けていく様は痛快だ。

言葉少ない最後の別れも上記の通り切なさを残すのだが、ここにエンタメへのアンチテーゼを盛り込んでいるのがキモでもある。詳しくは後述で。

 

ヒーロー椿三十郎に相対する悪役も魅力的。

カッコいいヒーローを引き立てるのは「姑息な悪漢」だ。自分は頭いいと思っている小悪党、大目付の菊井はその設定に似合わぬどっしりとした芝居を魅せてくれるが、終盤で「ダメだこりゃ」となる。志村喬達が演じる取り巻きの狼狽具合も堪らない。小動もしないヒーローとのいい対比として、観客を気持ちよくさせてくれる。

 

「強いライバルキャラ」も外せない。用心棒の室戸は椿三十郎に匹敵する頭脳と剣術、度胸の持ち主であるが、彼にないギラついた野心を持つ。実際に殺陣を披露する場面は少ないものの、表情と声とで只者ではないことが分かるのだ。この強敵を如何に騙すかがミッションであり、これを一つ一つこなしていくことになる。殺すのではなく騙すのがキモであり、ロジカルな気持ちよさが生まれるのだ。

 

用心棒 [Blu-ray]

流れ者ヒーローの型を作り西部劇にも多大な影響を与えた傑作「用心棒」は「椿三十郎」の前日譚的作品…らしいが繋がりは特にない

 

ストーリーと登場人物はシンプルにして、幾度も行われるミッション消化でカタルシスを産んでいく。このカタルシスには「ロジカルな情報戦」と「一瞬の殺陣アクション」の2つがある。

 

 

ロジカルな情報戦

今作は江戸時代を舞台にした時代劇であるが、高度な情報戦が繰り広げられるスパイ映画でもある。たった10人しか戦力がいないヒーロー側と、大人数の悪役側とで正面対決しても勝ち目がないので、確かな情報をもとに一瞬の電撃作戦を仕掛けることには道理も通っている。

 

また、悪役側は三十郎達の正体が分からないので「敵は大勢では?」といった憶測を立て策を練ってくる。戦力では劣るが情報に勝る三十郎側と、情報不足ながら圧倒的戦力と人質を持つ室戸側。

両者が情報を探り合い策を練るロジカルな面白さ、ハッタリ上等な策を実行する際のバレるかバレないかサスペンス……計算されつくした緊張感に気持ちよさが止まらない。

 

ローマの休日 (字幕版)

バレるかバレないかサスペンスで面白いのは「ローマの休日」だったりする。

 

一瞬の殺陣アクション

情報戦が静のエンタメだとしたら、こちらは動。三船敏郎の、力強いというよりは華麗な刀裁きには酔いしれるしかない。殺陣アクションをする場は少なく、時間も一瞬だが、だからこそ所作の一つ一つに見ほれることが出来る。

 

中盤の30人切りも最後の決戦も魅力的だが、最も美しくカッコいいのは3人の敵相手に不意打ちを仕掛ける場面。予備動作無しの抜刀からの斬撃、落ち着いた収刀までの一瞬だ。アクションとしてのアクションではなく、静かに殺すための動作。彼の人切としての暗い背景を覗かせ、アンチテーゼ展開への布石にもなっている。

 

瞬間連写アクションポーズ02 殺陣・ソードアクション篇

 

適度なギャグ

今作は意外と笑える場面が多い。それも変にお道化るのではなく、間や仕草で笑わせる映画的ギャグだ。ちびるほどの緊張感の後に、真面目だからこそ可笑しい笑いをぶち込んでくる緩急の妙には脱帽するほかない。

 

何より、このギャグ要素にはドラマ的意味があったりするので全く無駄がない。このギャグがあるからこそ、終盤の物悲しい結末は単に悲劇的なものになっていないのだ。

 

 

「ヒーロー=人殺し」ジャンルへのアンチテーゼ

 終盤、御城代を助け出した三十郎は室戸と一対一の決闘を行う。

www.youtube.com

 居合切りによって噴出する大量の血。ここまでは刀で人を切っても血の一滴も出なかったのに、である。事ここにおいて「ヒーローが悪を切るエンタメ」をひっくり返す。リアルタイムで、何の予備知識もなくこれを観た時の衝撃は如何程のものか…。これまでジャンルムービーで享受してきた人切りの気持ちよさには、死が欠けていたことに気付かされたのだ。これまで散々粋がってきた若侍達も、マジモンの死にただただ戦慄するばかり。ジャンルムービーの気持ちよさに溺れる観客と、お題目の正義を振りかざし三十郎に頼りきっていた若侍達との衝撃がクロスする、正に映画的瞬間だ。

 

椿三十郎は、見ず知らずの若者を助けられる優しい男であるのに、容赦なく人を切れる人殺しでもある。死を背負ってしまった強者は、平和な世界では生きられないから、去るしかない。力を持つ者の末路、力を振るってしまった結果を目撃した若侍達は、今後どのようにして生きていくのだろうか。

椿三十郎」は、子供が大人を通して現実に直面するドラマでもあるのだ。大人はただ、大人であるだけ……。

 

 

本当に強い人間とは?

 ヒーロー、椿三十郎は頭も良く腕も立つ、強い男だった。しかしそれは室戸も同じ。強くはあるが、真っ当ではない。いくら人の為とはいえ、人切りは人切りだ。では真っ当に強い人間とは何のだろうか?そのヒントは、劇中で三十郎をして強者だと言わせた人々にある。

 

まずは御城代の妻。とんでもなくマイペースな彼女だが三十郎に対して真っ向から「人切りはいけない」と説き、三十郎をたじろかせたほぼ唯一の人物だ。

次に囚われた要人の御城代。一筋縄ではいかない狸であると劇中何度も言われるが、最も恐るべきはその懐の広さ。彼を捕らえ罪を被せようとした者達の生死を案じ「腹切りは止めさせ、せめて命だけは助けたかった…」と言う。

 

この2人に共通することは、死の重みを知っていること。人が死ぬとはどういうことかを物理的にも精神的にも社会的にも知っているのだろう。だからこそ、人切りを咎める。帯刀する侍だから、その妻だからこそ、だ。

 

一般人こそが強い、というのは同監督作の「七人の侍」でも、西部劇リメイクの「荒野の七人」でも描かれていることだが、一般人側の描写が多く、ヒーローを見届ける若者の視点が一貫されている今作では、よりそのテーマがはっきり打ち出されているだろう。

 

七人の侍 [Blu-ray]

 

荒野の七人 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]

 

 〆

恐らく、DVD等で観たらこれほど興奮しなかっただろう。4Kデジタルリマスターの映像と音、そしてスクリーンの迫力があったからこそ、ここまで楽しく、悲しく、胸をうつ名画だと思えた。7月6日からは同じく4Kデジタルリマスター版の「七人の侍」が始まるし、夏からは小津4Kも仙台にやってくる。

名画を楽しみまくる夏が、今、始まった!

 

特撮:仮面ライダーアギトを全話観た雑感

最近テレビマガジン版の「仮面ライダーアギト超全集」を中古屋で購入した。

 

 

1000円ちょっとだったか。一目ぼれである。白倉Pのインタビュー付き全エピソード解説、純文学のようで熱い解析文等、てれびくん版が子供に向けた分かりやすさを重視しているのに対してこちらは完全に「オタク向け」。

 

これを副読本として一通り観ていなかった「仮面ライダーアギト」をネットフリックスで観ようと思ったが、仮面ライダー大配信時期はとうに過ぎ、平成一期を多く扱うのはHuluのみになってしまった。流石信頼のHulu。一応Amazonでもエピソードレンタルで観ることは出来る。

 

www.happyon.jp

 

というわけで今回は、仮面ライダーアギトを全話観ての雑感をぶちまけていきたいと思う。飯と心で人間を描き、人間で物語を築き上げていく井上敏樹脚本の本領発揮だ!!

 

 

仮面ライダーアギトとは?

記憶を失った青年、津上翔一=アギト。仮面ライダーとなった男。

不器用な警察官、氷川誠=G3。仮面ライダーになろうとする男。

事故により選手生命を絶たれた学生、葦原涼=ギルス。仮面ライダーになってしまった男。

そして人間を襲う謎の存在、アンノウン。

 

彼らを結ぶ「あかつき号」の一件、不可解な「風谷伸幸殺人事件」、そしてオーパーツから出現した「黒い青年」、そして超能力と「アギト」…様々な謎に翻弄されながらも三者三様の仮面ライダー(劇中では一切呼ばれない)達は時に敵対し、時に協力しつつアンノウンと戦っていく。

 

仮面ライダーアギトは、群像劇ミステリーアクションドラマなのだ。

 

今ではすっかりうどんのイメージがついてしまった要潤も、若々しい演技で全51話を演じきっている。

 

仮面ライダーアギト Blu-ray BOX 【初回生産限定版】全3巻セット [マーケットプレイス Blu-rayセット]

 

物語構成

序盤はオーパーツやアンノウン、あかつき号、風谷伸幸殺人事件について断片的な手掛かりを得つつ推理、対策を練っていくミステリー形式が強く押し出されている。「謎」をブレない縦軸としておき、キャラクター達の魅力を散文的に描いていくのがアギト序盤の特徴だ。翔一のズレたやり取り、氷川誠の執拗な不器用ギャグ、不幸を一身に背負った涼の哀愁、そして食事。中盤以降のギャグやぶち上りシーンの布石は序盤から置かれている。

 

【早期購入特典あり】仮面ライダーアギト Blu-ray BOX1(オリジナルB2布ポスター付き)

 

中盤、G3-X編以降からは仮面ライダーやサブキャラクター達のドラマが色濃くなってくる。もちろん「謎」の縦軸もしっかりあるのだが、その役割は話の引っ張りではなくキャラクター達が対峙すべきものになるのだ。あかつき号のメンバーも続々登場して翔一達と絡んでいき、「木野」なるリーダーの存在を匂わせる。氷川誠が、翔一が、真魚が、涼が、過去と自分自身とを巡る「謎」に立ち向かい成長していく中盤は、アギトバーニングフォームの登場と水のエルとの一次決着をもってして幕を閉じる。彼らが自分自身を信じるということが中盤のキモであり、「信じる」はこれ以降仮面ライダーアギトという物語のキモにもなっていく。

 

仮面ライダーアギト Blu-ray BOX 2

 

さて、木野薫=アナザーアギト編である。彼は「あかつき号」生き残りのリーダーであり、凄腕の闇医者であり、3人目のアギトにして仮面ライダーを使う男だ。彼は自分以外のアギト=超能力者を抹殺し、人間を救う唯一の存在になろうとする。彼の登場を発端に「あかつき号事件」「風谷伸幸殺人事件」「黒い青年」等の「謎」の真相が一気に明らかになっていき、「アギト=進化した人類」を問い直す、新たな縦軸を産む。アギトと人間との違い、対立を予感させる声などはアメコミのX-MENを思わせる。

アンノウンの様に超能力者を襲うアナザーアギト、あかつき号で起きた神々の戦いの末路、黒い青年=人間の創造主によって奪われていく「アギトの力」…仮面ライダーアギトの物語基盤を壊して再構築するようだ。アギトとは仮面ライダーの名ではなく概念、種の名前となる。ここへ来て「仮面ライダーとは何なのか?」という物語になってきたように思う。

アナザーアギト編は、木野の穏やかな死によって終わる。呆然とするほどにあっけないラストは、同じく井上敏樹が脚本を担当した「鳥人戦隊ジェットマン」最終話を思い起こさずにはいられない。彼は最後、間違いなく仮面ライダーだった。

 

仮面ライダーアギト Blu-ray BOX 3<完>

 

47話以降は白倉P曰く「蛇足」である。

主役3人が独り立ちするエピローグ。アギトと人間とアンノウンの関係性の変化。遂に人間抹殺を決心した黒い青年との決戦。確かに46話までとは毛色は異なるが、蛇足というにはあまりにも濃い5話分だ。アギトも人間も関係なく、誰かを、自分を信じられるかという物語の結末は、仮面ライダー史上屈指の大団円。

本作における「仮面ライダー」とは、信じるものの為に戦える者のことを言うのかもしれない。

 

 

 仮面ライダーアギトのキモ

何度も書いたように、仮面ライダーアギトという物語のキモは「信じる」だと思う。各ライダー達のパワーアップの切っ掛けも、誰かや自分を信じることだったし、最後の「対話」も信じるか否か?だった。壮大なミステリーや神話、父と子、超能力者と人間といった様々な要素がありつつも、最終的にはどこまでも人間臭い部分に着地させるのは、清濁混ざった人間の心を熱く描く作家、井上敏樹らしいと言えるだろう。

 

もう一つのキモは、人間の物語である。氷川誠=G3‐Xという凡人の存在だ。井上敏樹虚淵玄との対談で「G3が主役みたいなもん」と語っていた。

 

ヒーロー、ヒロインはこうして生まれる アニメ・特撮脚本術

 

アギトとアンノウンの戦いへただ一人「人間」として立ち向かう彼とG3ユニットは、序盤はただひたすらに弱い。アンノウンとまともに戦うこともやっとの状態だ。これを改善するために投入されたのが「アギトに匹敵する完璧マシン」G3-Xなのだが、結局「人間」氷川誠が扱えるように弱体化された。戦うために敢えて弱くするヒーローというのは斬新だ。また「もしG3-Xを完璧マシンとして突き詰めたらどうなるか?」を扱ったのが劇場版仮面ライダーアギトのプロジェクトG4となる。

 

仮面ライダーアギト PROJECT G4

 

アギトという能力者たちの中に人間を放り込むことで、力はただ力に過ぎず扱う人物の心こそがヒーローなのだというアルティメット・エモを産んでいるのだ。また、他のアギトたちが放浪者であるのに対して氷川誠は警察官という職に就いている。戦うことの悩みを超越し「それが務めだから」という一心で戦っているため、実は劇中ライダーの中でも最強の精神力を持つ。決して逃げない普通の人間、氷川誠が1話から最終話までどう戦い成長するのかが、本作の見どころだ。

 

普通の人間といえば、同じ警察官ながらG3ユニットと対立を続ける北條透も「最強の人間」と言える。天才達に振り回され同じ凡人である氷川誠にも敵わず、それでも自分の信じる道をたった一人で突き進む男なのだ。そこにはエリートの過剰意識もあるが、彼も氷川誠と同じく警察官としての責務を果たしているだけであり、ラストまで一緒。何よりも恐るべきは、黒い青年勢力にほぼ接触することなく、神々の戦いの真相に最も近づいたことである。氷川誠がアンノウン達を慄かせる程の力を得たのならば、北條透の推理と執念は黒い青年を戦慄させたことだろう。

 

 

平成第二期を見慣れ、クウガを全話観た後でも仮面ライダーアギトは「新鮮な仮面ライダー」として観ることが出来た。もう17年前の作品だのに、不思議だ。若干判りづらい描写もあるが、是非今を生きる子供たちにも観てもらいたい。

映画:孤狼の血 ~東映暴力祭~

※この記事では食事中に適さない表現が多数含まれますので、ご飯中おやつ中の方はご遠慮ください。あとこの映画観る時はポップコーン買わないほうがいいっす。吐くよ。

 

 

仁義なき戦い」という映画がある。

ヤクザみたいな会社、東映が作り出したヤクザ映画の決定版であり、菅原文太をはじめとする数々の名優が群雄割拠するスター映画である。手持ちカメラによる野外撮影など技術的に評価される面もあるが、何よりも画面から迸るエネルギーが魅力的だ。私は田中邦衛のヤクザが一番好き。

 

さて今回題材にするのは白石和彌監督最新作の東映暴力ヤクザ警察映画である

 

孤狼の血

 

だ。役所広司松坂桃李、オンステージ。

 

www.korou.jp

 

 

ひとまず雑感。

面白い。とにかく面白い。冒頭の薄汚れフィルム風の東映ロゴ、ナレーション、新聞記事アップ、ブレ気味のカメラで逮捕シーンなど「はいはい仁義なき戦いね〜シン・ゴジラね~~ワロスワロス」という態度になってしまったが、完全に打ち砕かれた。 徹底的な時代美術、暑苦しい連続アップを魅力的にする汗と照明、心理戦…………何よりも「正義の継承」。終わる頃には新時代ヤクザ警察ヒーローへと変貌した松坂桃李に惚れる。最高だ。

 

さて、今回は語りたいことは3点。順を追って書いていこう。

 

 

①正義の継承

今作はヤクザと警察の物語であるが、本質は「受け継ぐこと」の物語である。なので「仁義なき戦い」や「アウトレイジ」と比べるとヤクザ・プロイテーション映画の面白みに若干欠けるが、観客と松坂桃李の視点を重ねることで非常に燃え所がわかりやすいウェルメイドな娯楽作品になっていた。

 

メンター的な存在は役所広司演じるベテランマル暴、大上章吾。

彼から「正義」を受け継ぐのは松坂桃李演じる新米刑事にして県警スパイの日岡秀一。

 

f:id:bright-tarou:20180517154359j:plain

 

大上はヤクザを抑えるためなら手段を選ばない。恫喝暴力放火に賄賂となんでもありだ。日岡はそんな彼の素行を調査し逮捕する為にやってきた監察官。彼は立場を隠しつつ大上とコンビを組み、加古村組と尾谷組の抗争を止めるために奔走していくが…というのがあらすじだ。そして、この2人の関係性の変化が「孤狼の血」を貫く大きな筋となっている。

 

この筋を分かりやすく示す=映画的カタルシスに繋げているのが、パチモンのライター、豚のクソといった小道具だ。

 

パチモンのライターは大上そのもの。見てくれは偽物であっても、たばこに火をつける能力には変わりない。例え手段が間違っていたとしても、カタギの人々を守る為に命を懸けて孤独に戦う。犠牲になるのは戦うべき存在だけでいい。体面よりも実、自分よりも他者。歪んだ献身者である彼の象徴が、パチモンのライターだ。

 

豚のクソの前に、豚や養豚場について書こう。劇中で大上が言及するように、豚はヤクザ達の象徴である。ぶくぶく太らされ収穫されるが、養豚場全体でみると数は調整され絶えることはない。大上がヤクザのバランスを保つ呉原の象徴が、養豚場なのだ。いや、警察も豚かもしれない。

 

ヤクザ達は最大の侮辱行為として、相手の口に豚のクソを詰める。人間は豚を食い、豚はクソをし、そのクソを豚が人間に食わした。しっぺ返し。豚のクソはヤクザ暴力であり、養豚場はクソまみれだ。

 

養豚場は、今作において非常に重要な舞台になっている。事件の発端は養豚場で起き、大上と日岡の対立が爆発するのも、日岡が大上から「受け継ぐ」のも、養豚場。法で解決することは出来ない、クソッタレな社会システムの縮図。

 

カタギの為に何十年も一人で戦い続けた大上は、そんな養豚場で豚のクソを食わされて死んだ。呉原の人々、そして大上が宛てた自分自身への言葉を知った日岡は、決して入らなかったクソの中に飛び込んで必死に証拠を探す。そしてパチモンのライターを見つける。なりふり構わない献身と、クソの中で戦う覚悟が、継承されたのである。

 

f:id:bright-tarou:20180517154422j:plain

 

しかし、単純に大上のやり方をマネするのではない。大上を葬り去ったシステムそのものをぶち壊すために全てを利用して立ち回り、諸悪の根源達を潰していく。そして日岡は、大上が残したたばこを吸うためにパチモンのライターへ火をつけ、映画は終わる。

 

町を守っていた「実ある正義」は継承され、発展した。なんて美しく熱い幕切れだろうか。ダークナイト的思想の大上を超える決断を下させた意味は大きい。

 

 

②オールスターキャストによる顔語り

役所広司松坂桃李江口洋介、伊吹五郎、中村獅童石橋蓮司ピエール瀧竹野内豊……今作はそうそうたる面子が登場するオールスター映画だ。若干「アウトレイジ」と被っているが、まぁ気にしないでおこう。とにかく今作では彼らが名演を見せまくるのだが、何よりも顔で語ってくる。ちょい役な人も顔一発で分かる。顔ストーリーテリング

 

例えば役所広司。初登場時から白黒コントラストバキバキな顔面とヒゲをじっくりと見せつけてくる。私は役所広司といえば気のいいおっさんかサイコパス、そしてダイワハウチュ位しかイメージ出来ていなかったが、もうばっちり暴力下ネタ刑事の顔になっていたのだ。

そして松坂桃李侍戦隊シンケンジャー、少女漫画原作映画、ドラマ、セックスと、10年以上に渡って着実に成長し幅広い演技を身に着けてきた彼は、遂にヤクザ刑事となった。イケメンはイケメンなのだが、「重みのあるイケメン」になったのだ。序盤と終盤の変貌、暴力が発露した瞬間の狂気、ライターの火をつけての爽やかな笑顔。

 

この顔面説得力を成り立たせているのは、照明とメイクにあると思う。最近洋邦問わず顔面ドアップが連続する映画が多いが、その中でも今作は抜群だ。深みのある照明、暑苦しい汗と毛穴によって、重厚な演者の芝居に映像的な迫力が加わっていた。

 

f:id:bright-tarou:20180517154450j:plain

 

元々いい素材に重厚な演出が加わるもんだから、顔ストーリーテリングにいよいよ磨きがかかる。最も顕著なのは中村獅童だ。ちょい役にも関わらずキーパーソン足り得る存在感。彼を筆頭に全員が「いい顔」を連発する。楽しい。

 

 

東映警察参上

東映、警察とくれば「特捜戦隊デカレンジャー」だろう。今作ではデカレッドこと赤座伴番、さいねい龍二が出演している。広島出身かつ東映警察ならば彼が出ない道理はない。画面で見つけた途端に「デカレッドだ!!!!!!!!」とテンション爆上がり。こういう東映は好きだぜ。

 

 

さて、3点に絞って良点を書いてきたが、勿論いまいちな箇所は少なくない。

 

まずは上映時間の長さだ。126分は正直長い。序盤のスピード感ある展開から一転、大上失踪以降は顕著にテンポが鈍重になる。その分、重みのある芝居をじっくりと見せてくれるのだが、ヤクザ映画の勢いを期待すると肩透かしを食らうだろう。

 

また、後半になってウェットさが強調されるのも萎えた。暑苦しい暴力と心理戦による乾いた映画から、心情重視作劇への変貌が激的すぎる。特にどんどん聖人君主に、孤高のヒーローへと神格化されていく大上の存在はいただけない。だってあいつヤクザが出入りしているとはいえカタギの旅館に火はなってるんだぜ?取り調べで連れてきた女(MEGUMI)にかき氷食わせた挙句に口奉仕させて「つめとうて気持ちよかったわ」とか言ってるんだぜ?クソ野郎だからな!!!!!

 

最後に、豚のクソやら何やらで汚い映画にしているのに、次のシーンではクソも何もない綺麗な状態になっているのは本当にダメ。単品の画ではマジでクソを映すし「ビックリどっきり栗と…」みたいな下ネタやボディタッチもやるのに……細かい一瞬の繋ぎにも気を使っていれば最高の暴力映画になったろう。

 

 

さぁ、長くなってしまった。結びといこう。

孤独に戦い続けた狼、大上の血を受け継いだ日岡こと松坂桃李の渋カッコよすぎる顔面とアクションは何度でも観たくなる。おっぱいも出るよ!!!!!

 

 

www.youtube.com

 

映画:夜は短し歩けよ乙女 ~怒涛のメタファー~

スマートフォン・ムービー・ウォッチの中でとんでもない傑作、オールタイムベスト級にあってしまった。

 

ネットフリックスという配信サービスではスマートフォンに映画やアニメなどをダウンロードし、いつでもどこでも観ることが出来る。映画館で観られるべく作られた映画をスマートフォンの様な小さい画面で観ることに抵抗が少なからずあったが、利便性と手軽さにぞっこんになり、遠出するときや会社の休み時間等にちょくちょく観るようになった。

 

今回感想を書くのは、GW帰省中、新幹線の中でスマホで途切れ途切れに観た

 

f:id:bright-tarou:20180511220150p:plain

 

である。これは凄い。ぶつ切りで字幕付きで観ても、ぶっ飛ばされてしまった。湯浅政明監督、天才。

 

kurokaminootome.com

 

とりあえず、まずは予告でアニメーションを観て欲しい。

www.youtube.com

 

 

さて、それでは雑感だ。

上の動画でも分かる様に、想像力とセンスに満ち溢れたアニメーションを見ているだけで楽しい。が、大学生の青春詰め詰めな物語がこの上なく面白い。メタファーどころではない直喩の数々に脳味噌は降伏。まいった。Twitterでの嫌われ者、星野源が主人公に声当ててるから心配したが、とにかく悲惨な目に会いまくるので全く無問題だった。最後には大好きになるし、彼でしか発せない言葉を出していた。

 

 

今作は黒髪の乙女にとっての一夜であり、様々な人々にとっての人生でもある。このズレは劇中で言及されるうえにご丁寧にアニメーションでも見せてくれる。そして、この特殊な構造こそが今作テーマのキモの一つであると思う。

今作の感想を観るたびに「一夜の物語」という文言を読んだが、どう観ても一夜の出来事じゃないだろと思っていた。しかし、年齢によって時間の感覚が違うってのを活かしてしっちゃかめっちゃかにしていたのだ。

若者にとっては時間の進みは遅く、年を取る毎に早くなるという感覚論を視覚化。大人達にとっては数日数年の時間が黒髪の乙女にとっては一夜でしかない。彼女にとっての一瞬は多くの人々を変え、人々の人生を乙女は柔軟に瞬時に吸収する。

 

だからどうしたって話だが、これを観た大学生、更に年下の子達は勇気付けられること間違いないだろう。私達の一秒には大人達の一か月、一年の価値があるのだ、と。これを上手く使えば何でもできる、夜の街に飛び出して大人たちの数十年分の人生に触れてみたい、と。

 

そして大人も若者への接し方が変わるんじゃないだろうか。これは、年齢の違うもの同士の理想的な付き合いなのかもしれない。

 

 

そう、付き合いだ。劇中で何度も言われるように、この映画は人と人との「縁」の映画だ。

最初の飲み歩きパートでは人脈が次々と広がっていくこと自体の楽しさ。乙女は色んな大人に出会い、酒を飲み、話していく。仲良くなり、一緒に次の店へ。大学生の時、学校内外の人と出会って一緒に何かをし、その後飲みに行って仲良くなることが無類に楽しかったが、正にその楽しさ、及び理想的な姿が凝縮された20数分間なのだ。

 

黒髪の乙女や天狗樋口、羽貫先輩達に代表されるような「理想的な大学生像」も、今作の大きな魅力だろう。気の利いた会話!含蓄に富んだ言葉!早口!脳内会話!てめぇ理論!!最高だ。

 

因みに星野源…先輩は「黒髪の乙女をじ~~~~っと見つめる眼球」として初登場する。あまりにもキモイ。その後下半身丸出しで町を歩くことになり、乙女に殴られる。男は下半身でしか動かないという言葉があるが、正にそのメタファーというか直喩にされてしまい悲惨すぎて涙も出ない。

 

 

古本市パートでは人と物と歴史の繋がりの楽しさ。あまりにもキモく、恐ろしい勉強家で、化け物じみたイメージセンスの持ち主が作っていることがよく分かるパートでもある。ここでの白眉は何と言っても古本市の神が講釈を垂れる場面だ。アルティメット・オタク・トークも楽しいのだが、作家達が時間と場所を超えて繋がりあっていること、つまり人と人との縁についてがっつりと話してくれる。

 

因みに星野源は股間にアイスクリームコーンを付けて登場する。興奮しているということだろうか。カッコいい見せ場がある分前よりマシだ。

 

 

学園祭ではズバリ恋愛の縁。これをミュージカル仕立てで見せる。

同監督の「夜明け告げるルーのうた」や「DEVILMAN crybaby」と比較して、今回の登場人物たちはファンタジックかつスーパーエネルギッシュだ。誰もが言葉を紡ぎまくり、自分を表現しまくる。イメージは世界を動かす。どう観てもフィクションなのに「理想のリアル」を感じてしまう。だからこそ、歌を歌ってるっていうよりも音楽に合わせて自分の気持ちを話してる風だったのが心にきた。彼らは胸の内で幾万回も思考反芻したからこそ、すぐに話せたのだろう。

 

まぁアニメの登場人物だからなんでも出来るのは当たり前なんだが、私もああいう風に、即座に気持ちを声に出せるよう常日頃から考えを巡らせたいなと思ったね。

 

星…先輩はこのパートで直接乙女に関わっていく。もうここまで来たら星野源ではなく、年下の乙女に惚れ、ストーカーまがいのことをしてでも彼女の目に止まろうとするエネルギッシュかつ後ろ向きな男だ。

 

 

そして最後にはこれまでの繋がりの総決算にして乙女と先輩二人というミニマムな縁に集約されていく風邪パートだ。酷い風邪を引いている人の近くには無茶苦茶強い風が吹いている。もはや直喩に脳が慣れてきた。

 

ここでは乙女が先輩について、今まで出会った人々から少しずつ話を聞き、知っていく。無邪気で常に興味のある所へ歩き続ける、風来坊の様な自分の前に現れ続けていた、あの先輩。この過程は観客とも重なる。今までは下半身丸出し(直喩)キモ大学生にしか見えなかった先輩の、そうであるが故の強さや純粋さを、同じく風邪になった登場人物達が語っていく。実写版「俺物語!」も、この視点の反転が素晴らしかった。今までの描写が全て乙女の気付きと先輩評価へと転換していき、二人の出会いと対話に最大のカタルシスが生まれるようになる。

 

 心を閉ざす先輩に、乙女は果敢に向かっていく。出会った人々との繋がりを武器に、次々と心の障壁を突破する。摩訶不思議というよりも狂気に満ちた世界で繰り広げられるチェイスは、先輩と乙女の空中ダイブで締めくくられる。

 

先輩の言う「僕にとってはいい景色だ!」というセリフ。彼は今までもずっとこの景色を見続けてきた。「僕はこれしか飛び方を知らない!」と彼は言う。待ち続けた彼の純愛は、彼の行動力によって結実したのである。

 

 

結局あの大冒険は一夜の夢だったのかもしれないが、確実に先輩と乙女の関係は変わった。先輩は一歩踏み出し、乙女は赤くなれた。白から赤になった。朝になった世界は夜と違い人がいない。ほぼほぼ、先輩と乙女しかいない。その世界の中で二人は過ごしていく…という場面で映画は終わる。

 

 

飲み歩きでは人脈の広がり。

古本では時間と場所を超えた人の繋がり。

学園祭では恋愛、運命の縁。

そして最後には先輩と黒髪の乙女の縁。

 

ミクロからマクロへ、そしてミクロへと集約していく美しい構成だ。トリップ映像すれすれのアニメーション表現も、最後には比較的リアルになる。一本の映画を観たな!という満足感が凄まじい。

 

 

さて、そろそろ結びに行きたい。

時間感覚=価値観の異なる人に出会うことはとても楽しい。更にその出会いが様々な事象、次なる人の縁へと繋がっていくことは無類に楽しい。人と出会い話すことで経験がインプットされていき、エネルギッシュなアウトプットへと昇華される。これは人生賛歌だ。

 

生きることは、酒を飲むことは、恋愛することは、こんなにも楽しいのだ!!!!!!!!!!!!!!!

 

今すぐレンタルかネットフリックスで観よう!!

映画:グレイテスト・ショーマン ~想像力さえあれば~

「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」という映画がある。

とても分かりやすく、誰もが楽しめる「ボンクラ応援映画」であるのだが、私が何より心揺さぶられたのは、夜、スヌーピーレッドバロンになりきって遊びまくるシーンだ。日常のあらゆるものを使った見立て遊びをするスヌーピーはとても楽しそうで、誰よりも輝いて見えた。あの瞬間、スヌーピーは世界で一番強かった。

 

 

さて今回は、公開後既に2か月位経過したヒュー・ジャックマン主演作品

 

グレイテスト・ショーマン

 

の感想を書いていきたいと思う。

 

www.foxmovies-jp.com

 

英語版サイト

https://www.foxmovies.com/movies/the-greatest-showman

 

 

今作は私の身の回りにいる、あまり映画を観に行かない人達もほぼ観に行っている。感想を言い合うと皆とても楽しかったようで、お気に入りのシーンを紹介しあったりモノマネしていたりする。

 

私もその中に混ざって話すのだが、「ミリオン・ドリーム」が流れる場面で号泣してしまったという感想が中々理解されない。これまで数人と話してきたが誰もが顔に「?」を浮かべていた。説明の仕方が下手くそだった可能性が高いので、ブログを書くことで上手くまとめてみたいと思う。無理か。

 

 

 

序盤中の序盤で流れる「ミリオン・ドリーム」で号泣してしまうのは何故か?それは想像力の力強さを示し切っているからだ。イマジネーションさえあれば人は何十年でも希望を抱けるし、自分=世界を変えることが出来ると。

 

まず曲が流れる前、幼いバーナムとチャリティが出会う所からもう泣いた。見立て芸によって、辛い現状にいる人を笑顔に変えるシーンだ。たった数十秒の間で嘘には誰かを笑顔にする力があると示している。

この後に「ミリオン・ドリーム」が流れ出し、バーナムとチャリティは朽ちた洋館で見立て遊びをしまくる。穴の開いた銀容器でろうそくを包めば、まるで夜空に星が浮かんでいるよう。もう、大号泣。身近なものでも工夫一発視点変えで夢の世界へと早変わり。この後ふたりは長い間離れ離れになるのだが、思い出から満ち溢れる夢の力はふたりの心を決して離しはしなかった。

仕掛ける側も受け取る側も、想像力一つで世界は変わる。フィクションの根源的な素晴らしさをスムーズにドラマも絡めて叩きつける手腕にただただ脱帽&落涙。嘘のすばらしさを示すこの映画自体がミュージカルという超フィクショナルな方法で語られているのがまたいいのだ。

 

 

f:id:bright-tarou:20180504235717j:plain

想像力といえば、彼らである。現実の絶望へ立ち向かうには、イマジネーションさえあればいいのだ。

 

 

見立ての尊さでいうと「ユニークな人々」に対してバーナムが様々な設定を思いつき局寄せ宣伝とショーに利用するくだりがある。自分ではない誰かという属性が付与されることによって彼らは自信を持ち、体技を磨き、自分にしかできないパフォーマンスをし、プライドを持つまでに至った。自分で自分の存在を消していた人々が、世界に対して堂々と自分を表現出来るようになったのである。想像力さえあれば、人は最強になれるのだ。彼らに拍手を送らずにはいられない。

 

さて、結びにいこう。

フィクションの尊さ力強さを超絶フィクションであるミュージカル映画で示す意義に涙腺崩壊。ミュージカルシーン自体に意味があるので物語はノンストップ。イマジネーションと誇張と体技と個性があれば誰でもヒーローになれる!!

存在を知らしめろ!!!!!!!!

 

www.youtube.com

 

サントラ

https://www.amazon.co.jp/dp/B077MGXS13/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_.qh7Ab3YD4BHS

「アベンジャーズ/インフィニティウォー」ラジオで感想言い合ったぜ。

4月27日、遂に「アベンジャーズ/インフィニティウォー」が公開。

 

そして私も朝イチで観てきました。

 

が!!!!!!!!!!!!!!!

 

シン・ゴジラ」を超える前世界規模のネタバレ統制下で製作が進められたこの作品、気持ちの感想を言うだけでネタバレものなわけです。

 

そういったことを重々承知の上で、

承知したか?

大丈夫か?

自己責任どころじゃないぞ?

世界最高峰のクリエイター達が心血注いで統制してきたことを無駄にするわけじゃないな?

 

よし。

 

それでは・・・・・・・・・・。

 

聴いてください・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

youtu.be

 

「感想言い合おうぜ!!!!」とお誘い頂いたヒナタカ (@HinatakaJeF) | Twitterさん、マジでありがとうございました。声に出して吐き出さないと死んでいたかもしれません。絶対吹き替えで二回目観るぜ!!!!!!!!

 

 

アニメ:ふたりはプリキュアで描かれた「戦争」と「希望」

2004年から1年間、日曜日の朝に放送されたふたりはプリキュア」。

その28話のあらすじはこうだ……

 

ジャアクキングとの戦いを終えたなぎさとほのかの前に、新しい敵が現れた。目的も正体も分からない相手に、そして終わらず続いていく戦いに、2人は不安を隠せない。そんな時ほのかの祖母が「どうしようもないと思った」体験について語りだす。かけっこで転んだ時、試験の成績が悪かった時、そして、この町が無くなった時…。それは戦後すぐのことだった。

 

28話が放送された日曜日は8月15日、終戦記念日だ。

 

ふたりはプリキュア」はOPやEDで歌われている通り、日常を大切にした作品である。これは作画、作劇共に徹底されており、なぎさやほのか達が現実の町で普通の人の様に考え生きていると思えるようになっている。

 

そんなリアルなアニメ世界に「戦争」がぶっこまれた。ほのかの祖母、さなえが語るのは紛れもなく第二次世界大戦時、及び戦後すぐの体験談である。

 

あらすじの続きへと移ろう。

 

さなえが語るのは終戦後まもない頃の話。昔父と丘を登り見下ろした町の美しさ…「例えどんなに苦しい坂道でも、その向こうには綺麗な景色が開けてるもんだ」父の言葉を思い出したさなえは、ケヤキの木がある丘へ向かう。その途中、物言わぬ子供たちが続々と後をついていった。皆で「六根清浄」と唱えながら丘を登り、遂に頂上へ。

 

しかし眼下に広がるのは美しい景色ではなく、瓦礫と化した町の姿。「嘘つき…」と呟き、こらえきれず涙を流すさなえ。じっと見つめる子供たち。その時聞こえた「希望を忘れちゃダメミポ」という言葉に勇気づけられ「そうだよね、そうだった…」と笑い、涙をぬぐって前を向く。その姿を見た子供たちにも笑顔が。

 

「今がどんなに辛くても、たった一つ。希望だけは忘れちゃいけない。希望さえ失わなければ、明日はきっといい日になる。きっと、絶望と希望は背中合わせなんですよ。」と〆る。何故今まで教えてくれなったのかと問うほのかに対して「これまでそんな話にならなかったじゃないですか。ほのかも聞いてこなかったし。」と応え、さなえはその場を去る。

 

まず、空襲を受けた後であろう町の描写に驚く。真っ白な瓦礫が積みあがっているだけの町がリアルにも抽象的にも見える。とにかく、何もないことだけはわかる。

さなえは、期待も何もなく、何となく丘を登ったと言った。しかし、こんな状況下で何かをしようとするさなえの姿に子供たちは希望を見出し、続々とついてきたのだろう。

 

だが、さなえの希望は皮肉にも、希望の象徴であった丘で砕かれてしまう。ここでさなえは、本当に何もなくなってしまった。気合の泣き作画でもう涙腺決壊だが、東映はさらに涙をぶんどっていく。さなえは希望の姫君メップルから励まされ、父の言葉そのものが明日を生きるための道しるべ、希望であったことに気付く。涙をぬぐい前を向き、(心が)立ち上がる。この時さなえは、子供たちにとっての希望にもなったんだろう。

 

思い出話を聞いた後、なぎさとほのかはまた新しい敵と遭遇するが「限定チョコタルトを食べるんだ!普通の夏休みを過ごすんだ!だから、絶対に負けない!」となぎさは奮起し、ほのかは飽きれつつもリラックス。(ここで流れるOPアレンジBGMが激アツ!!!!!!)

 

戦いは終わったが、新たな敵の覚醒を受けて慌てふためく妖精たち。しかし2人はさなえから貰った言葉を言い合い、明るく前を向く。青々とした葉を枝中から生やしたケヤキの木が立つ丘からは、なぎさたちが暮らす町を見渡すことが出来た。

 

終戦記念日だからといって反戦を声高に訴えるわけではなく、今を生きる子供たちへの激励回となっていたのだ。直接的な描写や説明を避け、おばあちゃんの思い出語りとして淡々と描いたから説教臭さもまるで無い。親子で話し合うこと、数年後に思い起こすことでどんどん深くなる。

丘に立つケヤキの木、丘から見えるなぎさ達の暮らす町が、どうしようもない状況から立ち直ることが出来たという何よりの証。先の見えない不安を主軸にした回として、最高の〆方だろう。

 

 

重ねて言うが「ふたりはプリキュア」のテーマは日常である。守りたい日常もあれば、不安に押しつぶされそうな日々を過ごすこともまた日常だ。そんな中で、自分なりの希望を見つけて前を向いていれば自分自身でいい日を作ることが出来る。大学2年生の時に観た時は全く分からなかったが「この世界の片隅に」を観て、社会の荒波に飲まれた今なら少し分かれた気がした。

 

そんなわけで、Amazonプライムで全話観れるふたりはプリキュア」をよろしくな!!!!!!!

https://www.amazon.co.jp/dp/B00ZZ1N8E4