映画:E.T. ~可愛くてずるいよ!~
れいわ~~~!光光太郎です。
5月3日から午前十時の映画祭、上映作品が切り替わるようで。
スピルバーグ祭りラストの2週。
というわけで今回は、先日映画館にて観てきた
の感想を綴っていきたいと思います。昔からDVDやVHSで観てて、ちょっと世評が高すぎやしないか?と疑ってましたが、前言撤回。こんな素晴らしく「ズルい」映画はないっす。
■感想後ツイート
E.T.観た。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月19日
泣いたよ。泣いた。完敗。E.T可愛すぎ。
E.T.、ヨチヨチ歩きの宇宙人が可愛すぎる。あんなのズルいよ。ズルすぎ。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月19日
E.T.、目撃する映画、驚く映画として無茶苦茶良かった…!未知との遭遇より全然好き。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月19日
E.T.、この映画自体が子供達に対するE.T.的存在なんだね。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月19日
E.T.って5分に1回E.T.の可愛いシーン、笑っちゃうシーンがあるんじゃねぇかって位、ほんとE.T.が魅力的だった。あんなシワクチャで、最初は逆光で殆ど詳細見えないのに、それでも可愛いんだもん。ズルいよ。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月19日
■ロジカルに組み上げられた可愛さ
こんなのが可愛いわけないだろ!と思ってましたよ。映画館で観るまではね。
「E.T.」とにかく冒頭から最後までE.T.が可愛すぎる。いや、見た目はキモイんだが、可愛い所作とコントによって犬猫も霞む可愛さになるのだ。いや、今作では犬もいいけどね。
大林宣彦監督は過去に「E.T.は、スピルバーグがアマチュアではなくプロになってしまった作品である」と語っていたが、この可愛さ演出をして言っているのではないだろうか。同じく映画祭で観た「未知との遭遇」はコドモ大人へのメッセージや映画手法をとにかくぶち込んでやる!!という意気込みが前に出まくっていましたが、今作はとにもかくにも観客目線が第一になっている気がします。
「未知との遭遇」の感想。UFOの話しかしてません。
まずは所作について。冒頭最初、彼らはヨチヨチ歩きをする。というかずっとヨチヨチ歩きだ。体を左右に揺らして、短い脚を動かして歩く。これはペンギンや幼児の歩き方に似ています。可愛いわけですよ…。
シワシワで年老いたようにも見える異星人が、庇護欲を掻き立てる動くをするという幾重にも絡んだギャップも可愛さの一因でしょう。
続いて演出。スピルバーグ監督は映画の鬼なので、単に「可愛いやつ」を出すわけがない。映し方で、間で、状況で、台詞の掛け合いで…あくまでも映画として可愛さを作りだしています。基本的なカルチャーギャップコメディだけでは終わらない。
上記全てを兼ね備えた白眉シーンはE.T.とお母さん、妹とのリビングコント。スラップスティックコメディとして抜群に面白い。
映像で分かるのは、スクリーンにばっちり映っているのにE.T.が絶妙に見えていないお母さんだ。バレるかバレないかハラハラと一体の笑い。お母さんが開けた冷蔵庫のドアにどつかれて倒れるE.T.も可笑しく可愛いし、頓珍漢なことを言う妹の台詞にもやられる。
さらりと書いたがここには、状況を分かっている観客と全く気付いていないお母さんとの関係、「分かっていつつも分からない」妹というツイスト、我を貫くE.T.という隠し味によって、関係性のドタバタ感が複雑になっていく。観客が三者全員にツッコめるのだ。これは映像ではなく物語作り、ここのギャグに至るまでの前振りが上手いからこそだろう。
つまりリビングコントは、映像と物語両面から緻密に組み上げられたスラップスティックコメディシーンなのだ。映画で笑わせるってこういうことだろ?一切意に介さないE.T.可愛いだろ?と直球ストレートを投げてくるスピルバーグに三振を捧げるしかない。
このほかにも、笑いと可愛さが奇襲してくるシーンが5分に1回以上挟まれるので、全く飽きずに観ることが出来る。特にハロウィン辺りからは30秒に1回笑う。ルーカスへの気の利いたギャグもあるしね。
■「分かりやすい」ジュブナイル
今作は少年がとある事件や出会いをきっかけにして自己と向き合い成長する、ジュブナイルストーリーです。ここを懇切丁寧に、メインターゲットである子供たちがすんなりと受け止められるような「分かりやすい」筋立てにしています。私は本当に「分かりやすい」話が好きでね…。
主人公エリオット君は両親の離婚により「父親」がいません。精神の依存先がいない、と言い換えてもいいでしょう。これは彼の兄も同様です。これにどう向き合うか?がキモなわけです。
E.T.を匿うことによって彼らは疑似的な父親、保護者を演じていきます。自分がE.T.を守るんだ!という意気込みを実行していくことで自立心が芽生えていきますが、実はそれこそE.T.に依存しているのだと終盤で突きつけられます。ここで疑似親子関係が逆転し、E.T.が父親のような「かけがえのない大きな存在」だと強調されるんですね。
そしてラスト。迎えに来た宇宙船(「未知との遭遇」とは全く方向性が違うファンタジックな、抽象的な、寓話的なデザイン)に乗り込む前、E.T.はエリオットを宇宙へと誘いますが、エリオットは地球に残ることを、E.T.と別れることを選択します。依存ではなく自立を、いない存在ではなくそばにいる家族を選択したエリオットに対してE.T.は「イツモ…ココ二…イルヨ」と言い、去っていく…。映画は見送るエリオットの顔で終わりますが、そこには幼い子供ではなく、強い意志を持った「男」の表情がありました。
依存から自立へと至った見事な筋立て、そしてその思い出には尊い価値があり常に共にあるのだと示し切った、これ以上ないほどサービスに溢れたハッピーエンド。私としては「アリガトウ…」というE.T.に対して兄貴が「僕の方こそだよ…」と返すのも刺さりますね…。彼にとっても、E.T.との思い出はかけがえのないものになったでしょう。
そしてこの「E.T.」という映画自体が、観客にとってのE.T.的存在になっていると。あまりにも見事すぎる完成度に、諸手を挙げるしかない。
■〆
可愛さや笑いや感動を説明するという愚行をここら辺で終わりにしたい(笑)。
とにもかくにも「映画の面白さ」が詰まりきった名作だ。そして「憧れ」を描く上で最重要な「目撃して感激する人々の表情」を入れているところも本当に素晴らしい。ヒーロー映画やファンタジー映画、ホラー映画はここが重要なのよ!泣きポイント!!!
ってなわけで、午前十時の映画祭で、是非「E.T.」を観てくれ!!!!ネットフリックスでも観れるよ。