映画:よこがお ~ごめんよ池松~
7月がキングクリムゾンされた当ブログへようこそ。
光光太郎です。
とあるαブロガーのツイートにR.I.Pされてしまい、精神を立て直すためにサクッと記事をあげてみようと思いましてて。今キーボードを叩いていますよ。
というわけで今回は深田晃司監督最新作、なんと日仏合作な
よこがお
の感想を書いていきたいと思います。天気の子とかスパイダーマンもいつか、書く、書きたい…(笑)。
■これぞ映画だ!過去作観たいぜ!
深田晃司監督作と言えば「淵に立つ」が有名ですが、私は1作も観たことが無く…。しかし今作を観て「過去作を追いたい!」気持ちと「もう2度と関わりたくない」気持ちの両方を抱いてしまいました…。
何故追いたくなったか。
今作は総合芸術としての映画だったからなんですよ。撮影、画面レイアウト設計、編集、物語構成、髪型&衣装、照明、カラーコントロール、音楽、演技、キャスティング…全てが計算し尽くされ「とある気持ち」を抱かせるように集約されていくんです。
映画で出来る表現、ギミックの数々を使いこなして(というよりもギミック優先で)鑑賞者の気持ちをコントロールするという手法…これはヒッチコック作品ですよ。照明で顔が真っ暗とか、もう正しくでしょう。
そしてヒッチコック作品と言えば、感情を操る暴力的な映画でもあるわけです。これこそが、2度と観たくないと思わせる要素。
■これぞ映画だ!2度と観たくねぇ!!
前述した、映画表現の全てを使って抱かされる「とある気持ち」とは「嫌な気持ち」なんです。しかもまた脚本が見事でご都合主義的な展開がほぼ無く、誰もが最善を尽くそうとした結果であり、自分の心に従った結果であると。
だからこそ、最悪な状況を突きつけられた時に展開的に逃げ場が無く、観客としても映画館で観てるから付き合わざるを得ないわけで…非常にしんどい=最高な映画体験でした。
最悪状況はどれもこれも身近なもの。「人のためにのしっぺ返し」「マスゴミ」「悪魔の証明」「無駄な努力」と、誰もが1度は経験があるでしょう。いや、経験がなくとも強制的に感情移入させられているので、映画表現のボディブローによって嫌な気持ちにさせられますよ。
深田晃司監督作、追いたいけど、追いたくない!!!
■ごめんよ池松壮亮
世の中にはキャスティングだけでストーリーを語る映画というのがあります。そう、池松壮亮ですよ。彼が冒頭で髭面影チャラ男として出てきた段階で「あぁまたこういう池松か…」と。また誰かれ構わずセックスするような奴かと!!!「鉄人28号」に出てたのによ!!
ショタの語源は「鉄人28号 太陽の使者」だぞ!
私の中で池松壮亮のイメージが確立した1作
ポッと出でもしっかり̪シモ役の池松壮亮
かと思いきや、彼は全く悪くなかった!!むしろ被害者だったのだ!!!
確かにチャラい。チャラいが、彼も自身の痛みを誰かに癒してほしかっただけなのだ…。なのに、なのに私は初登場から彼を嫌ってしまった…。
ごめん、ごめんよ、池松壮亮…。(でも絶対に意識的にやってるよね)
■〆
さてそろそろ〆だ。
このクソ暑い中、逃げ場のないひんやり展開地獄に向かってみては?エンドクレジットまで怖いぜ!