光光太郎の趣味部屋

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映画:ジュマンジ ウェルカムトゥジャングル ~アバター通してブレックファスト~

「ブレックファスト・クラブ」という映画がある。

土曜日に補修を命じられた高校生5人組が、その日一日を共に過ごして語り合い「自分とは何か?」についての作文を書くというストーリーだ。5人はキング、クイーン、オタク、ゴス、不良と、いわゆるスクールカーストにパチリとはまっている。これは、そんな彼らの思春期を切り取った映画であると思う。彼らの語りが悲痛で堪らないが、若いからこその希望もみえる。とある学校の土曜日、図書館での朝から夕方までしかない物語だが、若者にとっては人生を変えうる時間になるんだなと。

 

「ブレックファスト・クラブ」が確立した「個性の異なる若者同士の交流」というフォーマットはその後数えきれないほど、かつ世界的に、映画やドラマ、アニメに影響を与えてきた。「仮面ライダーフォーゼ」「ピッチ・パーフェクト」「パワーレンジャー」……そして本年2018年にもブレックファスト的と言われる映画が公開された。それが今回の題材である

 

 

ジュマンジ ウェルカムトゥジャングル

 

 

だ。元々は1982年に発行された絵本であり、1995年には映画化されている。今作はその続編らしいが絵本も1作目も観ていないので悪しからず。あと、今回は珍しく日本版サイトの方が凝ってて面白い。

 

 

www.jumanji.jp

www.jumanjimovie.com

 

 

 

雑感としては、ゲームをプレイする=自分ではない何かになれる経験と捉えた成長物語なんだが、登場人物ほぼ全員が突然悟り出して成長するので、心と言葉の殴り合いで少しづつ歩み寄る「ブレックファスト・クラブ」とは似ても似つかない。ジュマンジにきて10分位で仲良くなるし、そもそもいい子だった子達が本来のいい子性を発揮し出しただけにも見えてしまう。主人公やその親友は割と最後までぐずるのだが、あっさりと片付く。薄い。あまりにも薄すぎる。青春の痛みや自分と世界との矛盾について上っ面しか知らない人が考えた話のように思う。

 

目玉のアクションも全てがどっかで見たようなもの。勢いもド迫力ではなく迫力といった感じでいまいち弾けてくれない。逆に弾けるのは人体であり、そのハジケっぷりはファミリームービーとは思えないほどに過剰だったのでそこは最高だった。

 

そう、この映画はファミリームービーなのだ。にしては酷すぎる上に全く本筋と絡まない下ネタが多い。ドウェイン・ジョンソンのキスで爆笑を起こせる映画も今作位なものだろう。心はドン引きだったが喉が痛くなるほど笑った。

 

物語微妙、アクション微妙、ギャグ酷いとくれば物語全体の推進力作りも弱い。映画における推進力、つまり観客が抱く興味を持続させる力には次の3点があると思う。正直、このどれもが微妙だ。

①持続するサスペンス

②テンポよく新展開をつなぐ

③常にテーマと関連性を持たせる

 

まず①だが、これはタイムリミットだったりバレるかバレないかだったり、観客に提示した条件や限界を徹底的に煽ることでハラハラドキドキの状態を作るということだ。以前紹介した「トレイン・ミッション」や不朽の名作「ローマの休日」も、この持続するサスペンスを用いて常に観客の興味関心を集中させていた。今作ジュマンジでも「ライフが無くなったら死ぬかも」とか「宝玉を守り切る」とかのサスペンス要素はあるが、そこが全く持って生きていない。あったとしてもアクションシーンだけであり、通常シーンではサスペンスなんて言葉は消え失せる。よって①は満たされていない。

 

続いて②だが、これは満たしているだろう。ゲーム世界を活かした様々な展開がつるべ打ちだし、RPGや探索ゲームをプレイした人が綻ぶようなアルアルネタも随所に用意されている。次に何をすればいいかは毎度毎度丁寧に説明されるので話が分からなくなることもまず無い。まぁ、その展開自体がのっぺりしているのも事実だが…。

 

最後に③。口喧嘩するシーンはもちろん、アクションシーンでも随所に彼らのコンプレックスや暗部を垣間見ることが出来るが、正直描写が弱いしそれぞれがぶつ切りでぶち込まれてくるので120分かけての積み上げを感じることは難しい…。字幕の訳が少々堅苦しい、国語の教科書チックなものだったのが原因かもしれない。ブルーレイが出たら吹替えでも観てみよう。

 

 

さて、悪口ばかり書いてきたが勿論良い面もある。私の貧相な言語ボキャブラリから捻りだして褒めてみるぜ!

 

冒頭でも述べたが、ゲームをプレイする=自分ではない何かになれる経験と捉えた成長物語にしたことは、ゲームを題材にした作品として非常に真っ当だ。自分ではない誰かに自己投影をして、初めて見える世界があるからだ。劇中でヒゲデブメガネのおっさんになった自撮り大好き女子高生も言っていたが、自分を全てかなぐり捨てることによって自分以外が見えてくる。主人公と友人、主人公と捻くれいい子ちゃんも「ゲームキャラ」というフィルターを一枚入れてのコミュニケーションだからこそ歩みよれた。現在のネットゲーム文化の明部だ。

 

しかしこれは、ゲームだけに限ったことではない。誰かの視点に立って何かを知る、感じる、成長するというのは、映画を観たり本を読んだりといった、創作物に触れる行為そのものだ。いやそれだけではない。視点を変えれば世界も変わるという、まぎれもない現実でもある。

 

ゲームをプレイすることで、憧れの誰かになりきることで、ちょっと明るく振舞うだけで、世界は変わるし自分も変わる。なんて力強い普遍的なメッセージだろうか。幼少期からゲームをし、ゲームが蔑まれる時期を送ってきた身としては落涙モノの描き方だった。

 

 

結びとなるが、今回酷評気味になってしまったのは期待値を爆上げして観た私の自責である。もっとこう、同じドウェイン・ジョンソン主演の「センター・オブ・ジ・アース2」を観に行く位のテンションで行けば良かったのだ。ということで、「ジュマンジ ウェルカムトゥジャングル」観るならこっちもセットで!!!!!

 

 

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