自分の「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」についてのツイートをサルベージしてみた
こんにちは。光光太郎です。
遂に4月26日、MCUの節目として「アベンジャーズ エンドゲーム」が公開される。
私は初期から追い続けてきたわけではないしアメコミを読んでるわけでもないが、やはり今から動悸が収まらない位楽しみだ。
ってなわけで、今回はMCU、ひいては映画にどっぷりつかることになった切っ掛けの作品
についてのツイートをサルベージしてまとめてみたい。ずっと呟いてきたし、考えてきた作品ですよ…。
■感想ツイート
ウィンターソルジャーは「簡単に死ぬ状況」「どうやって勝つのか見当がつかない状況」「少数部隊対組織」に対して、現実味を持ったヒーロー映画として最高の面白さを魅せてくれた。観てる時は本当にドキドキが止まらず、どう勝つのか分からなかった。その中で挟まれるジョークにクスリと笑う。
— 光光太郎 (@bright_tarou) December 13, 2014
ウィンターソルジャーで圧倒されたのは「個人対超巨大空中戦艦」のバトル。キャプテンが走り、ファルコンが飛び、大火力の戦艦に挑んでいくシーンはカタルシスの宝庫。燃えに燃えた。
— 光光太郎 (@bright_tarou) December 13, 2014
ウィンターソルジャーのエンディングアニメ、ウルトラマン感があって滅茶苦茶好き。
— 光光太郎 (@bright_tarou) May 10, 2017
ウィンターソルジャー、自由を奪う体制との大きな戦いでもあり、親友を取り戻すための小さな戦いでもあるってのが、いいよね。
— 光光太郎 (@bright_tarou) March 7, 2018
ウィンターソルジャー、俺は社会的ななんとかは詳しくないけど、とにもかくにも少数vs圧倒的多数。小兵vs空中戦艦。このロマンと緊張感ですよ。これを越えるのはまだ観たことがない。
— 光光太郎 (@bright_tarou) April 10, 2018
ウィンターソルジャー、超人はあんまり出ないけど「これを防げなければ世界は終わる」という危機感はMCU随一。インフィニティウォーに並ぶ。
— 光光太郎 (@bright_tarou) September 12, 2018
概念には概念でぶつかるしかない。歴史でありアメリカの精神を体現するキャップが語りかけることでしか、今回の事件は収束しなかっただろう。
— 光光太郎 (@bright_tarou) September 12, 2018
ウィンターソルジャー、緊張感みなぎるシーンの連続だけど登場人物達は決してユーモアを失わないってのが滅茶苦茶好きだ。アメリカンジョークもりもり。
— 光光太郎 (@bright_tarou) September 12, 2018
ウィンターソルジャーの「安全の為の服従か、自由の為の抵抗か」はずっと考えるし、勝手にふるえてろを観る前後で恋愛観は確実に変わった。
— 光光太郎 (@bright_tarou) February 27, 2019
キャプテン・アメリカじゃなくて、キャプテン・ロジャースって言うの熱いな。
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 29, 2015
■私的ランキングに入りまくるウィンターソルジャー
#エンドクレジットが最高に好きな映画10作品
— 光光太郎 (@bright_tarou) October 13, 2018
ウィンターソルジャー
アイアンマン3
インフィニティウォー
トレインミッション
シュガーラッシュ
ベイマックス
ロッキー・ザ・ファイナル
次元大介の墓標
パシフィック・リム
ランボー最後の戦場
#始まり方が最高に好きな映画10作品
— 光光太郎 (@bright_tarou) October 13, 2018
カジノ・ロワイヤル
スカイフォール
ロシアより愛をこめて
死ぬのは奴らだ
夜明け告げるルーのうた
三大怪獣地球最大の決戦
サイコ
ウィンターソルジャー
シン・ゴジラ
グレイテストショーマン
#オールタイムベスト10最新版
— 光光太郎 (@bright_tarou) October 8, 2018
①アメイジングスパイダーマン2
②スパイダーマン2
③ウィンターソルジャー
④君の名は。
⑤ロッキー
⑥運命のガイアメモリ
⑦シン・ゴジラ
⑧サバイバルファミリー
⑨素晴らしき哉、人生!
⑩ブタのヒヅメ
#観た映画が人間性に影響するらしいのであなた人生のベスト10を教えて
— 光光太郎 (@bright_tarou) April 18, 2017
スパイダーマン2
パシフィック・リム
キャプテン・アメリカ\ウィンターソルジャー
シン・ゴジラ
サバイバル・ファミリー
素晴らしき哉、人生!
回転
エスター
映画ハピネスチャージプリキュア
君の名は。
2014年のベスト10
— 光光太郎 (@bright_tarou) December 28, 2015
1.ガーディアンズ
2.ベイマックスhttps://t.co/QYNQv9NXCl大戦フルスロットル
4.イコライザー
5.ウィンターソルジャー
6.ロストエイジ
7.GODZILLA
8.紙の月
9.アメスパ2
10.劇場版ハピネスチャージプリキュア
今考えればウィンターソルジャーはガーディアンズ・オブ・ギャラクシーと同立1位。
映画:エイリアン 〜手助け無し!知恵と度胸で立ち向かえ!〜
こんにちは。光光太郎です。
「高橋ヨシキのシネマストリップ 戦慄のディストピア編」が発売されました。
観れてない映画が多いなぁと思いつつヨシキさんの名文を読んでいると、中学時代から親しんできたSF作品の項目が。
ということで、今回は「ジョーズ」の様に言葉の意味を変えてしまった映画、リドリー・スコット監督作
エイリアン
の感想を綴っていこうと思います。10年来の付き合いだぜ。
◼最近観た時のツイート
懐古野郎と言われても、やっぱりエイリアンとかプレデターとかロボコップが好きだ。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月21日
エイリアン、恐ろしくミニマムな話だから好きなのよね。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月21日
エイリアン、毎回毎回「これは勝てない…」と思わせてくれるわ。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月21日
◼エイリアンとの出会い
モンスターや怪獣が好きだった子供時代。しかし中学生になると日本モノはしゃぶりつくし(ウルトラマンTVシリーズは全部観れてなかったけど、レンタルする金が無かったんで…)、次は洋モノだ!と、モンスターが出る洋画を観るように。
幸運なことに洋画好きな友達がいたので、DVDを借りてよく観ていました。最初「これで映画好きに目覚めた!」と手渡されたのは「エイリアン4」。いい友人を持ったものだ…。
その流れで出会ったのが「エイリアン」。エイリアンは雑誌や中古屋で見たことはありましたが、映画は未見。最初はエイリアンというモンスター目当てだった「エイリアン」ですが、マシンデザインに心を捕まれ、ノストロモ号船員達のグルーヴにアコガレを感じ……まぁのめり込んで観ていた記憶があります。誕生シーンで仰け反るわけですが。
「エイリアン、すげぇ面白かったよ!」「だろ?」で意気投合し、その後は「プレデター」やら「アナコンダ」やらを借りていきました。ガメラも好きだったかな?彼らがいなければ、今程映画に触れていなかったかもしれません。
◼エイリアンに出てくるエイリアン
「エイリアン」に関するアートワークは多数出ています。
なのでたいして詳しくない私がどうのこうの言うのは憚れるのですが、あの素晴らしい存在について色々書いてみたいわけです。
1作目に登場するエイリアン・モンスターについて、さらりと紹介。
①フェイスハガー
エイリアンは形体変化を重ねて「完璧な殺戮生物」へとなっていくモンスターです。しわしわの皮膚に包まれたような「卵」から産まれるのは「フェイスハガー」と呼ばれる虫と海老の悪魔合体みたいなモンスター。ビラ星人みたいなやつです。
敏捷な動きと跳躍力、締め付けパワーによって他生命体にしがみつき、種を産み付けます。1作目では動いている姿はあまり映りませんが「エイリアン2」「エイリアンVSプレデター」では八面六臂の活躍。超スピードで動く節足と言うと、地方在住の方ならすぐ思い浮かぶ奴がいるでしょう…フェイスハガーは革新的なデザインであると共に、その恐怖性は案外身近な所から連想できるもの。だからこそ、恐いしキモイ。
②チェストバスター
産み付けた後は死亡するだけというのも潔いですよね。そして、産み付け先の生物の胸を突き破り誕生するのが「チェストバスター」。
こいつはどの作品でも一瞬しか映りませんが「胸を突き破るシーン」が印象的すぎて、エイリアンシリーズを象徴する存在になっていると思います。また、チェストバスターは寄生先生物の特徴が遺伝するらしく「エイリアンVSプレデター2」ではプレデターに寄生したチェストバスターが最終的にプレデリアンへと進化します。
③ビッグチャップ
卵→フェイスハガー→チェストバスターと来て、最終進化形態が一般的に知られるエイリアンの姿です。1作目では「ビッグチャップ」という名前が付いており、後続の個体に比べると頭部がヘルメット調だったり頭部が白っぽかったり頭部がもろに男性器だったりするのが特徴。
フェイスハガー、チェストバスターが割と大写しでスクリーンに出るのに対して、ビッグチャップは全身が殆ど映りません。大柄な体格に対してどこにでも潜り込むことができ、決して集団の中に突撃していくことはなく、一人また一人と船員達を葬り去っていく…正にホラー・モンスター。またメカニカルな外観のため、宇宙船内部の様々な場所にカモフラージュし潜むことが出来るのです。
■エイリアンの機能美
今作の中ではエイリアンが結局なんであるのかは明言されません。殺戮に特化した完全生命体である、とだけ、劇中の人物が語るだけです。殺すための機能が詰め込まれた無駄のない「美しい」生物を、観客が船員と同じ視点で目撃していくことに今作の面白さがあります。
まず、各形体の血液は全て強い酸であり、人間の皮膚はもとより宇宙船内装等も簡単に溶解します。殺されようが必ず相手を道連れにするか、被害を拡大させるわけです。事実、ノストロモ号はフェイスハガーの血によって船体に穴が空き、真空状態になりかけました。つまり「殺せない」ので、フェイスハガーは「チェストバスターを産み付ける」か「酸で被害をもたらすか」のどちらかを確実に実行できます。また、フェイスハガーの身体は全て「しがみついて種を産み付ける」為にあり、それ以外を行う箇所は一切ありません。食事も排泄も感情も何もなく、目的を果たす為だけの最低限最大限の機能しかない。
チェストバスターは言わずもがな、チェストをバスターするための存在。逃げる為の足もなく、突き破ることのみに特化しています。
そしてビッグチャップ。第二の口は人間の頭蓋骨をたやすく突き破り、その尾は人体を貫く。音もなく忍び寄り、恐らく真空中でも生存できる…あの限界状況では、どうあっても倒せそうにない。成体のデザインはそこまで機能特化というわけではないが、アンバランスな頭身体、感情の読めない顔、真っ黒なカラーリングと、見る者に恐怖を抱かせる要素ばかり。「殺人を戯画化したモンスター」それがエイリアンだ。
■与える恐怖が変化するモンスター、エイリアン
続いて、エイリアンがもたらす演出効果について触れていきたい。今回は映画の感想じゃなくてエイリアンそのものについての話が多いな!
何度も述べてきた通り、エイリアンは卵→フェイスハガー→チェストバスター→成体と形態変化していく。それに伴って、恐怖演出も変化していく。だが通底しているのは「何をされるか分からない」ことだろう。
まず卵だが、これはもう見た目が怖すぎる。そしてそこから飛び出してくるフェイスハガー!未知のものを発見しておっかなびっくり近づく→いきなりキモイ奴が飛び出すと。ここまでかなりじっくりとSFを描いているので、モンスター的ビックリ恐怖よりも「何か不可解なことが起ころうとしている」怖さがある。
続いてフェイスハガー。2では襲われる恐怖が強調されているが、1ではしがみついてからが本番。何のために引っ付いているか分からないし、何故人間が生かされているかも不明。科学的生物的考察が行われていくが殆ど有効でなく、緊張感が続いていく…SFサスペンスだ。まぁキモイ生物が顔面に引っ付いてるのを観るだけでも十分怖いけど。
トリは成体、ビッグチャップ。前述した通り、どこに潜んでるか、どこから襲ってくるか分からないという恐怖を与えてくる。しかもどうすれば殺せるかもわからない。打つ手がほぼ無い状態で戦わなければならないという焦り。だからこそ、限られた資材と空間を活かして知恵を振り絞って立ち向かっていくリプリー達がカッコよく見えるのだ。
この様に、エイリアンが進化していくのは映画を面白く怖くするために必要なことであり、全く無駄ではないのだ。ハッタリだけじゃない!!
■〆
長いなぁ…そろそろ〆だよ。
SF感の素晴らしさ、一切手を抜かないサスペンス演出、ギスギスした船員たちのドラマ、リプリーの逞しさ、アンドロイドのグロさ等見どころがかなりある映画だが、何よりもやはりエイリアンというモンスターを推したい!2のバンバン登場してドンドン殺されるエイリアンも好きだけど、1体のみで宇宙船を壊滅に追いやり秘密が全く明かされない神秘的な存在として描いた1作目も大好きだ。ポップアイコンになりすぎた感もあるが、是非舐めずに一度見てもらいたい。リプリーが超絶カッコいい吹替もおススメ!もうすぐHuluで配信されるしね!!
映画:君の名は。 ~意志さえあれば~
こんにちは。光光太郎です。
先日、新海誠監督最新作「天気の子」の予告が公開されました。
新海誠…私の映画への向き合い方を一変させた名前です。
ってなわけで今回は前ブログからの引越し記事「君の名は。」の感想だ!!!!!
とんでもなく長いので、注意してください。
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ワクワクもんですね。
光光太郎(@bright_tarou)です。
今回はV9を達成したMADなアニメーション映画
のネタバレ感想を書いていきたいと思います。大分たっちゃいましたが、自分自身の気持ちを書き綴っていきますよ! 最初はグダグダ文句を言っていますが、後で盛大に手のひらを返します。
■あらすじと概要
「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」など、男女の心の機微を美しい風景描写とともに繊細に描き出すアニメーション作品を手がけ、国内外から注目を集める新海誠監督が、前作「言の葉の庭」から3年ぶりに送り出すオリジナル長編アニメ。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」などの作品で知られ、新海監督とはCMでタッグを組んだこともある田中将賀がキャラクターデザインを手がけ、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などスタジオジブリ作品に数多く携わってきた安藤雅司が作画監督。主題歌を含む音楽を、人気ロックバンドの「RADWIMPS」が担当した。1000年ぶりという彗星の接近が1カ月後に迫ったある日、山深い田舎町に暮らす女子高生の宮水三葉は、自分が東京の男子高校生になった夢を見る。日頃から田舎の小さな町に窮屈し、都会に憧れを抱いていた三葉は、夢の中で都会を満喫する。一方、東京で暮らす男子高校生の立花瀧も、行ったこともない山奥の町で自分が女子高生になっている夢を見ていた。心と身体が入れ替わる現象が続き、互いの存在を知った瀧と三葉だったが、やがて彼らは意外な真実を知ることになる。声の出演は瀧役に神木隆之介、三葉役に上白石萌音。その他、長澤まさみ、市原悦子らが出演。(映画.comより引用)
■最初にどう見たか
私は新海誠の作品群を全く観たことがありません。以前友人たちが新海誠作品について「ストーリーはあって無しが如し。世界観が全て」と評していたこともあって、あまり興味を持っていませんでした。(しかし、ロボットアニメ好きとして「ほしのこえ」を知らなかったのは迂闊…)
それにも関わらず「君の名は。」を観たのは、何度も何度も劇場で流れていた予告に惹きつけられたからでした。あの予告は非常に良くできていましたねぇ…透明感と疾走感溢れるRADWIMPSの曲に合わせて美麗な風景とキャラクターがポンポン出てくるため、瑞々しい青春アニメ映画の雰囲気があります。また、超現実的な山頂や彗星が映ることで世界観やフィクションの幅が拡がるため、シンプルな青春映画でないことを予感させますね。
そしてシンプルながら思考にフックをかける「君の名は。」というタイトル。「。」が入っていることも気になりますが、何よりも「君の名は」という言葉ですよ。ただ名前を問うているだけなのに「君」と「名」とに神秘的な響きがありますし、尻上がりの発音になる「名は」には開放感を感じます。決して言いやすい言葉ではないですが、どうにも惹かれてしまいます。そして、神秘性と開放感というのは予告の雰囲気とも合致しているんですよね。
物凄いこじつけ感がありますが(笑)、こういった要素に惹かれて8月に鑑賞してみたんです。こっぱずかしくて幸せの波動に呑まれる恋愛映画、コロコロ表情が変わりダイナミックなアクションがあるであろうアニメーション映画、分かりやすいジャンル映画だと思って席に着いたのですが、これらを全て裏切ってくれました。キャラクターへの同調を誘い物語へ没入させてくれる映画だと思いきや、異なっていたんですねぇ…。
確かに神秘性と開放感、瑞々しさなどの予告で感じた雰囲気はありましたが、期待していたジャンル的要素を感じることは出来ず、初鑑賞時はいったいこれは何を描いた映画なのかが全く分からなかったんですよ。面白いとも思えませんでした。自分が嫌いなはずの要素や歪んだ構成が色々見えてきたんですが、全く嫌な気持ちになることはありませんでした。考えども、嫌さや面白さよりも「何故?」が浮かんでくるので、この気持ちにケリをつけるためパンフレットを買い、楽曲を購入しました。しかし納得いく解答は見つけられず…。
ここから、「君の名は。」について考え続ける日々が始まりました。
分からない…分からない。
— 光光太郎 (@bright_tarou) August 28, 2016
物語展開や状況には痺れても、それをキャラクターが動かしていない。物語にキャラクターが動かされている。魅力的なキャラクターはいない。
そもそも、これは映画なのか?俺は長めのミュージックビデオか紙芝居を見ていたんじゃないのか?
なのに、怒りはあまりない。
「君の名は。」を振り返ってみると、
— 光光太郎 (@bright_tarou) August 29, 2016
ワンシーン毎には面白いお話を
カテゴライズされたキャラクター達に
事務的に進めさせ
美麗な情景と音楽と語りで
なんだか良いことのように思わせる
作品だったと解釈できた。
■2カ月考えた
ひとまず、自分に合わないと感じたところをまとめることから始め、通勤中通学中も「前前前世」を聴きながら考えた結果、次の3点になりました。
①RADWIMPSのミュージックビデオに見える
②事務的に静的に展開する紙芝居のよう
③青春と災害による物語の剥離
①RADWIMPSのミュージックビデオに見える
オープニングアニメに「夢灯篭」、入れ替わり生活で流れる「前前前世」、彗星接近時には「スパークル」、そして最後には「なんでもないや」と、107分の中でRADWIMPS の曲が4つもガッツリ流れるんですね。歌唱曲を劇中に流す演出は珍しくないですが、ここまで目立つようにやられると台詞や物語の進行に集中できないため、映画への没入が阻害されてしまいます。また「夢灯篭」と「前前前世」とが流れるシーンは映像に音楽をのせるのではなく音楽に映像をのせたかのように見えるため、映画というよりもミュージックビデオを見ているような感覚になるんですよ。この2つが序盤に来てしまうため、映画を観る意欲が結構削がれてしまいました…。
RADWIMPS - Dream Lantern (Ost. Kimi No Nawa) LIVE
②事務的に静的に展開する紙芝居のよう
事務的な展開というのは、物語がそう進むための根拠となる描写に観客の意識が乗らない状態でお話が進んでいくことです。「君の名は。」では主役である三葉と瀧以外のキャラクターが話す内容はテンプレの塊で新鮮味が無いんですよ…。全員がそうではないですが、特に不良3人組は最悪。これもまた序盤の序盤にぶち込まれるので「またこのパターンか…」とゲンナリでした。
異様にテンポが良いことも事務的な展開に拍車をかけていたように思えます。ある場面を見せたいがためにキャラクターを動かし風景や視点を変えポンポンと話を展開していくため、こちらが物語に没入する前に気持ちを遮断される様でした。 序盤における各視点の尺バランスも悪く、瀧よりも三葉の方がガッツリ描かれているんですよ。にも関わらず中盤以降は長らく瀧視点が続くので、どうにもこうにもキャラクターへ同調することが出来ませんでした。
何かしらを燃料にして人物や展開が「動いていく」ことによって場面を繋げることを動的な展開だとすると、それの反対が静的な展開です。動的な展開は、観客を物語や登場人物に引き込むため必要不可欠な要素でしょう。私はこれを映像と精神との面両で考えることが出来ると思い、「君の名は。」に何故静的な展開を感じてしまうのかを確認するため、こういう表を作ってみました。記憶のみに頼っているので不確かですが…。
こう振り返ってみると、入れ替わりが途絶えて以降は精神面が動的になりますし、映像精神の両面が動的な状態で視点の切り替えや物語の転換が起こります。しかし、序盤に静的な状態が長く続くので「このお話、全然動かないなぁ…」という印象を持ってしまったのでしょう。物語を強烈に引っ張る燃料として定番な「主人公が追い込まれる」状況ではないことも、静的に感じてしまう、物語に没入できない原因だと思います。入れ替わりが途絶えた後、そして糸守の真実が明らかになってからは打って変わってドンドン追い込まれていくため、その加速感には堪らないものがありましたが。
三葉の父親との関係や不良組からの嫌味、田舎コンプレックスは、入れ替わり時における彼女の精神面燃料ではありますが、物語を動的にする燃料である「追い込み」ではないですよね。あれは彼女にとって日常なわけですし。瀧に至っては、中盤になるまで燃料になるのが「入れ替わり状態のドタバタ」位ですから、瀧に関する興味があんまり湧かないんですよね…。
③青春と災害による物語の剥離
これが、鑑賞後に私の中で「何故?」が巻き起こった一番の原因だと思います。 中盤までは高校生男女の入れ替わり生活といういかにもな青春物語でしたが、三葉が住む糸守町の真実と入れ替わりのズレとが明らかになる中盤以降は、彗星災害を止めるための物語に変化していきます。ここでは「消失した町」「彗星激突の瞬間」「災害を伝える新聞やニュース記事の数々」「被害者名簿」といった、痛烈な死のイメージを間接的に叩きつける描写が次々となされる為、前半に溢れていた瑞々しさが一気に消失するんですね。
こういった雰囲気の転換、もっと言えばジャンルの転換というのは結構使われる手段ですが、直近に東日本大震災や熊本地震等の被害を受けた今の日本にとって、この災害描写は物語を根本から覆してしまう程の圧倒的力を持っています。軽く触れただけでも難物になってしまうにも関わらずここまではっきりと描いているということは、直近の震災における何か、震災以降の何かを伝えるためなのでしょう。 しかし、ならば何故最初からそういう物語にしなかったのか?災害をテーマにしたアニメ映画を作り、そこで一本筋の通った物語を描けばよいのではないか?何故二人の男女の物語に災害を組み込む必要性があったのか?しかも、彗星被害を「無かったことにする」という物語にしてまで…。
鑑賞直後は青春恋愛映画として描きたいことと災害映画として描きたいこととがバラバラで、無理矢理くっ付けている様に思えてしまいました。前者を隠れ蓑にして後者を描くことが目的だったのではないか…そこまで考えてしまいました。
震災以降映画といえばこれ
この①、②、③を考えてみて共通したのは「この作品はいったい何を軸にしているんだろう?」という疑問。シンプルに「こういう映画!」とすることが出来なかったんですね。 演出や物語が矛盾に溢れてぐらついていたとしても、一本明確な軸が通っていれば「こういう作品である」と落としどころを付けることが出来ます。しかし「君の名は。」は考えどもを見つけることが出来ませんでした。
主人公達が動きつづける必然性すら見いだせない毎日が続きましたが、サイクリング中にある気づきがありました。
「もしかしてこれは、意図的に矛盾や散漫さを作っているんじゃないか?」
「登場人物達の姿勢と、監督の描きたかったことがリンクしているんじゃないか?」
当たり前と言えば当たり前の事ですが、ここに至って物語が腑に落ちたんです。それを確かめる為に2回目3回目の鑑賞を行ったところ、着眼点は間違っていなかったことを確信しました。合わない箇所が裏返り、そのまま魅力になっていたんですね。
色々知った上で観ると、この作品がいかに計算されて作られているかがよく分かる。その上であえて様々な矛盾を残し、一般的な物語の作り方をしていないことの意味を再確認出来た。
— 光光太郎 (@bright_tarou) October 12, 2016
…………でも、子供のアルバムを見返すような心持ちで観てたかな。
「君の名は。」3回目行ってきた。
— 光光太郎 (@bright_tarou) October 21, 2016
流石に飽きが来るかなぁと思ったけど全くそんな事はなく、新しい発見も多かった。というか、何回見ても「考えながら見る」ことが出来るんじゃないかな?改めてすごい作品だと分かった。
■感想
「君の名は。」は、意志の物語であったと思います。とびきりシンプルで、小さくて、強い意志です。 ここで、パンフレットに載っていた、作画監督の安藤雅司さんによる文章を引用します。
『君の名は。』は、新海さんが持っているマイナーな部分とメジャーな部分、作品的に点描で見せる散文性の部分と時系列で見せる物語性の部分を絶妙に繋いだものになっていて、なおかつ幅広い層が楽しめるお話になっている。
私が行きついた結論もこれに近いものでした。
散文性のある表現とそれによって生まれる矛盾の中で、少しずつ結ばれて一本の軸となっていく意志…すぐに解けてしまいそうな意志だけを持って進んでいく様は、人生の足掻きのようです。多くの偶然とほんの少しの宿命、そして人間の持つ意志によって、正しく運命的としか表現しえない出来事を結んでいく…極めて人間的な物語に、素直な感動を抱きました。 この感動を物語に対して感じるだけでなく、今作をこういう形に作り上げたという事実そのものに対しても感じてしまうところに、「君の名は。」の持つ豊かさがあるのかもしれません。
話がかなり抽象的なものになってきてしまったので、ここからは先ほど挙げた「合わない点」がどう裏返り「魅力」になったのかを出来るだけ具体的に書いていきたいと思います。
①RADWIMPSのミュージックビデオに見える←→曲で物語や心情を表現していた
当たり前っちゃ当たり前なんですけどね(笑)。
初見時は訳が分からないまま観てあっという間に時間が過ぎていった楽曲シーンですが、何回も聴き込んで歌詞を理解した上で挑んだ2回目以降では印象が全く異なりました。歌詞と曲調と物語とをクロスさせ、スマートかつ豊かな表現が行われていたシーンだったんですね。また、4曲全てが意志の純粋さを謳っているため、「君の名は。」という作品を統括して表現している場面とも言えます。
例えばオープニング映像と共に流れる「夢灯篭」。自分ですら自分の気持ちを信じ切れなくなっていることと、どんな障害があっても誰かを求める思いとが、「世界のはしっこ」「虹の出発点 終点」「5次元」等の夢を信じる若々しさと空想を語る青臭さとを感じさせる歌詞の中に並行して込められており、疾走感と透明感をイメージさせる曲調に乗せて歌われることで、「君の名は。」の物語内容や雰囲気を表現していたんですね。 言わば作品のすべてが抽象化されているようなシーンになっていたので、2回目の鑑賞ではこのオープニングシーンだけで思わず泣いてしまいました…。何よりも「君の名を 今追いかけるよ」で終わるというところですね。それだけの物語、それだけの言葉なのに、その純粋さと力強さに涙してしまうんですよ…。
「前前前世」は、瀧と三葉とが入れ替わり生活に気付くところから流れ出し、アップテンポな曲調が映像と物語とを一気に動的なものへ変えていきます。初鑑賞時はこのテンポによってキャラクターへの同調と物語への没入を阻害されてしまい、以降の話に関心を向けることが困難になりましたが、実はこのテンポこそが観客を一気に惹きつける工夫だったんですね。
前前前世が入る前と流れる中との違いに、初鑑賞時は対応できなかったのでしょう。ここまででも大分「何故?」が続いていましたからね(笑)。 実はこのシーンでは、曲が流れている段階での物語内容と歌詞とがあまりリンクしていないんですね。
思い焦がれる気持ちやその相手と会えたことの喜び等が夢灯篭と同じく若々しくも青臭い歌詞で歌われているのですが、瀧と三葉はまだそこまで思いが募っていませんし、強い気持ちも抱いていなかったでしょう。 しかし、前前前世で紡がれる音と声とが放つ青春の輝きは、これから彼ら自身が結んでいく運命の始まりを告げるのには最適です。 物語が動き始めること。それを理屈ではなく視覚と聴覚という感覚で掴ませるシーンだったんですね。
3曲目の「スパークル」は、瀧との邂逅を終えた三葉が彗星衝突の危機から町を守ろうと奔走しだすところから流れます。この曲は前の2つとは異なり、疾走感ではなく切なさを秘めた、静かで力強い曲調と歌詞になっています。そしてそれが劇中と見事にクロスするんですねぇ…。
歌いだしの「まだこの世界は 僕を飼いならしてたいみたいだ 望み通りいいだろう 美しくもがくよ」という歌詞が、彗星衝突という定められた事実に抗う瀧と三葉そのままですよね。 スパークルが流れる間はこの様に、歌詞が歌われるタイミングと劇中の事態とが絶妙にシンクロする場面が多いです。「遂に時はきた」では確か爆発が起きるか何か明確に事態が動き出す場面ですし、「愛し方さえも」では「好きだ。」の文字を三葉が見る場面でした。こういう、音と展開が瞬間的にシンクロするのが大好きなんですよね、私(笑)。
また、切なげなスパークルが流れることによって起こっている事態の深刻さやシリアスさよりも三葉の心情に意識が向けられるため、雰囲気がサスペンスドラマに行き過ぎなくなり、作品の軸が曲がらないようになっていました。
「なんでもないや」は、成長した瀧と三葉の邂逅、そしてエンドクレジットで流れます。ここで流れるのは映画用に歌詞が追加されたものであり、その歌詞がスパークル以上に劇中とシンクロするものになっているんですよねぇ…。「離したりしないよ 二度と離しはしないよ やっとこの手が 君に追いついたんだよ」「嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは 君の心が 君を追い越したんだよ」……ううう(泣)。
追加歌詞以外でも、ぽつりぽつりと歌われる歌詞の一つ一つが、瀧と三葉のこれまでと今、そしてこれからを表現しているようです。それらが紡がれたところで「僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ」と、力強く歌われるんですよ…。
「忘れたくない」という意志だけを持って頑張り、それすらも時と運命の中でかき消された後に「何かを探していた」という気持ちを持ち続けていた二人が、やっと出会えた…その心情を表現した素晴らしい歌詞じゃないですか…。
楽曲は物語と合致し、作品世界やその豊かさの一部となっていたんですね。(曲をしっかり知っていないと意味がよく分からないという問題はありますが…) だからこそ楽曲が流れ出すシーンは物語上の要所であり、そこで描こうとしていることを聴覚にも訴えていたんです。一曲一曲が「君の名は。」の物語を内包しているんですよね。
そして、若々しく青臭い、だからこそ純粋な言葉によって結ばれていく意志の歌でもあるため、聴くたびに自分の人生を思い起こしてしまう…。 正に「映画音楽」と言うに相応しい名曲ばかり…4つの歌だけでなく劇中の楽曲全てを手掛けたRADWIMPSは本当に素晴らしい仕事をしてくれました…ありがとう!!
②事務的に静的に展開する紙芝居のよう←→意志だけで紡がれた物語
今作は、とにかく観客の同調や没入を遮る要素が多かった様に思えます。というか、物語然としていないんですよね。
・主人公らしからぬキャラの薄さ
→要素の多い三葉はともかくとして、瀧は全くの一般人な上に身の上が語られない。 二人ともアニメキャラらしい突き抜けた部分が無い。中盤まで追い込まれない。
・物語進行における必然性の無さ
→「何かがある気がする」という理由のみでポンポンと話が進み、無償の協力を得られる。
・異様に良いテンポ
→観客が話を飲み込む前に展開が進んでいく。抽象的な台詞や独り言をきっかけに進むことが多いのも一因か。
・動きが無さすぎる序盤
→前前前世が流れる前までは映像面でもキャラクターの精神面でも物語を引っ張るほどの動きは無い。
しかし、こういった要素の数々は、敢えて置かれているのではないでしょうか? これらの要素の積み重なりによって、劇中の登場人物にも、観客にも、三葉や瀧にすら「そこまでする理由は無いのでは?」「何故そんなことをするのか?」と思わせます。物語の構造や演出からも、そう言われているようです。 それでも、瀧や三葉は「忘れたくない」という気持ちだけを持って、その一心で進み続けます。何の根拠もなく、ただ何かが引っかかる…その意志による行動だけで、静的な物語をドンドン動的なものへと変えていきます。
よくよく考えればこれって、私たちが生きているこの現実世界と同じだと思うんですよ。 他人からも仲間からも信じられず、社会や運命からすらそれを否定されていると思ってしまうことは、必ずあるはずです。そんな時は、自分ですら信じられないかすかな意志を手繰り寄せながら、少しずつ進んでいくしかない…。だからこそ、人間が抱く意志と、それによって結ばれていく「物語」に、私たちは感動するんだと思うんですよ。
その意志が結実するのが、誰からも望まれない中で動きつづけた瀧と三葉が、遂に邂逅するシーン。そして、5年と8年という時間の後に、忘れないという意志すら消えかけたその時に、思い出した「引っかかる気持ち」だけを頼りにして、もう一度、そして決定的に出会うシーンです。
人の意志の力、そして心の中に残る気持ちの力。多くの困難と偶然、ほんの少しの宿命を経てつかみ取った運命には、感動するしかないじゃないですか…。
「君の名は。」は意志と気持ちとを頼りに物語を結んでいった、とても人間臭い、熱い熱い熱い物語だったんですよ!
③青春と災害による物語の剥離←→感じた気持ちを忘れなければ、何かになる
「君の名は。」は前半に青春物語が展開し、後半はそこにシリアスな災害物語が加わり、最終的には出会いの物語として着地します。初見時は災害物語の容赦のなさに青春物語との剥離を感じてしまい、今作がいったい何をしたいのか全く分からなくなってしまいました。
しかし、前述したように、これもまた私たちの人生と同じだと思うんですよ。世の中で起こることには剥離が付き物ですし、その中で起こっていることが一体何なのかなんて、明確な答えは誰も出せません。
そんな中で意志を貫き生きていく瀧と三葉の姿は、人生に立ち向かう姿そのもの。綺麗ごとですが、その剥離に抗い続けるということは、誰にでも出来ることではありません。フィクションの様にも思えてしまいますが、それを現実だと信じたい、現実にしたいと思いませんか?
そしてそこに、新海誠監督や作り手たちが、震災の記憶が強く残る今に災害を扱い、この作品に乗せたメッセージがあると思うんです。これを最も強く感じるのは、二回ある瀧と三葉の出会いシーンです
終盤、瀧と三葉は能動的に行動したことによって一回目の出会いを果たします。そこには「忘れたくない」「会いたい」という、強くてシンプルな願いがありました。その結果、瀧と三葉は彗星衝突による災害を回避させることに成功し、死傷者を0人にすることが出来ました。
対して二回目の出会いに関しては、彼らは強い意志を抱きつづけていたわけではありません。むしろ時間によってその意志は殆どかき消されていました。しかし、詳細な記憶や意志が無くても、彼らには「何かを探しているかもしれない」という酷く曖昧な、不確かな気持ちだけが残っていました。いや、残し続けていたんです。その気持ちを捨てることなく持ち続けた結果、お互いを一目見るというきっかけによって、一気に強い意志へと変貌しました。そして、決定的な再開を果たす…。
忘れないことを貫けば、たった一人でも貫けば、何か大きな力になる。例えそれが一人の脳内の中であっても、創作の中であっても、まやかしの希望であっても、暗い事実を明るい希望に変えることが出来るんだということを、一回目の出会いで描いていると思うんです。
そして、強い意志や詳細な記憶、明確な思い出が無くとも、その時に感じた気持ち、何かが引っかかるという気持ちを持ち続けるだけでも、何かは起こすことが出来ると。それが誰かとの出会いなのか、過去の記憶を呼び起こすことなのかはわからないが、感じた気持ちを捨てる必要は無いんだと。二回目の出会いに込められたメッセージは本当にささやかですが、人間の心を信じる作り手達の思いが伝わってきます。
■超超個人的な感想
面白かったところ
②写実的な背景
③方言
本業俳優の方が声優をやるとどうしても俳優時の印象を声から感じ取ってしまいますが、この三者は全くそんなことはありませんでした!上白石萌音は「ちはやふる」で大好きになりましたが、自然に聞いていると彼女の声だと分からないほど三葉と瀧になり切っていましたし、神木隆之介はもう円熟の粋ですね。瀧in三葉のところは「男の声なのに女」という状態をイライラさせることなく演じていたと思います。そして特筆すべきは長澤まさみ。全く気づきませんでしたよ…。凄いとしか言えません…。
②写実的な背景
予告の時から素晴らしいと思っていましたが、実際観てみるとそのリアルさは小手先ではなく、観客側に「これは現実の世界かもしれない」と思わせ、アニメの世界だからと思考停止させないことにも繋がっていました。でも、口噛み酒がリアルな描画なのかどうかは分かりません!!!!
③方言
多言語混在描写大好きマンとして、糸守町に長年住んでいるキャラクター達の話す方言には堪らないものがありました。特段言語が異なっているわけではないのですが、イントネーションが明確に異なっているんですよ。これを自然に感じさせる演技は非常に難しいと思うのですが、バッチリハマってましたね。
釈然としなかったところ
①絵が上手い瀧
②アウトドアグッズを当たり前の様に持っている東京人
③たった一人で登山に向かう瀧
①絵が上手い瀧
主人公でイケメンで声が神木隆之介な上に絵が上手い…釈然としない!なんでも出来るのか!(努力があったんでしょうけどね…)
②アウトドアグッズを当たり前の様に持っている東京人
結構高いのになんでそんなに万全なのか…奥寺先輩と瀧よ…。瀧は山とかに興味あるようだったし、アウトドアが趣味なのかな?
③たった一人で登山に向かう瀧
危ないからやめましょう。
■総括
物語に酔う映画ではなくまるで現実の人生の様に分散された事実を咀嚼し、自らの手で物語に意味を見出していく…。そして、自分の人生を顧みる…。映画の上映時間だけで終わらない、考えぬくことまでを含めた「映画体験」を味わうことが出来ました。そして、これを観てから物語や映画の見方考え方が確実に変わりましたね。これは今静的なのか動的なのか、どう観客を惹きつけているのか…そんな事ばかり考えながら見るようになりました(笑)。
また、兎にも角にも綺麗な物語でした。明確な悪役はいませんし、災害の場面も人死にの決定的瞬間は見せず、瀧と三葉が長々とクヨクヨする場面もありません。ガツンとしんみり「させられる」時間がなく、楽曲に乗せた物語運びとテンポのいい編集によって時間経過も早めに感じるので、軽い心持で楽しく観ることができ、作品の純粋さ綺麗さに浸ることが出来るんですよね。恐らくこれが、リピーター含めた超絶大ヒットの要因でもあるでしょう。
何度でも観たくなる。そして、何度でも考えたくなり、誰かと語り合いたくなる。こういう映画がヒットしているのは本当に嬉しいですよ…。12月いっぱいまで上映するらしいので、観た人も未見の人も、是非劇場に行ってみて下さい! (ただ、少しはシンゴジラとかスタートレックビヨンドも観てくれ……!!!)
映画:勝手にふるえてろ ~コミュニケーションカタルシス~
こんにちは。光光太郎です。
先日、推しの女優、松岡茉優さんがアトロクに出演された。
思えば松岡さんを知ったのは「ちはやふる」シリーズが最初だが、本格的に好きになったのは「勝手にふるえてろ」からだろう。
ってなわけで今回は、前ブログからのお引越し記事で「勝手にふるえてろ」の感想だ。見れば人と接したくなる映画です。
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こんにちは。
光光太郎です。
私達は日頃会話をして誰かと関わり合いながら生きていますが、どれだけ相互理解できているでしょうか?もしかしたら、理解しあう切り口すらつかめずに、その場の流れだけで会話しているかも・・・。
今日は新年1発目鑑賞作品にして2018年ベストに食い込む大傑作、そしてコミュニケーション映画の超絶大傑作である
の感想を書いていきたいと思います。ネタバレありです。
■鑑賞直後ツイート
「勝手にふるえてろ」観た。
— 光光太郎 (@bright_tarou) January 3, 2018
コミュニケーション映画の超絶大傑作。孤独欲しさと寂しさとエゴと自己卑下とでごちゃ混ぜ矛盾になった心の描き方が超絶に上手いし、分かりやすいし、真に迫ってる。
観賞後世界への接し方が変わる作品。名前を呼び、人と話し、誰かを好きになりたくなる。難しいけどね。
「勝手にふるえてろ」
— 光光太郎 (@bright_tarou) January 3, 2018
正直、昨年の「何者」と同じ枠でもある。作り手の社会観だけで上から語るな!てかこんな分かりきったことを物語として作るな!という、酷く自分勝手な枠だ。でも何故か今作はとてもいとおしい。コミュニケーションによって心が救われる瞬間、壊される瞬間を見事に映したからか。
■雑感
こんなにも面白く、苦しく、そして幸せになれる映画を新年に観れるとは!
鑑賞中多幸感に浸れる作品とは異なり、鑑賞後からじんわりと、大好きになってしまいました。こじんまりとした話で死人も出ないし爆発もないし、とあるOLが失恋してまた恋をしてキスして終わるという、どこにでもありそうな流れではあるんですが、これが本当に面白い!「普通の話」に出てくる登場人物、その間で行われるコミュニケーションを、徹底的に描き込んでいるんですよ。
そして映画の視点を主役一人に絞ることで「彼女が誰かとコミュニケーションすること」の面白さと「観客が彼女とコミュニケーションすること」の面白さがあるわけです。主役がいわゆる「コミュ障」「痛い人」の投影に終わらず、生きた人間としての実在感を持っているというのもキモですな。
というわけで、今作の魅力の中枢は次の2点です。
・主人公、江藤良香=松岡茉優の魅力
・コミュニケーション描きの妙
テーマと主演が魅力の核ってのはまぁ当たり前の話なんですけども、ここを詳しく掘っていきたいと思いますよ。
■主人公、江藤良香=松岡茉優の魅力
今作の主人公である江藤良香は、どこにでもいる、とても複雑な人間です。
文句を言いながらも会社勤めをしている。誰かを長年好きでいる。軽口を叩ける友達がいる。自分の信条がある。コンプレックスを口にも態度にも出さず、脳内で人を小馬鹿にする。
好きな人と接せず脳内で完結させるのが至高!と思ったら、あることをきっかけに好きな人と会うため全力を尽くす。他人全員を拒絶したと思いきや寂しくて携帯を何度も確認してしまう。本音を吐露するSNSは理解できないと言いつつ、他人に成りすましたSNSアカウントで本音を吐露する。
心に矛盾する感情を抱え、強く決心したことでも何かをきっかけにしてやめてしまう。自分が裏切られたと思ったら全てに当たり散らして、さらに自分を孤独にしてしまう。
自分を守るために自己中心的になり、それが自分を苦しめる。自業自得ばかり。
半端ではない心情のリアリティさ。
自分自身との、他人とのコミュニケーションに四苦八苦する「普通の人間」です。光光太郎も、自分を省みて思い当たる節だらけです。特に「本能で動く奴を軽蔑する」は…似たことやってます。議論の場で考えずに0.5秒でYES!NO!言う人っているじゃないですか。凄い嫌なんですよね…(笑)。
フィクションで「普通の人間」を描く意味はあるのか?と問われそうですが、普通の人間の普通の人生を映画として鑑賞し、日々の生活に新しい価値を見出すことは、意義深いことです。2017年ベストの記事でも触れましたが、これも「一般人映画」ですね。
そして、これを映画というフィクションで成立させた主演の松岡茉優(まゆ)は本当に素晴らしい。普通の人間でありながらも、2時間弱の物語を引っ張れる人物を演じていたわけですからね。演技とは全く思えない自然体な佇まいと喋りとで、文面で書かれた江藤良香に現実の生を吹き込んでいました。よくよく考えると良香はクソ野郎だし結局「嘘妊娠」は解決せずそのまんまですが、それでも好きになってしまう。
もう最初の自分語りからぐいぐい引き込まれますし、そのあとの「ぺっ!」でもう好き確定。特に彼女のON/OFFの切り替え!外面と内面のギャップが魅せるチャーミングさ!松岡茉優は「ちはやふる-下の句-」で大好きになりましたが、今作でもう本当に好きになりました。
そんな、矛盾を抱えた複雑な人間である良香が様々なコミュニケーションを取っていくカタルシスに満ち溢れているのが「勝手にふるえてろ」なんですね。
■コミュニケーション描きの妙
どこかで誰かが「相互理解の入り口に立った時が、恋の一番のカタルシスだ」という旨の発言をしていましたが、今作は正にそれです。
通じたかな?通じてないかな?という危うさに一喜一憂し、通じたかも…!という瞬間に最高最上のカタルシスが生まれる。それを恋愛以外でも、また相互理解が裏切られた絶望カタルシスにもしているんですね。
しかもそのカタルシスまで積み上げていくのが本当に上手い。特に白眉なのは「名前呼び」でしょう。しかも物語全体を通しての、良香の変化を如実に表すものでもあります。渾名でなく、自分自身の名前をしっかり呼んでくれるのは安心するし嬉しいものです。
良香は「名前呼び」の因果応報を受けます。渾名にすがり、名乗らない……相手も自分も虚構にして生きてきた数十年のツケが一気にくる。「イチ」は良香の名前を忘れられていたのです。いや、当時から知らなかったのかも………。
孤独に沈んだ彼女を救うのは、彼女が虚構を押し付け続けていたにも関わらず、彼女の名前を呼び続けていた「ニ」こと「霧島」でした。その後二人の関係が破綻しかけた時、思いを繋ぐのも「名前呼び」です。あそこですぐに名前が出てくるということは、良香は彼を虚構ではなく「実」として接していたのかもしれませんね。そして、「霧島」と彼の名前を呼ぶときは、ずっと利己的行動を続けてきた彼女が唯一利他的行動を取る瞬間でもあります。
「名前呼び」が結実するクライマックスでさえ、良香と二は分かり合えた訳ではありません。分からないからこそ、コミュニケーションを取りたくなるし、好きでいられる。分からないことばかりの関係の中で、一瞬でも分かり合えた時が尊く思える。
その瞬間が、良香が嫌い続けていた「本能」によって作られているのも、いいじゃないですか。性欲の暗喩を「濡れた赤い付箋」「卓球ラリーの音」で示す。スマート過ぎて大好きです。
物語全体を通して、良香はコミュニケーションする相手を虚構から実へと変えていきますが、虚構を否定している訳ではないと思うんですよ。自分を守る最後の防衛線でもありますからね。
また、「勝手にふるえてろ」は観客が良香とコミュニケーションを取っていく映画です。
彼女は一人語りをしまくり友人のくるみとも話しまくるのですが、どうにも様子がおかしい。本音とは思えないんですよ。
中盤、町の人達との会話が脳内会話であると分かり(まぁ最初からそう描かれているんですが)「ニ」が消える演出が入ってくると、今作が「信用できない語り手」ものにも見えてきます。どこまでが妄想でどこからが現実なのかが一瞬ぐらつき、良香の心も激動し、彼女の心が分からなくなってしまいます。
しかし、ここからがコミュニケーションの醍醐味。良香の本音を読み解いていく楽しさ。分からないかもしれないけれど、分かろうとすることが楽しんですよ。つまり観客は、良香が辿った様々な人とのコミュニケーションを、良香とのコミュニケーションによって追体験するようになります。良香の視点でも、観客の視点でも物語を楽しめるんですね。
■細かいところ
・「ニ」役の渡辺大地、顔が最高。最初はイライラしてたけど、ここまでの好青年はいないぜ。
・片桐はいり、最高。良香が勝手につけた渾名がフルネームそのまんまだったってのも、凄くいい。良香にとっては、否定も肯定もせず、挨拶しあうご近所さんとして接してくれたのは、かなり嬉しかったのでは?
・フレディ、最高。
・出木杉君が言ってた「文科系を落としてから言う論法おかしくね?」という旨の言葉、似たようなこと言ったこと、ある…。
■まとめ
「勝手にふるえてろ」は苦しい映画だ。コミュニケーションに悩み自己卑下する人にとっては目と耳を覆いたくなる瞬間が目白押し。そんな映画なのに、思い返すたびに心が希望に満ち溢れる。いい。本当にいい。
— 光光太郎 (@bright_tarou) January 4, 2018
これ以上ないほど至近距離でコミュニケーションを取る良香とニを最後に「ベイビーユー」が流れるEDへとなだれ込んだ時「ああ!いい映画観た!」という気持ちで満たされました。そのあと「ベイビーユー」を聴きながら町を歩き流す楽しさ、湧き上がってくる活力ときたら!こんな鑑賞後感になった映画は初めてですよ。2018年ベストどころか、オールタイムベスト級の大傑作を新年1発目に観れて、本当に、本当に良かった!!!
映画:シャザム! 〜ユーモアは世界を救う!〜
こんにちは。光光太郎です。
トッキュウジャー、若おかみをはじめ、子供が頑張る話には涙を納めまくってきましたが、今回感想を書く映画にも年貢を献上してきましたよ。DCヒーローの
シャザム!
さぁいくぜ!※今作はネタバレ絶対厳禁なので、未観の方は退出するが吉!マジで!!
◼観賞後ツイート!
シャザム観た!
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月19日
面白かった!!!!こんなに笑えるとは思わんかったぜ!!!!
シャザムねぇ…ほんとさ、子供が頑張る話には弱いよ!
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月19日
シャザム!子供がヒーローになるってスパイダーマンと被るんじゃねぇの?って思ってたけど、上手く物語として差別化出来てたね。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月19日
◼暗さを笑いで吹っ飛ばす!
シャザム!はおバカヒーローコメディ映画みたいなノリで宣伝されており、実際それは間違っちゃいない。だが、笑いの裏に重く暗い現実を隠しているのが向こう流。
主人公ビリー14歳(超絶イケメン)は、幼い頃に母親とはぐれてしまって以降里親先を転々としていた。そんな彼の新しい里親は、捨子を多く抱えるグループホームでホスト夫妻も元捨子。血が繋がっていない、人種も異なる彼らは家族のような温かい関係性を築いていたが、ビリーは一切なじもうとせず母親を求めるばかりだった…。つまり主人公側は、自らの意思とは無関係に「血の繋がった家族」を失った人々だ。
しかしこんな状況を重々しく描こうとしないのが今作の特徴だ。グループホームの子達はみんな明るく元気だし、落ち込みがちなビリーも基本にはユーモアがある。シャザム!はコメディを前提に、「家族」を求める主人公が本当の「家族」を見つけ成長していく物語なのだ。ここら辺「デッドプール」の成功が参考になってる気がするぜ。
■ヒーロー!とヴィランの対比構造
対して、敵役のシド(おっさん)は自分の意見で「血の繋がった家族」を切り捨てていくし、ユーモアで乗り越えるということはない。また、選ばれて力を得たビリーとは異なり、自ら力を得ていく。彼には7体の魔人が力を貸しており、シャザム!と同等のパワーを扱うことが出来る。
アメコミの敵役、ヴィランはヒーローの写し鏡であるという場合が滅茶苦茶多い。マーベルの少年ヒーロー、スパイダーマンのヴィラン達はどいつもこいつも「有り得たかもしれないスパイダーマン」なのだ。この対比構造がシャザム!では隅々まで徹底されている。
対比構造により浮かびあるのは「どう生きるか?」ということだと思う。バリーもシドも、状況こそ違えど「血の繋がった家族」から切り離されたという結果は同じだ。そこから彼らはどう行動したか?何を求めたか?誰と出会い、何を大切にしようと思ったか?対比することにより、ヒーローがヒーローたる所以が際立つ。
DCでヒーローとヴィランの対比といえばこれか「ダークナイト」だろうか。
■シャザム!のヒーロー性
劇中、シャザム!には様々なヒーローネームや名台詞が付けられていくが、どれもパッとしない。敢えて言えば見た目も能力もかなりオーソドックスで、ぶっちゃけヒーローとしては印象が薄いのでは??と思ってしまう。
しかしこれこそが、今作のキモだった。シャザム!のヒロイズムとはなんなのか?それがビリーの成長に繋がる。
彼が見つけたヒーローとしての座右の銘、それは「家族を守れなければヒーローじゃない」だった。ここでいう家族とは血の繋がりではなく、お互いに思い合い支え合う関係性。自分たちで家族になろうと努力する者達のことだ。家族を脅かす悪い奴をぶっ倒せなけりゃ、それはヒーローじゃねぇんだよ!と。
更にここで、対比構造が活きてくる。シドは7体の魔人を宿しているが、それは協力関係とは呼べない危ういものだ。対してシャザム!は、なんと、機転を利かしてグループホームの親友=家族の5人をシャザム!化!!ムキムキナイスガイ、綺麗なレディとなった彼らと団結!!さぁ魔人どもよ、覚悟しろ!!!!私はここで笑いながら泣きました。
排他的で自己中な独裁者に、多人種チームで支え合って立ち向かう子供たち。分かち合えない力に意味なんか無い!そう啖呵を切る姿は、正に新時代の、独自性抜群のヒーローだ。
また忘れちゃいけないのは、今作では「人助け」を繰り返し描いていることだ。ビリーがシャザム!の力を得る前にフレディを助ける場面もそうだし、最終決戦時も人助けが最優先。独自のヒーロー性云々の前に、人が成すべき最低限の、そして最高のことをやってのけるのが彼らなんだ。
あとねぇ…スーパーマンとバットマンの人形で遊ぶ子供!あいつがシャザム!とシドの戦いを見て浮かべる表情!!!ヒーロー映画が一番抑えるべき「ヒーローのカッコよさに驚嘆する人」をやってるんすよ!!!!わかってるな!!!夢を描くなら夢を目撃した人も入れないとね。
ラスト、分かち合いがカギになるヒーロー映画と言えばこれ!
■全編ぶっ通し!必中必殺ギャグ!
難しいことを書いてきたけども、今作はとにかく笑えるシーンが目白押し。ギャグを説明しても説明する方がつまらなくなるのが世の常だが、少しだけ話させて頂きたい!
・コンビニ強盗シーン!笑えるのは勿論だが、スーパーマンパロでありフレディが「夢」を目撃する瞬間でもある!
・Don't Stop Me Nowに乗せての能力試しシーン!テンション上がるし笑えるし楽しい!!しかもビリーとフレディが仲良くなる過程でもあるのでドラマも止まらない!
・フィラデルフィア舞台だからっつってEye of the Tigerを、よりにもよって美術館前でネタにする!
・最終決戦時、離れすぎてて悪役が語る言葉が分からないのをネタにする!ビリーが完全にシドを乗り越えたことを示すシーンでもある。
・さぁ!杖を掴んで僕の名前を言って!「「「「「ビリー!」」」」」違う!決め所での外しではあるが、グループホームの皆がシャザム!ではなくビリーを大切に思っているのが分かる。
・シャザム!になってる時だけ饒舌になって冗談言いまくるビリー。調子乗ってる感があって大変よろしい。
この様に、物語を破綻させるギャグは殆どない。ギャグを通して物語を語り、ギャグに意味を込め、ギャグで成長を示している。恐ろしいほどに無駄がない。コメディドラマ映画としても上質だ。
あ!!!何と言ってもラストのアレ!!!シャザムがフレディの友人として学友の前に出るだけでも最高だったのに、まさかスーパーマンが出てくるとは…。フレディのビックリ声と表情最高よね。あとEDアニメな!!!
■〆
さて、そろそろ〆だ。
重く暗い背景をユーモアで笑い飛ばし、新しい形の「家族」と支え合うヒーロー、シャザム!。彼は自分を笑わせ、皆を笑わせ、この映画も多くの人々を笑わせる。そこからまた、新たな笑顔が生まれていくだろう。誰かを笑顔にするという行為は連鎖していく。笑いがあれば、ユーモアがあれば、笑い合える人がいれば、嫌なこととも向き合える。こういうヒーロー映画が生まれてくれて良かった。
映画:未知との遭遇 ファイナルカット版 ~UFO最高!~
こんにちは。光光太郎です。
午前十時の映画祭が今年で終わりということで、劇場まで結構移動時間がかかるんですが通ってみようと。
という訳で、今回はオープニング作品
の感想です。UFO最高!
◼観賞後ツイート
「未知との遭遇 ファイナルカット版」観た。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月10日
UFO、最高。
子供、かわいい。
ヒステリー、鬼畜。
お話、う〜〜〜〜〜ん。
倫理観、最悪。
宇宙人、ナイスガイ。
◼子供大人を甘やかす
初めに言っておきますが、ストーリーはあまり好きではないです。子供大人が夢に溢れる宇宙へ手を引かれて旅立っていく…好きな要素しかないはずなのに、途中挟まれる結構長い尺の家庭崩壊劇が結局「頭おかしい行動をとる夫を見限り決別」でしかないのは…。
夫リチャード・ドレイファスが物語的には正しい=宇宙人的には正しいんでしょうが、今の倫理観では中々キツい。あれだけ子供を泣き叫ばして、奥さんを泣かせて、隣人に迷惑(犯罪)かけまくって、なんもケツ持たずに終わりかいと!!
ファイナルカット版は家庭崩壊をかなり長く描くバージョンらしいので他のを観れば印象が異なるんでしょうが…うーむ。
◼子供は可愛い
スピルバーグ作品と言えば、子供というイメージが強い。今作でもとにかく子供がいい。可愛く、狂気で、夢を託せる存在なのだ。
まず冒頭のバリー少年。彼が何かを目撃した表情をまじまじと撮るシーンでもう、好き。こういう「驚嘆」を捉えた瞬間があるとそれだけで好きになる。だが、お母さんの目からすれば危なっかしいことしかしない!車に引かれかけるシーンとかはかなりキツイし、誘拐もキツイ…。でも、それは大人からの視点であり、子供にとっては好奇心を糧にして世界に触れている瞬間であるのだ。
また、主人公ロイの息子達もいい。登場してからまず「分数が分からない」と宣うガキ(そのあと父親から鉄道模型で分数を教えられる件は最高)。後ろでひたすら赤ちゃん人形をぶち壊し続けるガキ。キャラクターが強烈だ。そして狂っていく父親を思い涙を流すガキ…ロイはそんな彼らを見捨てていくんですよ!?許せるわけはないんですよ!!
◼UFO最高!
イマイチなところを多く綴ってきたが、UFOまわりは欠点付けようがないほど素晴らしかった。
最初は小さい小さい光でしか登場しないが、横長大スクリーンだからこそ、その小さな瞬きが映える。人間よりちょっと大きい位のサイズでしかないことにも驚くが、非常にディティールが細かいメカニカルな造形にも吹っ飛ばされた。つんつるてんじゃない!!強烈な光を放っていることにより、造形がハッキリと見えないのも良い。
更に「動き」だ。小型UFO達は3機ほど登場するのだが、光粒の時も、造形が見える時でも、全て挙動が異なる。つまりUFO達にキャラクターを見ることが出来るのだ。無機質なメカ、ただの光でしかないはずなのに、そこに意思を見いだせる…スピルバーグがUFOや宇宙人に抱く夢が、UFOの動き一つ一つに見えてくる。
そして、満を持して登場するマザーシップのデカさときたら!小型UFO達に見慣れた後の終盤に横長スクリーンをいっぱいに使って登場するので、物語的にも視覚的にも映画的としか思えない存在になっているのだ。Blu-rayパッケージとかで思い切り造形が出てしまっているが、ネタバレなんかどこ吹く風な映画力。最高としか言えない。(絶妙にキモい宇宙人デザインも最高)
因みに、UFOのデザイン、挙動、キャラクター性に関しては「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」というパイオニアがいるので、そちらも是非参照してみて欲しい。ストップモーション、特撮の巨匠レイ・ハリーハウゼンが超低予算で工夫して手掛けたUFO達は一見の価値ありだ。
円盤で言えば、スピルバーグじゃない方の「宇宙戦争」もいいかも。
日本でUFOと言えばこれだろう。
◼〆
さてそろそろ結びといこう。
ストーリーは今観ると乗れないが、とにかくUFOに詰め込まれた夢が色褪せることはない。
また、スピルバーグらしい映画テクニックも満載。カメラを移動させることで段々と規模感を増したり、驚くべきものを見せたり、奥と手前、サイズの違いを活かしたレイアウトにしたり。ハンドサイン1つで宇宙人の「粋」を示すのもいいし、キャラクターに映画話をさせることで性格やユーモアを表すのもいい(一般家庭の奥さんが「十戒」の上映時間とか知ってるのか?)。
ファイナルカット版じゃなく、特別版や通常版も観てみよう…かな(笑)?
映画:バンブルビー ~変形と映画の醍醐味が満載!土屋太鳳最高!~
こんにちは。光光太郎です。
このブログではあまり触れていませんが、私はロボットが大好きです。なんせ卒業論文最初の文章が「著者はロボットが好きだ」である。Pepperの活用方法を、実際に開発&イベントで使用しつつ色々書いた記憶がある。
そんなロボット好きとしては外せない新作映画をギリギリで観ることが出来た。
今回は傑作トランスフォームービーの感想を綴っていく。気軽にね!!
■感想直後ツイート
バンブルビー観たぁぁぁぁぁぁぁ!!
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月17日
すんげぇ面白かった!!!!!
土屋太鳳上手い!!!!!!
バンブルビー、トランスフォーマー達は機械生命体なんですよってことが今までの映画よりも強調されてる気がした。体が鉄でありコンピューター内蔵ってのはもとより、スキャニングしたマシンの機能がそのままデザインにも反映されると。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月17日
バンブルビー、クラシックデザインのオプティマスも最高で、多勢に無勢なんだけど全然ピンチに見えない逞しさ!
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月17日
■トランスフォーム=変形の楽しさがいっぱい!
トランスフォーマー映画観たのはロストエイジぶりだったけど、いやはや本当に良かった…。ロボットと少女の交流、気の効いた小物演出、見易く把握しやすいアクション、そして何よりも変形アクションの多彩さとロジカルさですよ!!トランスフォーマーは実用的ビークルに変形するロボットなんすよ!!!
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月17日
今作はトランスフォーマーという玩具シリーズを元ネタにした映画の一つだ。トランスフォーマーについてはNetflixの「ボクらを作ったオモチャたち」が詳しいので、そちらを観てもらいたい。
The Toys That Made Us | Netflix Official Site
①変形のロマン
正直トランスフォーマーについて詳しくない。ビーストウォーズを少し観たり、実写映画シリーズをちょいちょい追ってる位。だが、大好きだ。なんせ実在する車や戦闘機がほぼそのままのデザインからロボットへ変形するからだ。町を走っているかっちょいい外車が…いや、パパが持ってる超地味な軽自動車が、もしかしたらロボット異星人かもしれない…!!!日常に潜むSFでありスパイ!!!
変形は不必要なことでも玩具的言い訳でもなく、日常の見方を一変させる解釈であり、超面白い物語を語るための装置なのだ。勿論オモチャとしても最高なハッタリだ。
②変形の演出 ~ドラマ~
今作では様々な場面で変形に意味を持たせている。何故変形する機能があるのか?というそもそも論ではなく、この状況下では変形にメリットがあるな!と思わせているのだ。トランスフォーマー=変形するロボットに夢を持ち観に来る観客にとって、これほど嬉しいことはない。
演出の1つに、前述した「パパの軽が!」に似たものがある。
主役ロボ、バンブルビーは旧型のフォルクスワーゲン・ビートルから変形する。彼は実写1作目でも「え!こんなオンボロ車がイかしたロボットに!?」という役回りで、変形ロマンを最も体現するキャラクターとして活躍していた。(因みに実写1作目ではオンボロ言われまくった後に超かっこいい新車をスキャンして衣替えした)
実写1作目との共通点で言えば「車を手にしたティーン主人公が、実は異星人だった車=ロボットと友情を育み成長する」も外せない。若者にとって車は自立の象徴であり、映画の中では様々な意味をもたらしてきた。そんな「車」が実は意思を持つ生命体であり、「車」に何かを求めていた若者と秘密の交流をしていく…このように変形は車と若者という関係性に幾重ものドラマを描くうえで非常に有効な装置となりうるのだ。
トランスフォーマー実写1作目。ジュブナイル&ボーイミーツガール&ロボットSF&ポリティカルサスペンスという全部盛り。今作と被る要素も多い。
③変形の演出 ~バトル~
トランスフォーマーシリーズは正義のオートボットと悪のディセプティコンの両陣営が戦う物語だ。つまりロボット・バトル・アクションが見せ場となる。変形するロボット達のバトルなら間違いなく変形がカギになる。しからずんば、変形する意味などない!!!!!!!!
こんな変形ロボット過激派の戯言にもしっかり応えてくれるのがバンブルビーだ。
なんでサイバトロン星にいる時から地球のマシンに変形してるの?とかはもうどうでもいいくらい、変形が良かった!
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月17日
大陸移動するのに歩きじゃ不便…よし車になろう!戦闘中吹っ飛ばされた…よし車になって勢いそのまま反撃や!!理由のある変形!!!
今回メインで登場するトランスフォーマー達の数は少ないが、そのどれもが変形を有効活用したバトルアクションを見せてくれる。前述した「態勢を立て直すための変形」はもとより、
・遠くにいる、今にも逃げようとする敵を追撃するため戦闘機に変形!
・中途半端な位置にいる敵を攻撃するために戦闘機に変形!ホバリング攻撃!
・戦闘機やヘリから車からに変形して着地負担を軽減!そして車からロボットへ変形!
・鎖を巻き付けて変形の隙間に挟ませ、そのままバラバラに引きちぎる!
等々、実に多彩な変形バトルを見せてくれるのだ。更にバトル、ドラマ以外でも実用面で変形しまくる。
・大陸を移動するのに車に変形!更に効率的な空メカに変形!
・狭い場所で奇襲された!離脱しないと!車に変形!
変形にはドラマを込められる。変形でロジカルなバトルを演出できる。変形最高!!
変形を活かしたバトルと言えばマクロス。
■前振り→演出=ぶち上り
バンブルビー、気の効いた要素を出すときは必ずタメを作ってる。俺はメモがビーの変形をまじまじと見て驚愕するシーンで泣いたんだけど、そこに至るまでにメモを好きになれる要素がしっかり複数用意されてるのよね。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月17日
気軽に書くって言ってもうこんなに長くなってるよ!
映画においてタメ=前振りがどれだけ重要であるかは下の記事でも書いた通り。
映画館で映画を観る場合、集中して観ているので「あ!これはさっきのアレだ!」とかによく気が付く。むしろ気が付かされているのだが、これこそ映画の面白さであると思う。ぶち上がる展開を魅せる為の、丁寧な前振り。今作ではこれが適切なタイミングで徹底されているので「映画を見る喜び」を体感するのにもうってつけだろう。
例えば「主人公チャーリーに恋するメモがバンブルビーの変形を観て驚嘆する」という展開がある。これ単体で観ても面白いから素晴らしいがここに至るまでに多様な前振りをしているので、多重の意味を持つシーンに仕上がっているのだ。
①メモはチャーリーと同じバイト先に勤めており、何度かアプローチを仕掛けているが進展なし→片思いしていると分かる
②実は家も近くてそこからアプローチしようとするもいつも手前でやめてる→ヘタレ&結構前から好き?
③意を決して家のドアをノックする際「オタクじゃないオタクじゃない」と連呼する→オタク
これらの前振りによって観客はもうすっかりメモが好きになっているし、彼の片思いを応援したくなっている。んで、やっと入れたと思ったらそこには憧れの女の子とロボットがいた!!混乱するメモ!!!しかし事情を説明され、チャーリーとも仲良くなったところで、今一度バンブルビーの変形を観る!驚きの声と喜びの表情!!私はここで泣きました。
つまりこのシーンは、単にロボットが変形する様に驚嘆しているというだけでなく、「遂に片思い相手の自宅に入って彼女と話すことが出来たのに、それ以上に車がロボットにトランスフォームする様を観れたことに超感激している」シーンなのだ。泣く。
これ以外にも、本当に様々な前振り演出がなされているので、どのシーンにも起こっていること以上の意味を、それまでの過程を思い起こさせるものになっている。正に映画だ。
■土屋太鳳
バンブルビー吹替、いや本当にねぇ…土屋太鳳が良かった。ウルトラ映画に出てたから吹替にはなれてたんでしょうが、抑えた演技で引き付けてくれましたよ。土屋だと思って観なければ全く気付かないしね。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年4月17日
上手い下手関係なく、しっかり役にあった声だったと思う。
日本で洋画が公開される際の悪癖、タレント吹替。今回もその犠牲になった…と思われた。主人公チャーリーを人気若手女優の土屋太鳳が、メモを志尊淳が演じると…。
だが、思い出してほしい。土屋太鳳は遡ること10年前、ウルトラマンゼロの映画に出ていたことを…志尊淳はトッキュウ1号として1年間活躍していたことを……つまり2人とも特撮経験者であり、吹替の経験者であるということを…!!
結果を言えば、土屋太鳳の吹替はバツグンに上手かった。恐らく事前に言われなければ彼女だと気付かなかっただろう。演技が上手いのは勿論、そもそもの声質が合っていたのが大きいだろう。そりゃ本職声優に比べれば粗があるかもしれないが、私としちゃあ全く問題なかった。土屋太鳳大好きだしね!!彼女はウルトラマンも大好きだし。
志尊淳は…まぁ…正直志尊淳だったが、気のいい青年役としてはぴったりだったんじゃん?俺は志尊淳も大好きだから応援したいのよ。トッキュウジャー超絶好きだし…。
タレント優先知名度優先のキャスティングだったとは思うが、結果としては土屋太鳳の多彩さを示せたいい機会になったと、思いたい。何より彼女は運動神経がすげぇいいので、アクションをさせあげて欲しい!!!(4/17時点でビーを9回観ているらしい悠木碧嬢のシャッターも最高でした)
土屋太鳳がエメラナ姫役で登場。
■〆
気軽にといって既に4000字超えているので、そろそろ〆だ。
変形するロボットという題材を120%活かしたドラマとアクション、丁寧な映画体験作り、そして結果論ではハマっていた吹替と、かなり楽しめた映画だった。
この他にも小道具使いがどれもこれも素敵だったり(写真とかサイドミラーとかヘルメットとかカセットテープとかな!!)80年代ネタが豊富だったりと、面白ポイントは盛沢山。
何よりも、記憶を失ったバンブルビーと居場所を失ったチャーリーの交流ですよ!泣くんだよ!!でも去り際はカッコいいのよ・・・・。