光光太郎の趣味部屋

Twitter感覚で趣味や心情、言いたいことをつらつらと。

映画:映画大好きポンポさん

素晴らしかった。となりでぼろぼろ泣いてるおねぇさんがいて、貰い泣きしてしまった。映画は狂人の作るものだがそこに夢を見ちゃうし絶対に共感し得ないものに心震わせて自分事として見てしまう。原作者がほぼ関わらなかったという話も含めて、真摯な映画だと思った。


フィクション、特に映画へ想いを馳せてきた人達の涙腺へ直接攻撃する描写のオンパレードだけど、一番グッときたのはフィルム越しに何かを見るカット。フィクション1枚夢1つ挟めば無敵になれる瞬間がある。フィルム越しだからこそ見つけられる自分がいる。漫画から映画へ移行させる意味を強く感じた。


原作者が一部のキャラデザした以外ノータッチだったとSNSで話していたが、ならばこそ、もの作りやそれを受ける者の気持ちを描く「映画」としてとてもとても強い軸を持ったのだと思う。監督達による原作漫画への熱い想いが迸っている。熱い熱いリレーだ。漫画と映画を交互に浴びたい!


映画とは編集のメディアであると言わんばかりに、カットとカットの繋ぎ目や時系列描写等に気合いが入りまくっていた。これはお遊びが半分と、もう半分はジーン君達映画人にはこう見えているという描写でもあるだろう。過去現在未来全部脳内で編集してイメージしているんだと。目がカメラだしな!


映画オリジナルの新キャラ、アラン君。いらん奴だなと思いきやなるほど一般人サイドの視点を入れるためかへぇへぇと構えていたら、あまりの熱さに驚いた。アラン君はポンポさん映画化スタッフでしょ。何も出来ない何もないと諦めていたが、触発され歯を食い縛り賭けに出る!


アラン君が賭けるのは自分の腕ではなく、自分が信じたいと思った夢そのものだ。この夢には力がある!だったら出来ること全部使って、応援するしかないではないか!クリエイターになれず努力する程熱中出来る仕事もない、この視点は漫画に無かったと思う。監督達にとって彼は、必要な再撮影だったのだ。


編集こそが映画のキモだと思ってるのは前述した通りだが、編集にドラマも込めているのが劇場版の特徴か。原作漫画でここまでやってたかな、、


なんていうか、漫画を映画化する際の嫌なあるあるをミスリードにしてんのかなと。あの2人はくっつかないはずなのに映画ではカップルにするとか、一般人視点をいれる為の新キャラとか、共感路線かと思いきや違うとか、、、どうだろ、違うかな(笑)。