光光太郎の趣味部屋

Twitter感覚で趣味や心情、言いたいことをつらつらと。

雑記:外朝食で優雅タイムを楽しむ

こんにちは。

光光太郎です。

 

今回は映画の感想ではなく生活雑記を少し。

 

映画を趣味にすると、楽しみにしていた作品は公開初日の初回で観たい!とか、何とか安く抑えたいのでモーニングショーで観るかとか、何回か記事も書いた午前十時の映画祭に行ったりとかで、朝早くから映画館周辺で待機することがよくあります。

 

趣味以外でも、中途半端な時間から開始する仕事までの待ち時間とか、朝一発目に病院行った帰りとか、まぁ色々と「朝に時間を持て余す」機会が多いんですよ。

そんな時はやはり「ちょっといい朝食を食べたい…」と思ってしまうわけで。「優雅な朝食あこがれ」も相まって、ここ数年間は「美味しい朝食処」を探すことにちょっとハマっています。むしろ「あそこで朝ごはんを食べよう!」と思って早起きすることもしばしば…。

 

というわけで今回は、日ごろお世話になっている朝食処をご紹介したいと思います。

 

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まず最初は駅前での待機時に非常にお世話になっている「上島珈琲店」!

www.ueshima-coffee-ten.jp

何と言ってもミルク珈琲が抜群に美味い。普段はブラック派ですが、ここではほぼ必ず黒糖入りミルク珈琲を頼んでいます。(無糖やカフェインレスも美味しい)濃厚なミルクがベースでありコーヒーは風味アクセント位なので、コーヒーが苦手な人にもおススメしたいですね。

www.ueshima-coffee-ten.jp

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http://www.ueshima-coffee-ten.jp/food/?category=morning-set&item=440

よく食べるのはトーストしたコールスローたまごサンドとコーヒーのセットで、価格は520円+税。結構がっつり食べられるので満足感はあります。ベーコンが噛み切れなくてちょっと食べづらいけどね!

上島珈琲店は座席数が多いし店内の雰囲気もゆったりしているので、気持ちの良い朝食を取れるんですよね。「駅にちょい近」という立地のせいか混み過ぎることはほぼありません。

映画や仕事に行く前に30分位ゆったり出来るのは本当にありがたい。美味いコーヒーにサンドイッチ、kindleで読書、店内にかかる静かなジャズ…ああ、自分は今「優雅な朝食」を取っている…!!と実感できます。

 

因みにコールスローたまごサンドは572キロカロリー、ミルク珈琲(黒糖)Mサイズは158キロカロリー。合計730キロカロリーで「日清デカうま油そば」と大体同じ…。

www.nissin.com

 

 

さて、続いては石窯パン工房ばーすでい。

ishigama-birthday.jp

イートインスペースでコーヒー付き(500円以上買うとサービス)で食べることが多いですね。ここのコーヒーは酸味弱めの苦み強め…かな?ブレンドアメリカンを選べるのが嬉しいところ。座席数は多いのでいつでもゆったり食べられますね。

開店直後だと焼きあがっているパンの種類は少ないですが、パリパリに焼き上げたチーズせんべぇパンや塩あんぱん、チーズちくわパンなどをよく食べています。パン以外にもタルトやマフィン等の種類も多く、ちょっと年齢層高めを意識した商品の数々を見るだけでも優雅な気持ちになります。

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最後にご紹介するのはパンセ。

www.i-pensee.jp

イートインスペースは極狭なものの、コーヒー無料というのがありがたい。苦み弱め酸味強めのコーヒーは総菜パンと相性がいい…かな?時々野外販売もしていて、冬場のビーフシチューの美味しさは絶品!!

 

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http://www.i-pensee.jp/menu/?ca=5

ばーすでいとは対照的に、こちらでは子供向けファミリー向けのメニューが多い。雫みたいな形にパンパンにあんが詰まったあんぱんや激甘フレンチトーストなど、甘党なら見逃せないパンの数々も開店直後からそろっている。焼きたてパンは鉄板に乗せられまとめられているので分かりやすいのもいい。

 

よく食べる、というよりマストで食べるのはツナ詰めちくわパン。今まで食べたちくわパンの中でもぶっちぎりで美味い。ちくわにツナを入れ、その上にマヨネーズが少しかけられていたら美味しいに決まっている!

 

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とまぁこんな感じで、コーヒーとパンのセットで外朝食を取ることが多いですね。費用は300~500円と少々値が張りますが、ほんのちょっとでも「優雅タイム」を味わえるのであれば安いもの。また、パン屋さんでは朗らかな家族連れを見かけることが多く、そこでも多幸感を感じてしまいます。行動圏内での外朝食も楽しいですが、旅行先や出張先でいい店を探したりするのも非常に楽しい。

 

う~ん良い〆方が思いつかない(笑)。仙台周辺で美味しい朝食処(特に和食)があったら是非教えてください!!Twitterでもなんでもいいので…。

 

twitter.com

 

映画:風と共に去りぬ ~絶望からのド根性、そして百合~

こんにちは。

光光太郎です。

 

午前十時の映画祭にて

 

風と共に去りぬ

 

を観てきました(5/19の話)ので、忘備録としてTwitterを中心に感想を残します。毎回言うけど、映像が超綺麗!!第二次世界大戦前の映画だよ!!???

 

風と共に去りぬ (字幕版)

 

■鑑賞後ツイート

 

 

 

 

■問題点と評価点を並行して語ろう

今作は奴隷制度の美化やKKK=クークラックスクランの正当化等が行われているために現代ではポリコレ観点から強い批判を受けています。実際観てみると、主従関係を良きこと化したり、黒人奴隷達を田舎者として描いたり、あまつさえ字幕で「~ですだ」という語尾を付けたりと散々な有様。上記の2作品や「それでも夜は明ける」「ブラッククランズマン」等を観ていると噴飯ものです。

 

ただ、今作が製作されたのは1939年なので、現在と倫理観が異なるのは当然でしょう。自由公民権運動が起こる20年近く前ですしね。私達が今触れている作品達も、数十年後には批判されるべきものになっているかもしれません。

 

過去と現在とを相対化し倫理観をアップグレードするには、「風と共に去りぬ」の問題点をあぶり出し批判することは絶対に必要です。しかし、それと映画の評価を貶めることとを同義にしてはいけない。現代にも通底する力強いテーマがありますし、長尺にも関わらず飽きさせない構成の数々、豪華絢爛な美術や衣装等、後世に残すべき文化的遺産が詰まっています。

 

政治的汚点もある、しかし文化的良点もある。これらを同時に語り娯楽作品として残すことには、歴史的価値が確実にあります。何故なら、今私がそういった考えに至れているのだから…。

 

■ド根性大河ドラマ

アメリカ南部を舞台に、南北戦争に巻き込まれつつも逞しく生き抜いていく南部貴族の娘スカーレット・オハラの半生を描く…まるでNHK大河ドラマのよう。時代も明治維新前位なので、ますます大河じみてますね。世界中で大ヒットし「世界中で必ずどこかの町で常に上映されている」との噂まであります。アメリカ史を描いたものが何故世界で受け入れられたのか?それは誰もが共感できる「ド根性精神」があるからではないでしょうか。

 

冒頭で主人公スカーレットは「全てを持った少女」の様に描かれます(愛だけは満たされないわけですが)。しかし南北戦争によって富を失い精神的支柱も失い、頼るもの全てを無くしてしまう。家族全員路頭に迷っている…明日への希望が何もない状況に追い込まれ、遂にあの高潔なスカーレットがクズ野菜を貪ってしまう…絶望の底に叩き落されたスカーレットは「もう頑張るしかない!!!!!」というド根性を発揮!泥水をすすり地べたを這いつくばってでも、必ず貧乏から脱してみせる!それに、私達にはまだ!この故郷が!タラの大地が残っているじゃないかと!握りこぶし作って立ち上がるわけです。そこで流れる雄大な音楽!赤い夕陽と暗いシルエットの美しい映像!!最高としか言えない。

 

このド根性節によってエモーショナルが最高潮に高まった時、前編は幕を閉じます。

ここまでの100分は全てこの展開の為の前振り。連続した時間の中での、一瞬の精神的見せ場。これぞ映画という感動を味わいました。

抗えない歴史の波に飲まれつつも適応して生きていく…自由奔放唯我独尊だった人物が利他的行動をするようになる…絶望の底の底に落とされた人が一縷の望みに全てをかけて文字通り立ち上がる…これらはアメリカ人だけが共感できることではありません。全世界の言葉が異なる人でも分かる、人間の精神が最も輝いた瞬間、尊厳ある瞬間なわけです。別に南北戦争時代だから特別なわけじゃないでしょう。日本で言っても、例えば震災後の状況等と非常に近いわけです。今作が日本で公開されたのは1950年代らしいですが、その時期は戦後復興期であり、その当時の日本人達にとっても自分事に感じられる物語だったのではないでしょうか?

 

堕ちたのであれば、這い上がるしかない!!頑張るしかない!!!川の底からこんにちは!!!!!

 


川の底からこんにちは/木村水産 社歌

 

しかし、誰もが弱気になり父親が狂ってしまう程の事態に対して、立ち向かえる強さと知恵を持っていたことが、結果的には彼女を苦難の道へと誘ってしまう…。結局の所愛するもの全てを失うのですから、もしかしたら諦めてしまった方がいいんじゃないか…そう思ってしまいます。「誰が悪いわけではない。努力の結果なのよ。」とは劇中の台詞ですが、何たる辛い言葉…。

 

決してハッピーエンドで終わらず、時の流れと人の業によってこんがらがっていく人間模様というのも、大河ドラマの大きな魅力ですね。

 

NHK大河ドラマ 龍馬伝 完全版 Blu-ray BOX-4 (FINAL SEASON)

 

■濃厚な百合

前項では普遍的な面白さについて書きましたが、ここでは今!今観たからこその発見を。

 

題にもある通り、今作では非常に濃厚な百合…つまり女性同士の強い強い精神的繋がりが描かれているんですよ!主人公スカーレットと、彼女が愛していたアシュレーと結婚したメラニーとの、愛憎入り混じる百合が!!

 

ブロマイド写真★『風と共に去りぬ』ビビアン・リー/白黒/アップ/スカーレット・オハラ

スカーレット・オハラことヴィヴィアン・リー

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メラニーことオリヴィア・デ・ハヴィランド

 

風と共に去りぬ」は基本的にスカーレットのアシュレーへの身勝手な愛、そして結果的にアシュレーを奪うこととなったメラニーとの奇妙な共同生活が軸になっています。

スカーレットとメラニーはとにかく正反対で、前者は前述の通り自由奔放で妹の彼氏を当てつけの為に奪い取るような人物であるのに対し、後者は包容力と純真さを持つ聖母の様な人物。スカーレットがメラニーに対して非常に回りくどい嫌がらせをするのだが「スカーレットはそんなことしない」と信じ抜いている。

 

しかしアシュレーが南北戦争に赴く際、スカーレットは彼からメラニーを支えてくれと頼まれます。気持ちが届かなくとも愛するアシュレーの頼みですから、生活が困窮する状況でもメラニーを守り抜いていきます。もうこの関係性がいい。憎っくき恋敵(しかも相手は無自覚)を、愛する人の願いの為に守らなければならないというジレンマ。しかもメラニーが無償の信頼、愛を向けてくるので、悪い気もしない…。だがアシュレーへの思いも捨てきれず、奴も奴でまんざらでもないので抱き合ったりしてしまう…。じゅるり。

 

南北戦争中、そしてその後の苦難の道を共に歩み、皆がスカーレットの手段を選ばない姿勢を非難する中でも彼女を支え続けたメラニーだが、最終盤で命を落としてしまう。今際の際、スカーレットへ「息子とアシュレーを頼みます…」と約束を託す…出兵前のアシュレーの様に。もしかしたら、メラニーはスカーレットとアシュレーの関係を分かっていて、それでもなお二人を愛し続けていたのかしれない…。そしてスカーレットは、自分がメラニーを愛していたことに気付く…。

 

母を失い父が狂ってしまったスカーレットにとって、気高く麗しい精神を持ち決して揺るがなかったメラニーは、精神的支柱になっていたことでしょう。そんな彼女もまた、失ってしまった…。そして夫であるレット(メイン所なのに今初めて名前を出した!)もスカーレットから去ってしまう…。

 

4時間近い今作のクライマックスにおいて、スカーレットと最も強く結びついていたのがメラニーだったと分かる展開を持ってくる。男女だけでなく女同士でも思い思われの関係性はあるし、なんなら男女間よりも強く強く結びついているのだと。愛の実感、そして喪失をアシュレーからではなくメラニーから受け取ったスカーレットは、レットへの愛を成就させるべくタラへ戻る…ここで今作は終わります。これを百合と言わずに何と言うのか!!!!愛情というものの多様性についても示している映画であると思います。

 

 

■〆

またツラツラ長く書いてしまいましたが、ここらで〆。

確かにアメリカの暗部を隠し美化している点は批判されてしかるべきですが、現代の視点で観ても立ち上がる人間の素晴らしさ、思い思われ関係の妙、そして何より歴史の中を逞しく生き抜いた女性の物語として必見だと思います。テンポも良いので4時間全く飽きないし。おススメです!配信サイトでバンバン観れるよ!

 

風と共に去りぬ (前編)(字幕版)

風と共に去りぬ (後編)(字幕版)

 

www.netflix.com

映画感想:グリーン・インフェルノ ~意識高い系学生の因果応報~

こんにちは。光光太郎です。

 

さて今回はお引越し記事のご紹介。前ブログにて好評だった「グリーン・インフェルノ」の感想記事です。R-18なんですが、これが一番アクセス多かったんですよね(笑)。今観ても痛烈な批判精神は見劣りしません。では、また加筆修正殆ど無しでご覧ください…。

 

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新年明けましておめでとうございます!

光光太郎です。

 

2015年も終わりを迎え、2016年が始まってから久しい今日ですが、ひとまず新年のご挨拶とさせて頂きます。昨年から始めたこのブログも、引き続き地道に進めていきたいと思います。2016年もどうか、よろしくお願い致します。

 

さて、それでは新年一発目の記事を書いていきたいと思います。2016年初映画館訪問を飾った作品は

 

グリーン・インフェルノ


です!R-18映画なんで、それっぽいことも言っていきます!ネタバレアリです!

 

グリーン・インフェルノ(字幕版)

 

 

 
■あらすじ

森林伐採の不正を暴くためアマゾンを訪れた環境活動家の学生たち。過激な活動が問題となり強制送還されることになるが、帰りの飛行機にエンジントラブルが起こりジャングルに墜落してしまう。なんとか生き延びたものの、そこで彼らを待ち受けていたのは人間を食べる習慣を持つ食人族だった。学生たちは食人族に捕らえられ、次々と餌食になっていく。(映画.comより引用)

 

■概要

新年一発目にして、R-18映画初体験でもありました。新年最初の映画館鑑賞がこの作品とは、相当キてますね(笑)。

グリーン・インフェルノ」は日本公開が11月の作品だったのですが、私の住んでいる地域では封切りが遅れており(というかやること自体不明だったんです)、まさかの新春映画となってしまいました。私が観た時は、温和そうな初老の夫婦や、これまた超温和そうなおばさんが観に来ていましたね。皆さん、劇場出るときニッコニコでした。

 

この「グリーン・インフェルノ」は「カニバル・ホラー」「食人映画」というジャンルに属した作品で、その名も「食人族」という映画がジャンルの金字塔とされています。「食人族」は「E.T.」公開時、劇場にあぶれた人達が観たことで大ヒットした、ということは有名な話ですね。ほんと俄かには信じられない話ですが…。

食人映画とは、その名の通り「人を喰う」描写で恐怖を描くジャンルです。私は今までこの分野には全く触れていなかったのですが、ホラー映画界の新世代代表イーライ・ロスの監督作であり、話題作でもあったので、今回鑑賞に踏み切ってみました。私はあまりグロ描写が得意では無いので心配でしたが、何とかなりました!というか、とても面白かったです!鑑賞後は顔真っ青でしたが…。

 

食人映画、超絶グロ描写あり、エクスプロイテーション映画等々、エクストリームな映画なんだろうなと思い鑑賞しましたが、とても真っ当な映画作りがなされた傑作だったという印象です。カニバル・ホラー映画としての恐怖描写、全てが腑に落ちる因果応報劇、痛烈なメッセージ性等、太くしっかりとした芯のある映画でした。

 

映画パンフレット 「食人族」 監督 ルジェッロ・レオダート

ETみれなかった人がしゃあなく観てヒットしたという「食人族」

 

カニバル・ホラー

まずは何と言っても、カニバル・ホラーの圧倒的恐怖描写にやられてしまいました。

 

ホラー映画というのは、様々な演出で観客の恐怖を煽る映画です。その恐怖には「精神的恐怖」「エンタメ的びっくり恐怖」等多岐に渡るのですが、今回の「グリーン・インフェルノ」では「自分が食料として扱われる恐怖」が描かれていました。この「自分が食料として扱われる恐怖」には、自分が喰われるという心理的恐怖と、人体調理の超絶ゴア描写によるエンタメ的びっくり恐怖という二重の恐怖が含まれていたんですね。

 

しかし、このカニバル・ホラー演出は全く後味が悪くないんです。恐怖を作る側である食人族に、ホラー映画にありがちな外道的行い、外道的心理というものが皆無だったんですね。彼らはあくまでも文化や生活として食人を行っているので、憎しみや商業的欲望、ドロドロな人間関係から殺人を行っているわけではないんです。食べるために殺す、生活に根付いた宗教行為として殺す等、彼らの行動原理はいたってシンプル。そのシンプルさで嘔吐感を感じるほどの恐怖を感じるんですが、シンプルだからこそ後味はすっきりさっぱりとした印象でした。

 

またカニバル・ホラー描写ではないのですが、飛行機事故による一連の人死にシーンも痛烈な場面でした。不謹慎ですが、とにかく楽しい場面でしたね~。ホラー映画としてのサービス精神に満ち溢れていたんですよ!流石イーライ・ロス

 

飛行機回転中にゲロを吐くデブ、機体後部と共に吹っ飛ぶパツキン、木がぶつかって頭部半分がパックリいくパイロット、ゆっくり回転するプロペラに頭を削がれるウェイ…描写自体はショックシーンですが、心は大爆笑&拍手という感じでした。こういう悪趣味描写は映画的サービスでもあるのですが、事故現場の紛れもない現実を知ることが出来る場面でもありますね。

 

ホステル 無修正版 コレクターズ・エディション [AmazonDVDコレクション]

同監督による、悪趣味映画の決定版!

 ■真っ当な因果応報

カニバル・ホラー描写で圧倒的恐怖を与えてくれた「グリーン・インフェルノ」なんですが、作劇面演出面共にとても腑に落ちる、因果応報がしっかりとした映画だったんです。ホラー映画に限らないことですが、演出優先でご都合主義ばかりという映画が多くある中でこの映画を観てみると、驚きですよ!イーライ・ロス監督の手腕の高さ、そして実直さを垣間見ました。あんなに悪趣味なのに…。

 

グリーン・インフェルノ」では、映画中に起こることには必ず理由や前兆がありました。意識高い系大学生軍団「ACT」は物事の本質を見なかったために喰われる事態になり、処女でありフルートのアクセサリーを持っていたからこそ主人公は助かり、クズであっても「人」を見捨てたからこそ最後の追及がありました。

 

正しいことをした人も何かしら負の因果応報があり、クズだったとしても正の因果応報がある。この映画では全て平等に結果と原因が用意されているんですね。それは演出面でも同じで、前半に大学講義のシーンがあるんですが、その場面があることで後半のショックシーンの恐怖感が生まれていましたし、主人公の取って付けたような正義感と食人族たちの風習説明にもなっていました。正に全てが腑に落ちる、新設設計な映画でした。

 

 ■クソ大学生描写

そして「グリーン・インフェルノ」を話す上で欠かせないのは何と言っても痛烈な「大学生描写」ですね。意識高い系な人全般に向けた痛烈な批判が、この映画にはこめられていました。

 

グリーン・インフェルノ」では主人公ジャスティンと意識高い系大学生軍団「ACT」の面々の様子が描かれているのですが、これが「大学生」の嫌な部分を凝縮したような人物達なんですね。これは自分にも多分に当てはまる部分が多く、他人事ではありませんでした…。

 

嫌な部分を簡単に言うと「おごり」からくる「過信」なんです。主人公もACTの面々も、自分が高尚な知識を勉強しているというおごりを持っています。そのおごりから、何か正しいことをしたい、褒められたいがために、何か絶対的な「悪」を見つけて叩くという行動に向かっていくんですね。彼らのこのあまりにも分かりやすく薄っぺらい欲求は、企業人たちに徹底的に利用されるわけなんですが…。

 

そして主人公ジャスティンに顕著なのは、自分は、自分だけは正しいことを考え実行しているというおごりでした。これは高圧的な父への反発心からと考えることも出来ますが、限度が過ぎました…。そしてこのおごりは、最後の最後まで続きます。

 

彼女はとてつもない恐怖を与えられたにも関わらず食人族を守る事を選び、自分以外の面々は事故死し、危機を現地民族に助けられたという嘘をつきました。この嘘=正しい行いによって森林開発はストップし、ACTの面々も英雄的死という扱いになり、全てが丸く収まったかに思えました。しかし彼女が見捨てたアレハンドロの妹から「GPSで兄の姿が確認できる。話がしたい。」という連絡がきます。正しい行いに見えた嘘も見捨てるという行為も、アレハンドロの妹にとっては絶対的な「悪」でしかなかったんですね。

 

グリーン・インフェルノ」で描かれている程に極端ではありませんが、これらのおごりや正義感描写は、私自身にも身に覚えのあるものばかりです…。自らの虚無感からありもしない力を理由におごりをおぼえ、その虚無感を埋めるために誰かを叩き自分を正しいと示したい…そう考えることは少なくありません。目立ちたいがために内容の伴わない行動をするというのもあるあるです…。一大学生として思うところの多い映画でした。

 

 

カニバル・ホラーとしての圧倒的恐怖描写を打ち出しつつ、因果応報がしっかりした堅実な映画作りを行い、痛烈なメッセージを打ち出す…。娯楽映画として不満足が全くない、とても見やすく楽しみやすい映画でした。R-18描写も中盤のやたらと長い人体調理シーンがゴアのピークで、それ以降は割と安心して観ることが出来たのも嬉しかったですね。調理シーンでは本当に退席しようと思ったので…。胃の中にポップコーンしか入れなかったのは正解でしたよ…。

 

 

何者

違った意味でクソ大学生描写を見せつけられる一本

 


■個人的感想

面白いと思った点は次の3点です。

①食人族の生活風景

②ピンポイントで終わるショックシーン

③俗っぽい演出多数

 

①食人族の生活風景

前述した通り「グリーン・インフェルノ」では食人はあくまでも文化として扱われています。なので食人族は気の狂った殺人鬼としてではなく、掟と習慣に従って(彼らとして)真っ当に生きる集団として描かれていくんですね。あまりにもショッキングな人体調理シーンも、どこか宗教的な目と舌の調理が終わった後、バッサバッサと手際よく調理していきます。そして肉に塩を揉みこみ、燻製させてから皮をはいで食べていました。正に料理という文化。その食人描写以外にも、宗教的なものを感じる装飾や日々の仕事の様子などが丁寧に描かれていました。実際に現地の方に演じてもらったというだけあって、その生活や反応は自然そのもの。食人族という存在がいる!あの場に生きている!と感じることが出来ましたね。しかし、漏らすことはやっぱり恥ずかしい事なんですね(笑)。

最近分かったんですが、私は言語だったり生活だったり何かしら独特な文化描写があるものが好きなのかもしれません。

 

②ピンポイントで終わるショックシーン

私は行き過ぎたグロ描写は得意ではないのでとても心配だったのですが、前述した通り極端なゴア描写は中盤以降無いので安心して観ることが出来ました。まぁ、ものすごく痛そうなシーンはいっぱいあるんですけどね(笑)!

 

③俗っぽい演出多数

正に俗物映画というか、普通の映画では観れない聞けないものがてんこ盛りでした。差別的な発言や下ネタ、モザイク無しの下ネタ(爆笑)、排泄物ネタ、薬物ネタ等、これでもかと世俗的な要素が盛り込まれていました。こういうものは日本ではあまりみられないので、とても新鮮でしたね。

 

 

続いて残念だった点について書いていきます

①脱出シーンがさっぱり

②アレハンドロの下半身真っ黒案件

③ネタバレしまくってしまった…

 

①脱出シーンがさっぱり

最後に主人公は食人族から脱出&彼らを守ることになるんですが、その場面がかなり淡泊というか、さらりと進んでいくんですね。逃がしてくれた子供とのやり取りは良かったのですが、脱出から保護までの流れはもうちょっと盛り上がってもいいのかな…と。まぁしかしこれはネタバレを見まくって臨んだ自分に大きな原因がありますね…。

 

②アレハンドロの下半身真っ黒案件

最終盤に生き残ったアレハンドロが映っている衛星画像が映るのですが、そこで何故かアレハンドロの首から下が真っ黒なんですね。あれはなんだったんでしょうか…。まさか、狂ってしまって自分のアレを…?どうにも気になってしまうところです。

 

③ネタバレしまくってしまった…

これは「ヴィジット」の時にもやってしまったのですが、こちらの地域でやらないものと思ってしまい、事前にとことんネタバレを見てしまっていたんです…。だって公式サイトにも載ってないんですよ!?やらないと思うじゃないですか!

ネタバレを見てしまったので、答え合わせの様に見てしまったんですね…。これに懲りて本当に観たい映画はネタバレを絶対に見ず、こちらの地域でやると信じて待つことにします…。

 

 

■〆

いや~、凄惨なショックシーンあり、堅実な物語あり、痛烈なメッセージあり、下世話さもありと、今まで観たことないものが観れた、とてもいい映画体験でした。自転車で往復100分漕いで観に行ったかいは十二分にありましたね。強烈な映画で始まった2016年ですが、今年もなんとか色々観ていきたいと思います!

 

(因みに、この映画館では3月にウルトラマンを観る予定です)

 

 

映画:「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」についてヒナタカさんと話したよ+補足

グァァァァアアアアアアオオオオオオオオウウウウウウウウッッッ!!!!!!!!

光光太郎です。

 

ブログでもゴジラ記事を書き、

 

bright-tarou.hatenablog.com

bright-tarou.hatenablog.com

 

HuluやAmazonプライムゴジラ映画を観まくり、

GODZILLA ゴジラ(吹替版)

 

映画秘宝読んだり怪獣黙示録読んだりしてゴジラ熱を高めに高めて!!!遂に!!!!

 

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

 

を観てきましたよ!!!

ってなわけで、今回は自ら「話しませんか?」と脅しをかけ、ヒナタカさんと今作について話し合いましたよ!前説で20分!合計1時間越え!!!深夜テンション!!!!!!

 

 

 

■ヒナタカさんとゴジラトーク

www.youtube.com

 

■鑑賞後ツイート

 

そしてちょろちょろと補足をば。

■小ネタの数々

ゴジラの泳ぎ方➡ミレニアムシリーズ

・世界各国で出現する怪獣達➡怪獣総進撃、FW

・音波で怪獣を操る➡怪獣大戦争怪獣総進撃、超ゴジラ(ゲーム)
・人を喰う怪獣➡サンダ対ガイラ
・ギドラの呼称がモンスターゼロ➡怪獣総進撃
ゴジラを目覚めさせるんだよ!➡FW、VSギドラ
・人間が病原菌➡機動武闘伝Gガンダム 
外来種により侵食される生態系➡ガメラ2 レギオン襲来
・人間と怪獣の共闘➡VSスペゴジ、ガメラ2 レギオン襲来
・マグマの中から登場するラドン➡空の大怪獣ラドンにおけるラストの反転
・戦闘機パイロットを正面から捉えたショット➡空の大怪獣ラドン
・裏切りまくるラドンスタースクリーム
・瞳の表現➡VSシリーズ、FW
・海底古代都市&怪獣と共生➡対メガロのアトランティス
・ギドラの引力光線➡飯塚定雄さんの光線まんま!

光線を描き続けてきた男 飯塚定雄


ゴジラに力を分け与えるモスラ➡VSメカゴジラ、GMK
・怪獣を操るキングギドラX星人、キラアク星人
・クモンガ!!
・臥して拝む怪獣達➡アニゴジ(笑)
・溶ける鉄塔➡初代
・怪獣DNA密売組織➡VSビオランテ
チャンツィー姉妹➡小美人&三枝みきポジション
・どうみてもマーティンスコセッシな人いたね?
・南極での対立構図➡VSキングギドラ
・バーニングゴジラ➡VSデストロイア

・タッグ戦➡対ガイガン、FW

モナークやGチーム➡VSシリーズのGフォース

・科学者達が主役➡本多猪四郎イズム

 

■ゴング

今回は遂に「ゴジラのテーマ」が流れます。あれが初めて流れた瞬間意識が飛びかけましたが、更に素晴らしかったのがギドラとゴジラが対面してバトルに入る時にかかるシーン!ゴジラのテーマは怪獣プロレスのゴングであるのは勿論、人間が怪獣に立ち向かう時の音楽でもあるわけです。

モナークの戦闘機がギドラに攻撃をしかけ、ゴジラへと視点が移っていくのをワンカットで見せるあのシーンに乗せられたゴジラのテーマ…これに上がらないわけがない!!モンスターバース前作の「キングコング 髑髏島の巨神」でも怪獣と人間の共同戦線が大きな見せ場になっていましたが、それを最高の形で踏襲していましたね。

 

次回作「ゴジラVSコング」では是非に、キングコングを讃えるあの音楽を流してほしいね!


伊福部昭 - キングコング対ゴジラ (1962)

 

 

■ドハティ監督の作家性

今作の監督はマイケル・ドハティ。インタビュー等を読むと生粋のゴジラオタク…いやゴジラ教の信者としか思えない偏愛ぶりが垣間見えます。

eiga.com

こちらの記事から少し引用すると、

何にだって、どんな映画にだって、ゴジラを加えればより良くなると僕は思っている。想像してごらんよ、「スター・ウォーズ」にゴジラを足したら、やばいだろ? 「七人の侍」だってさらに良くなる。54年版の「ゴジラ」にゴジラを足したら、ゴジラがダブルで登場してさらにやばい。

映画人というのはやはりぶっ飛んでいますな(笑)。

そして、彼の作家性を如実に表すようなことも答えています。

――ゴジラの持つ“役割”は、各作品によって異なるように思えます。今回、どのような役割をゴジラに与えましたか。

ゴジラは、人類ではなく自然に対する守護者だ。人類が自然のルールに沿って生きている限りは、人類の味方になるだろう。一方で自然に敵対すれば、彼(ゴジラ)は自然の守護者であるため、人類とも敵対する。「ゴジラの役割が作品によって変化する」のではなく、人類の行動によって彼の行動が変わるのだと僕は考えている。そしてキングギドラが自然を脅かすのであれば、当然戦うことになるんだ。

ドハティ監督は今作以前の作品達でも似たようなテーマ「伝説には敬意を払え」ということをずっと貫いているように思えます。監督脚本を務めた前作「クランプス 魔物の儀式」ではクリスマスの伝統を蔑ろにした子供が一家まとめて酷い目に合う話でした。

クランプス(吹替版)

クリーチャーデザインとオチが秀逸!

 

同じく監督脚本を務めた「トリック・オア・トリート」は、ハロウィーンの伝統を重んじない奴らが酷い目に合うオムニバス形式の映画。両作とも共通しているのは「伝説を馬鹿にすると痛い目に合う」「伝説を象徴する怪物が、罪を犯した者を罰する」という展開ですね。ここら辺はそのまんまキング・オブ・モンスターズの「地球を守護する怪獣達による文明破壊」に当てはめることが出来ます。

ブライアン・シンガーのトリック・オア・トリート?(字幕版)

オムニバスです!という前提で観ような

 

監督ではありませんが「ルール」は都市伝説もの、「スーパーマンリターンズ」もスーパーマンという「軽視されつつある伝説」が再び威光を取り戻すような展開でしたので、やはり「伝説と人間の関係性」はドハティ監督ならではの要素と言えるでしょう。

 

こんなにモンスターバースにぴったりな方が他にいるでしょうか??これまでは割と低予算かつティーン向けの作品が多かったですが、ハリウッドの巨大マネー&本家本元の東宝と協力することによってそのイマジネーションとオタク・スピリットとやる気が大爆発した結果が「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」なんですねぇ。

 

■温故知新のゴジラ

ゴジラというのは非常に多面的なキャラクターであり、時代や作り手の変化によって様々な存在へと変貌していきました。それらすべてを受け止め納得させるだけの存在感、許容性があるからこそ、今日までゴジラは世界中の人々に愛され(あるいは憎まれ)ています。

 

ならば今回のゴジラはどうなのか?ギャレゴジで示された「地球の守護神」「環境のバランサー」の路線を更に突き詰めたことで、まるで地球がそのまま怪獣化したような、「地球を守る怪獣王」となっています。これは「ゴジラ対ヘドラ」での環境破壊に怒りを燃やすゴジラや「ファイナルウォーズ」での「俺のシマを荒らす奴は許せねぇ!!」というゴジラに近いですね。(今作はやたらとヤンキーの抗争の様に見える場面が多い)

 

更に言えば、平成ガメラの立ち位置に非常に近い。特に「ガメラ2 レギオン襲来」とは「地球の生態系を破壊する外来種と戦う地球の守護神」というプロット含めてそっくりです。人を喰う怪獣達、主役怪獣により家族を殺された主役という面でも、やはり平成ガメラの影響を感じます。

 

つまりモンスターバースにおけるゴジラは過去の特撮作品で散々使われてきた要素の集まりであって、正直新鮮味は薄い。しかし、焦点を「実在した伝説=地球と人間の関係性」のみに絞り、歴史や伝承の構築によってリアリティを高め、ハリウッドのド迫力映像で魅せることによって、今まで誰も観たことがないゴジラ像を作り上げているわけです。(環境破壊によって目覚めた古の存在…正に初代ゴジラですね)

 

キングコング対ゴジラ

3作目にしてコメディ要素が強いキンゴジ。まぁ東宝特撮としてはここまでにかなりの作品を手掛けているので、シリアス一辺倒もどうなの?というテンションだったのかもしれんが。

 

■それでいいのか!人類よ!

散々絶賛してきましたが、ツッコみどころやおざなりな箇所も非常に多い映画です。むしろ、そうしてでも怪獣達をドンドン出してバンバン戦わせるという方向性に振り切っていると言えるのですが…。とにかく、楽観的で雑な展開が多い!

 

まずは誰もがツッコむであろう、オキシジェンデストロイヤー!初代ゴジラを倒した超兵器であり、悲劇の天才科学者芹沢博士が作り上げた「原水爆以上の脅威」である兵器と同じ名前だが、何の前振りもなく登場する!!3km圏内の生物を死滅させると説明されるが、どんな理屈なのかは全く分からない!キノコ雲っぽいのが上がるので爆弾やミサイルの類かと思われるが、何故か魚たちがプカプカ上がってくる…というかモナークの人達には何の影響もないのか!!!

個人的には単なる名前ネタで使うのは全然アリだが、それにしても捻りも何もないので面白くはない。アニゴジ前日談の小説「プロジェクトメカゴジラ」におけるオキシジェンデストロイヤーの扱いが非常に見事だったこともあり、今回の扱われ方には正直ガッカリだ。

 

次に放射能の問題。元々ゴジラは水爆大怪獣、歩く原子力発電所なので、ただ町を通り過ぎるだけでも大量の放射能をまき散らす。モンスターバースのゴジラもこれを踏襲しているはずだし台詞でも放射能について語られるのだが、あの世界では「被ばく」が無いとしか思えない程描写が緩い。

特に顕著なのは最終決戦で、ゴジラがとんでもない量の放射能をまき散らしている!というセリフの後に防護服も何も無しで地上へ降りていくモナークの面々。正気か!!!!

まぁ…日本のゴジラ作品においても放射能の危険性について言及し続けるのは「シン・ゴジラ」位なので、描写の緩さを責めるのはお門違いなのかもしれんが…。

 

楽観性が極まるのはエンドクレジット。ソイヤ!ソイヤ!と非常にノリのいいお祭り音楽が流れる中、怪獣が本格的に活動を始めたことで地球環境が回復してます!エネルギー問題も解決の見込み!!というニュース文言が次々と流される!

いや…今回の騒動で多分1000万人以上の人が死傷してるはずだし、そもそも怪獣は動くだけで被害をもたらす自然災害なので明るいニュースの裏でとんでもない数の人が死にインフラが崩壊しているはずなのに、そこを一切言わない!劇中で怪獣に襲われる直接的な恐怖等は何度も強調されていたが、それをぶっ飛ばすほどの怪獣崇拝ぶりだ。それでいいのか!人類よ!!

かえせ!太陽を

 

■〆

こんなに長い補足があるか(笑)?とにかく、日本が生んだ恐怖の象徴、多様性の象徴、人間の過ちの象徴…様々な姿を見せてきたゴジラの新時代が幕を開けたことは揺るがせない事実。このお祭りを是非映画館で体感して欲しい!!!!!!是非に!!!!!!

映画:ザ・バニシング -消失- ~君が選んだことだろ?~

こんにちは。光光太郎です。

 

厭な話、後味が悪い話ってのは非常に需要があるもので。私もかなり好きで色々観るし読むんですが、そんな思考を逆手に取られた、恐い恐い映画を観てきました。

 

というわけで今回は、1988年作品ながら今年日本初公開の

 

ザ・バニシング -消失-

 

の感想を書いていきたいと思います。ネタバレしまくるから注意だ!!!!!

 

www.thevanishing-movie.com

 

 

■鑑賞後ツイート

 

 

ザ・バニシング-消失- [DVD]

 

■失踪もの 

今作はいわゆる「失踪もの」で、旅行中突然いなくなってしまった恋人サスキアを探すレックスと、彼女を連れ去ったと思われる男レイモンの両者の視点が交互に描かれていく構成になっています。

 

人がいなくなる映画は洋邦問わず多くあります。失踪の理由を追ったり、誘拐犯との交渉を見せ場にしたりと、焦点を変えることで様々なエンタメを生み出してきたジャンルです。

 

フライトプラン (字幕版)

私の年代で失踪ものと言えばコレ!

 

では今作における「失踪もの」としての面白みは何か?

それは好奇心を逆手に取った構成でしょう。何故サスキアは誘拐されねばならなかったのか?どんな目にあったのか?よく言われることですが、謎を主眼に置く失踪ものはタネを明かされると途端に物語のテンションが落ちてしまいます。

 

これを見事に克服し、恐ろしくも熱い展開へと昇華させたのは「バニーレークは行方不明」「ゴーン・ガール」位だと思っていましたが、今作はこの2作とは全く異なる方策「ラスト数分前まで被害加害者共に『失踪』へ好奇心を持ち続ける」という大胆すぎる方法で、恐ろしいほど綺麗に物語を集約させます。失踪ものが全部こんなのばっかりだと辛いけども!!!

 

バニー・レイクは行方不明 (字幕版)

名作失踪サイコサスペンスミステリー

 

■強制的な感情移入 

ちょっと目を離した隙に子供がいなくなっている、いつまで経ってもトイレから戻ってこない……先ほどまで一緒にいた人が突然いなくなってしまい慌てるというのは、誰もが幾度も経験したことがあるでしょう。この「いなくなった……?いない!やばい!」が序盤のクライマックスになるんですが、この描き方が非常に上手い。リアルすぎる。

 

例えば、買い物から帰ってこないサスキアを心配するレックスは一度彼女を探しに行こうとします。しかし離れている間に戻るかもしれない…どうしよう…よし、メモ書きを残せば安全だ!となり、メモをワイパーに挟んで探しに行く…。この心理、絶対誰もが経験あるはず。登場人物の心情を観客側が自らくみ取りにいくよう仕向けられているわけです。

 

ここまでくればもう、完全にレックスに感情移入してしまいます。サスキアが向かった店内へ行き聞きこみするも有力な情報は得られず、あまつさえ邪険に扱われる、「それがどうした?」位にしか対応されない。張り裂けそうなほど心配しているのに、夫婦喧嘩の延長としか見られない…事の重大さを他者と共有できない状況になっています。これも大なり小なり経験がありますね。しかもここでは音楽が流れず、周囲の雑踏が聞こえるのみ…ますます焦ります。

 

「失踪もの」序盤の醍醐味は、何が起こっているのか分からずただひたすら心配することだと思いますが、これを忠実に行っているわけです。そしてこれは、前述した通り観客の感情移入を容易にし映画へのめり込ませるためのテクニックでもあると。

 

しかしこの映画はレックス視点のみでいくというぬるま湯に浸らせてはくれません。なんとサスキアを誘拐したであろう犯人、レイモン視点の話が始まります。謎が明かされても更なる謎に引き込まれる、正にサイコパート。

 

サイコ (字幕版)

何度観ても面白い、サイコサスペンスの決定版!

 

■犯罪者=探究者の心理

劇中でレイモンが犯人だと明確に告げられるのは後半だが、初見で犯人がレイモンであることは誰しもが分かるだろう。つまり今作は「誰が犯人か?」で引っ張る話ではないのだ。何故彼が「誘拐」という悪事を決行しようとしたのか?という理由を、時制を遡って探っていくのがレイモンパートだ。

 

前述(何回使ってんだ)の通り、彼には強い好奇心がある。実行する度胸、準備を重ねる慎重さ、努力を惜しまない姿勢…何よりも全てを楽しそうに行っているからこその愛嬌…こう言うと面白いキャラクターの様だが、その通り非常に魅力的な人物だ。良き家庭人として家族を支えているし、大学教諭としての職にも就いている。その好奇心が「究極の悪とは何か?」に向けられなければ、こんなことにはならなかったろう。

 

ダークナイト (字幕版)

余談だが、人生最初に震え上がった「悪」は「ダークナイト」のジョーカー

 

感情移入を重視したレックスパートとは異なり、レイモンパートでは彼の心情に同調できる箇所はほぼ無い。しかしながら、その行為は実に魅力的に映る。トライ&エラーを重ね誘拐計画をブラッシュアップしているというのに。観客はレイモンという人間にどうしようもなく好奇心をそそられてしまうのだ。感情の赴くままに遊ぶ子供の様にも映るので、庇護欲をそそられもするだろう。一切感情を吐露させることなく、行動の積み重ねだけでここまで魅せる手腕に脱帽。

 

興味だけで人を殺すクソ野郎を魅力的に映してしまう…先ほどまでは被害者であるレックスに共感していたはずなのに…この感情のグラつきに気付いた時、もうこの映画が恐ろしくて面白くて仕方なった。感情移入をコントロールされる、これぞ映画だと。

 

というかね、何度も何度も繰り返される「ナンパシーン」がコミカルすぎるんだよ!!!笑うけど怖いわ!!!!!ジャケットのボタンを閉めるな!!!!!!

 

■欲望の結果を突きつける〆

綺麗に3分割された今作。失踪が起こるレックス視点、犯罪者の心理に迫るレイモン視点、そして2人が交差し対峙するラストパートだ。ここに至って観客は、自分の好奇心=こういう映画が観たい!という心理を逆手に取られ、2人の探究者の心情と完全にリンクする。彼らの破滅的行為、残虐行為の片棒を、観客は背負わされることになる。

だって、結末知りたいから!!この面白い映画のラストを観たいからさ!!!!だから、レックスには「コーヒー」を飲んでもらわないと「困る」んだよ!!!!!!!!

 

そして結末…敢えて詳細は書きませんが、サスキアとレックスに起こった事態に関してはあっさり風味。しかしその意味を考えると、彼らがどこにいるのか、レイモンの表情の意図を考えると…レイモンが導き出した「究極の悪」とは、家族を愛する自分自身を傷つけ続けることだったのかもしれません。

 

人間の業というものをシンプルにシンプルに突き詰めて描き切った、もうここまで来たら人間賛歌とも思えるような、奇怪な失踪ミステリでしたよ。

 


映画『 ザ・バニシング−消失−』予告編

「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」公開前に、ゴジラの思い出を振り返る

こんにちは。光光太郎です。

 

5月31日に「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」が公開されます。

2014年のレジェンダリー版、ギャレス・エドワード監督「GODZILLA」の続編にして、モンスターユニバースの最新作。

 

www.godzilla-movie.jp

 

アニゴジがありシンゴジがありレジェゴジがありと、ここ数年でゴジラ最新作が立て続けに発表されていますが、2014年以前は全く考えられなかった事態です。そもそも「巨大特撮」というジャンル自体が風前の灯火でした。いや〜本当に、本当にいい時代が来てくれた…!!生まれた時からゴジラを浴びてきた身としては、感無量ですよ。

 

いや、別にゴジラシリーズが最高絶対の映画シリーズである!とまで思っていません。ドラマが冗長だったり怪獣バトルが地味だったり過去映像使いまくりだったりと、色々タルい所も多い。しかし、ゴジラシリーズや東宝特撮映画にしかない魅力は確実に存在し、だからこそ20年以上も惹かれ続け観続けているんです。

 

という訳で今回は、私がゴジラ・コンテンツとどう関わってきたか?を綴っていければなと。回顧録

 

 

 

◼幼少期 〜VSシリーズ〜

父がゴジラシリーズを始めとした特撮作品好きで、幼稚園時代から色々見せてもらっていました。この時期に観たのは「ゴジラ(1954)」「ゴジラ対メカゴジラ」「ゴジラVSメカゴジラ」かな?これらか「ロッキー」か「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」が映画初体験だったはず。

 

ゴジラ [DVD]

この正方形のDVDだった!

 

まぁまだ昭和ゴジラによく出てくるガキよりもずっと年下だった私ですから、ゴジラを見せられても全く分からないわけです。父が隣で「核の脅威が…オキシジェンデストロイヤーが…怖いゴジラが…」と説明してたらしいんですが、幼稚園児が分かるわけない。

話のスピードが早い上に登場人物も台詞も多く(よく聞こえないし)、大胆な省略カットも多用されているので映像を追いかけるだけで精いっぱい。映画として真面目に、しっかりと観れるようになれたのは大学入ってからだったな…。

しかし、人間が全く太刀打ち出来ない存在であること、海の中で神秘的に科学的に死んでいくゴジラの姿は痛烈で、その不可思議さ、理解できなさがあるからこそ、当時にウルトラマンガイアやギンガマンを観ても初代ゴジラの印象が全く弱体化しなかったのだなと。

 

ゴジラVSメカゴジラ[?嶋 政宏][Laser Disc]

これはレーザーディスクですが、VHSも似たようなパッケージだったはず

 

何回も繰り返し観ていたのはVSメカゴジラ。レンタル落ちじゃないビデオがあったので、そりゃもう毎日の様にビデオデッキを回してましたよ。この頃は「ロボット、怪獣、ヒーローが出ないモノはクソ」というとんでもない偏屈野郎で。「怪獣と合体ロボが戦う」話はドストライク。家にメカゴジラのフィギュアがあったこともあり、メカゴジラVSタイムロボαとかを妄想しながら遊んでましたね。よく覚えているのは、無音で引きの画で演出されるラドンの登場シーンと、調査隊が岸壁にいる中で海から現れるゴジラのシーン。すげぇ怖い!!!!

 

ゴジラ対メカゴジラ」は…とにかく首折りシーンばかり観てましたね(笑)。父が幾度も巻き戻して観てました。メカゴジラへの変身シーンも巻き戻してたかな?

 

こういった歪んだ英才教育を受けながら自分でもテレビマガジンの特集や図鑑等で自習を進め、小学校入学前には一端のゴジラ少年へ。ウルトラ怪獣ガメラ等についても勉強しましたが、やはり「怪獣王ゴジラ」は別格として認識してました。ヒーローかヒールか?には無頓着でしたかね。

 

あと特筆したいのはヘドラ。映像は観てなかったんですが、父から「最強の怪獣」として紹介され、どんな怪獣なんだ?どんな戦いなんだ?と必死になって調べてました。実際観てみたらとんでもない映画だったわけですが(笑)。

 

◼小学生低学年 〜白目からFWまで〜

 知識を得れば、映画館で観てみたいと思うのがオタクの常。 2000ミレニアム、メガギラスに行きたい!と懇願するも叶わず。やっと行けたのは小学1年生になってから。2001年冬のこと。そう、「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」。

 

ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃

同時上映は「劇場版 とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険」。ゴジハム君持ってたね。

 

 このGMKは、初の1人映画体験でもありました。よりにもよってこれが初(笑)。

とにかく映画館で観たくて、母と妹が別な映画観てる間に私一人だけゴジラ。やたらリアリティーある映画が始まって戸惑う…というか、必死に食らいついて観てた気が。唯一覚えているのは、最後ゴジラの体をぶち破って潜航艇さつまが出てくるシーン。強烈なあおりで海から出てくるゴジラが非常に印象的でしたよ。

パンフレット買ってもらったんですが、怪獣解説よりもメイキング重視の内容で、なんでキングギドラに人が入ってるんだ?とか思いながら、不思議な本だなと思いながら読んでましたねぇ。

 

そして機龍2部作。これは父と一緒に行きました。ハム太郎では寝てましたね(笑)。

 

ゴジラ×メカゴジラ <東宝Blu-ray名作セレクション>

 とんでもなくカッコいいポスター。メカゴジハム君。

 

ゴジラ×メカゴジラ」、もう機龍にやられてしまいました。こんなにカッコいいロボット怪獣がいるのかと。間違いなく怪獣なんだけど、外部武装によって醸し出されるミリタリ感が最高なんですよ。あのケーブルとかね!武装一つ一つに漢字の武器名が振られてるのにも燃えた。

何より感動したのは病院を襲うゴジラを超スピードのタックルで吹っ飛ばすシーン!あの一瞬が今作の白眉だと思いますね。スピーディーかつ柔軟な戦闘を行う機龍とゴジラもカッコよい。

 

これには父も感動したらしく、えらくデカいフィギュアを買って飾ってましたね。

東京SOSの思い出はあんまり無いな…(笑)。アブソリュート・ゼロの代わりに三連メーサーが搭載された、って設定には熱くなりましたが。

青島文化教材社 ゴジラ×メカゴジラ MFS-3 3式機龍 全高約24cm 色分け済みプラモデル GO-01

青島文化教材社 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS MFS-3 3式機龍 改 全高約24cm 色分け済みプラモデル GO-02

 SOS版の機龍はバックパック等の紺色がないのでヒロイックさに欠けるのよね

 

ここら辺で確かスカパーにてゴジラ特集が組まれ、過去のゴジラ作品(エメリッヒ版含め)をバンバン放映していたんですよ。そのCMにて初めて対ヘドラの映像を観た…衝撃でしたね。

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落とし穴でヘドロを流し込まれてもがくゴジラ…最強怪獣であるはずのゴジラが蹂躙されるのは、自分の価値観や理想、夢等を全部ぶち壊された様なショックでした。映画を観たら更にショック、というよりわけが分からなかった(笑)。これも高校か大学辺りでようやっと理解できるようになりましたよ。

 

2004年、ゴジラ最終作と銘打たれた「ゴジラ ファイナルウォーズ」も勿論劇場に観に行きました。この映画が評判悪いってことはTwitterやるまで知りませんでしたよ(笑)。ゴジラ怪獣大集結!大興奮で行きました。CMで観たクモンガ・ジャイアントスイングが好きで好きで、よくマネしてました。

ゴジラ FINAL WARS

このポスターにワクワクしないわけがない

 

冒頭で語られる怪獣対人類の歴史、怪獣が世界各地に現れることを報告していく通信士、各都市を蹂躙する怪獣たち、満を持して登場する最強最速の怪獣ゴジラ!!非常に燃えるシーンの連続に手に汗握ってねぇ…。「怪獣総進撃」という前例があるものの、当時は観てなかったし、恐らく観ていたとしても、今作の方が面白い!と言ったでしょうね。

 

ファイナルウォーズはプロレス的な、ゴジラとあの怪獣が戦ったらどうなる?を短いスパンでドンドン見せていくわけですが、これに小学生の妄想脳は大変影響を受けまして。もう観た後は「俺が考えたファイナルウォーズ」を空想しまくりました。劇中でゴジラは南極から東京を目指すわけですが、北極からは地球の切り札として機龍が出撃し、各怪獣達と戦いながら東京へ突き進む…戦うのはビオランテ、スペースゴジラ、オルガ、メガギラス等、ゴジラと関りがある怪獣達。ジェットジャガーも一緒に戦うとかも考えてたかな(笑)。

 

ファイナルウォーズ以降、ゴジラ映画はギャレゴジまで作られず…。更に言えばウルトラマンシリーズもメビウスで終わり…怪獣コンテンツ冬の時代がやってくるわけです。巨大特撮はスーパー戦隊のみ…私も特撮よりかはロボットアニメ畑に移行していきました。

 

◼中学から高校 〜昭和シリーズ掘る〜

 

この時期ではもう殆どゴジラを観なくなっていて、年1、冬に行事として観る位でした。たまにスカパーでゴジラシリーズがやれば観る、父がDVD引っ張り出して来たら観る…それくらいでした。

その中でも、観ていなかった昭和シリーズをちょいちょい観ていましたね。ぼんやりと…。ここら辺は幼少期よりも記憶がないんですよ(笑)。本当にゴジラ冬の時代だった…。

 

いや、確かファイナルウォーズの前後辺りに、地元の美術館でゴジラ展がやってたな。劇中使用された模型やスーツが展示されてて、父と一緒に行った思い出があります。

 

◼大学 〜パシフィック・リム、そしてギャレゴジ〜

大学1年生、2013年。あの、映画史としても、特撮史としてもエポックメーキングとなる映画「パシフィック・リム」が公開されました。勿論劇場で鑑賞。冒頭の出撃シーンで涙を流し、香港決戦では興奮しすぎて死にそうになるなど、それはもう楽しみました。Twitter始めたのもここらからで、特撮史やデルトロを絡めた様々な感想、評論を漁りに漁ってましたなぁ…。

 

パシフィック・リム(吹替版)

 

そして、ハリウッド版ゴジラ、ギャレス版ゴジラが公開されたのが2014年。ファイナルウォーズから10年。まさか、またゴジラを映画館で観ることが出来るとは!!人間を皆殺しにする怪獣王ゴジラを楽しみにしていた身としては、あの絶望的な予告に心底ワクワクしましたよ。

 

 

 当時こんなこと言ってるけど、相当嬉しかったですよ。観てみたらVSものだったし、ゴジラは結局人間の味方っぽいし、想像とは全然違いましたけど。「タメにタメての熱線」やられたら、そりゃ燃えるに決まってる!!!!!!

 

 

この頃はシリーズ化が明言されていただろうか?モンスターユニバースやキングコング映画が発表されていただろうか?覚えていないが、間違いなく巨大特撮界隈は大いに盛り上がっていた。ウルトラマンギンガも始まったしね。

 

 

◼大学 〜シン・ゴジラという現象〜

シン・ゴジラ

そして2015年。満を持して 、日本でゴジラを作るぞ!という知らせがやってくる。

 

 ここら辺で長めの予告が投下された。

www.youtube.com

 

 

とまぁ初報からのツイートを色々漁ったわけですが、実の所ここまで期待一辺倒でない空気もありました。正直手放しでほめられるゴジラ映画って殆どないし…手掛けるのがアルティメットオタクな庵野監督と樋口監督というのもあり、マニア向けで終わるのでは…?との心配も…。

 

 

いやぁ不安がってますね…。そして、遂に公開。

 

 

 あまりの面白さ、その衝撃。今ゴジラ映画を作った意義。初回終わった後すぐに次の回のチケットを買ってました。その後は色んな友達と観まくり、1人でも観て、再上映でも観て…合計で8回位は観てるはず。それでも全く飽きないのは、映画鑑賞体験のデザインが余りにも見事だからでしょう。

 

ゴジラ映画が内容も批評もオタク受けもよかった。何よりも日本のマジョリティの興味を引き面白がらせることが出来た。SNSだけでなくマスコミでも取り上げられ、興行収入が80億円を超え(HEROや海猿よりも上)、日本アカデミー賞では10冠達成。

 

TVではウルトラマンも列伝枠から外れて単独作のオーブが作られたし、怪獣コンテンツは完全に蘇ったのだ!!!

 

bright-tarou.hatenablog.com

前ブログで書いたシン・ゴジラ感想記事。長いよ!!

 

bright-tarou11253350.amebaownd.com

 同じく前ブログで書いた、福島での展示会レポート。今では全国巡業してるとか。

 

◼社会人 〜アニゴジ戦争勃発〜

さて、シン・ゴジラ公開後、今度はゴジラをゴリゴリのSFとして、アニメでやるとの発表が。しかも脚本はあの虚淵玄まどマギ、鎧武、サイコパス、楽園追放の虚淵玄となれば期待も一入ですよ。

www.cinematoday.jp

虚淵玄は様々な作品において、ジャンル的お約束事に論理的視点を盛り込んできました。なので虚淵ゴジラは、ゴジラという存在を問い直し再定義化する作品になると予想していましたが、これはほぼその通りだったかと。

 

アニゴジ、もとい「GODZILLA 怪獣惑星」を観たのは社会人1年目の頃。

 

GODZILLA 怪獣惑星

 

本当にね…思考実験としてはとてつもない面白さなんですよ。数々の怪獣が出現した怪獣東宝特撮世界を、リアルな視点で語りなおしたらどうなるか?ゴジラや怪獣に負け続けた人類はどうなるのか?何故ゴジラは無敵なのか?正に虚淵節と言える、理屈積み重ね台詞のカタルシスに飲まれる、あの感覚。しかし、映像面でお遊びや革新性がほぼ無いってのが痛すぎるんですよね…。

 

この後、アニゴジは続編が発表され最終的には三部作となりました。え!?続編あるの!!??ってのをとんでもないネタバレフライヤーで知った方も多いのではないでしょうか。

 

アニメーション映画『GODZILLA 決戦機動増殖都市』オリジナルサウンドトラック

 

2作目の決戦機動増殖都市、メカゴジラ編はアニゴジで一番好き。

 前作ではゴジラ抹殺=人の尊厳を奪い返すことだったが、今作ではこの構図が壊され、人であることを捨ててでもゴジラを殺すのか?と問われる。生態系を支配(生物が模倣、順応した?)して地球そのものと化したゴジラを倒すために自己進化を重ね、原形を留めない都市型へと変貌したメカゴジラもまた、その是非を問うている。

シン・ゴジラ東宝特撮の過去作品が「怪獣出現という事象にどう対応するか?」という問題解決型だったのに対し、アニゴジは「怪獣出現によるイデオロギーの変化」を扱っているのだろう。

 

3作目、最終章でキングギドラ。星を喰うもの。

いやこれは全然ダメですね…。1、2作目の悪点だった「つまらない会話シーン映像」が滅茶苦茶増えた上に「変化に乏しい戦闘シーン」も激増。論理的を超えて観念的になった問答の数々…全く擁護できませんね。明確な良点を挙げるならば、キングギドラの初登場シーンでしょうか。キングギドラが常識外の存在であることをこれ以上ないほどの論理的台詞の応酬と迫りくる「首」で示す…ここはアニゴジでも屈指の名シーンでしょう。あ、あとセックスの直喩もありましたね。最高!

 

アニメーション映画『GODZILLA 星を喰う者』オリジナルサウンドトラック

 

そして当然と言うべきか、興行面では鳴かず飛ばず…。こちらのサイトのデータでは、2作目を合わせても興行収入が5億以下…。元々Netflix資本のアニメ作品として企画されていたものを劇場用にしたらしいので痛手はないのかもしれませんが…。

pixiin.com

色々と文句を言ってきましたが、怪獣を巡る思考実験として無類の面白さがあるのは間違いありません。ゴジラメカゴジラキングギドラそれぞれが「何故強いのか?」という説明も過去作オマージュがふんだんに込められていますしね。

 

まぁでも前日談小説2冊の方が圧倒的に面白いけどね!!!!!!!

GODZILLA 怪獣黙示録 (角川文庫)

GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ (角川文庫)

両作ともAmazonレビュー平均点が4.5!!!

東宝特撮映画ユニバース新解釈として、SF短編として、何よりも最強怪獣小説として、無類に面白い!!!!ここで描かれるゴジラはアニゴジ時のゴジラよりかなり小型のはずだが、間違いなく過去最強最悪のゴジラだ。世界各地で怪獣が出現する、ゴジラが神の如く強いなど、「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」の小説版と言っても過言ではない!!!

 

◼現在 〜新たなるゴジラへ〜

 さて、長々と振り返ってきましたが、ここで〆にしましょう。

 

5月31日には「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」が公開。そして2020年には「ゴジラVSコング(仮)」が、2021年以降には日本産ゴジラ作品の公開も仄めかされています。

style.nikkei.com

神格化された初代ゴジラ、キャラクターとしてエンタメに特化していった昭和ゴジラ、進化した特撮技術の粋を見せつけデザインの完成形を示したVSゴジラ、ifを見せていったミレニアムシリーズ、そして新時代を切り開いたハリウッドゴジラ、シンゴジ、アニゴジ。

キャラクター力の高さにより存在や解釈が多様化してきたゴジラは一種のメディアと化していると思います。ゴジラを用いて何を語るか?どんなエンタメを魅せるか?幅があるからこそハリウッドと被ることなく日本独自の色が出せる。ハリウッドがプロレスなら、日本はアニメでイデオロギーだ!残虐だ!絵本だ!小説だ!!

 

社会人として真っ当に金を貢げるようになった今、ゴジラが復活してくれるのは心の底から嬉しいですよ…!ゴジラの為に金をためろ!残業をしろ!出世しろ!そして湯水の様に金を出せ!!!!!

 

なかよし ちびゴジラ (講談社の創作絵本)

がんばれ ちびゴジラ (講談社の創作絵本)

 

寛容になれ!!!!!!!!!!!!!!!!

映画:シン・ゴジラ ~超面白い日本映画~

こんにちは。光光太郎です。

 

5月31日、遂にゴジラ映画最新作「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」が公開されます。

 

これに合わせて!以前のブログで書いた「シン・ゴジラ」の感想記事、クソ長い感想記事をお引越し!!!敢えてほぼ手を加えずに当時の熱量そのまんまで掲載!!!

 

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ワクワクもんですね。

光光太郎です。

 

以前私は「シン・ゴジラ」の予告から一つの志が見えると書きました。「日本でしか作れない、最高の映画を作ってやる」という志です。

 

遂に公開された「シン・ゴジラ」を観た時、その志は確かに存在し、成し遂げられていることを確信しました。復活した日本製ゴジラ映画が、怪獣映画としてだけでなく、日本映画としても無類に面白い…これは間違いなく、2010年代を代表する、日本映画作品になるでしょう。

と言うわけで今回は、

 

シン・ゴジラ


のネタバレ感想を書いていきたいと思います。

 

 

 


■あらすじと解説

ゴジラ FINAL WARS」(2004)以来12年ぶりに東宝が製作したオリジナルの「ゴジラ」映画。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の庵野秀明が総監督・脚本を務め、「のぼうの城」「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の樋口真嗣が監督、同じく「のぼうの城」「進撃の巨人」などで特撮監督を務めた尾上克郎を准監督に迎え、ハリウッド版「GODZILLA」に登場したゴジラを上回る、体長118.5メートルという史上最大のゴジラをフルCGでスクリーンに描き出す。内閣官房副長官矢口蘭堂を演じる長谷川博己内閣総理大臣補佐官赤坂秀樹役の竹野内豊、米国大統領特使カヨコ・アン・パタースン役の石原さとみをメインキャストに、キャストには総勢328人が参加している。(映画.comより引用)

 

シン・ゴジラ

 

■感想

1954年に公開された「ゴジラ」。特撮映画の金字塔にして、呪いでもある存在です。1作目の公開後、国内外問わず様々なゴジラ映画が作られてきました。しかし、私達受け手にとっても、作り手にとっても、ポップアイコンとなったゴジラのイメージがあるためか、どの作品も「初代ゴジラありき」なものとして映ってしまいます。

 

これまで日本で作られてきたのは「ゴジラ」の映画。

エメリッヒ監督が作ったのは「ゴジラという生物」の映画。

ギャレス監督が作ったのは「ゴジラという存在」の映画。

ならば庵野総監督達が作ったのは、「ゴジラ映画」の映画であると言えるでしょう。

 

そもそも、ゴジラ映画とはなんなのか?…ゴジラが登場するものか?着ぐるみやミニチュアで表現されているものか?怪獣同士が戦うものなのか?

 

シン・ゴジラ」は、今一度ゴジラ映画というものを0から考え、再構築された映画でした。まるで初代ゴジラが作られた時の様に…。そこで目指されたのは、良いゴジラ映画ではなく、面白い映画でしょう。甘えを捨て去り、徹底的に拘り、最高の日本映画を作る。それが、「シン・ゴジラ」に貫かれていた、とても太い軸です。

 

 

ゴジラ


■再構築したゴジラ映画

シン・ゴジラ」で再構築されたゴジラ映画…それは「ゴジラに日本が立ち向かう姿を、その時代のリアルで描き、絶望と希望をエンターテイメントで示しきる」ことだと思います。次の4つの特徴から、それが分かります。

 

①リアルな映像で日本対ゴジラを見せる

シン・ゴジラ」でのゴジラは、CGです。また、空撮された映像に合わせて、戦闘ヘリや戦車、電車、建物など、様々なモノがCGで描かれていました。これまでの日本ゴジラ作品は「ミニチュア特撮、着ぐるみ特撮の王道」という印象でしたので、この一報を聞いたときは衝撃でした。ハリウッドの大作作品と比較すれば、予算もスケジュールも微々たるものであるのは、「シン・ゴジラ」が日本映画である以上明白です。

 

しかし、それでもCGを選んだ…それも、特撮を愛してやまない庵野総監督と樋口監督によってです。それは「ゴジラ映画をリアルに面白く描くには、今ならばCGが最適だ」と判断したからでしょう。ミニチュアや着ぐるみで作るからゴジラ映画なんじゃない、ゴジラという虚構を魅せるのに最適な技術を使うのが、ゴジラ映画なんだと。

これは、特撮が「ゲテモノ」と評されていた時代に、初代ゴジラを作ったクリエイター達の「怪獣が東京を破壊する姿をリアルに描くには、どうすればいいか?」という思考に敬意を払った、素晴らしいモノづくり精神であると思います。

 


『シン・ゴジラ』予告

 

断言します。この選択は間違っていなかったと。フルCGで描かれたゴジラと、空撮などによる実写映像、そして所々でミニチュアを使用した倒壊シーンなどが組み合わされた映像は、ミニチュアや着ぐるみ特撮では不可能な表現となっていて、今までに観たことが無い、リアルなゴジラ映画を作っていました。そんな本作の映像の魅力は、密度と分かりやすさ、そしてゴジラにあると言えます。

 

シン・ゴジラ」では、とにかく映像の密度が凄まじいんですよ。例えばゴジラとの戦闘シーンでは、空撮の映像が多用されています。実際の過密都市東京を撮影した映像なので、情報量もリアルさも段違いでした。そんな「現実の東京」を舞台にして繰り広げられるゴジラ自衛隊の戦いは、正に現実そのもの。銃撃や砲撃の破壊力も細かく表現されていて、これもまた密度が高い。私はこの映画で初めて、爆撃機の恐ろしさを痛感しました…。

被害を受ける街や建物も「そう壊れるだろう」という描き方になっており、震災の記憶も新しい今に見ると、かなりキツいです。船舶が川にひしめき押し出される様子などは、津波の映像そのものでした。終盤での東京大破壊シーンの迫力と惨状の表現には絶句するのみでした。ヤシオリ作戦におけるビル倒壊描写も、CGだからこそ出来た超絶密度の映像であると言えるでしょう。

 

ここまで情報過多の密度にした理由は、現実を描き切るためだと思います。ゴジラという存在は嘘でも、ゴジラによって引き起こされる被害や事象は現実のものとして表現されていました。近年、大規模な震災を重ねて経験した今だからこそ、街が壊れるという姿をエンターテイメントの中で逃げずに、現実として描くことが必要だったのだと思います。

映画の内容に合わせて整理され意味づけされたフィクション映像ではなく、私たちの目が普段処理している膨大な視覚情報をそのまま映像にしているような、そんな印象を受けました。

 

報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災

 

この様な情報過多な映像ではありますが、分かりやすく楽しみやすい構図作りによって、煩雑な印象はありませんでした。インタビューを読むと、庵野総監督はピクセル単位で構図を指定していたらしく、画作りへの拘りは推して知るべきでしょう。

 

なぜ密度の高い、情報量過多な映像にも関わらず分かりやすいのか…それは位置関係を把握しやすく、広い視野で見る構図になっていたからでしょう。ゴジラとヘリが相対するシーン、戦車がゴジラに砲撃する場面を超俯瞰で映すシーン等が顕著ですね。

 

画面の端から端まで使った構図であるにも関わらず、砲撃やミサイル等の軌跡によって、視線の誘導が巧みに行われていました。激しさやドラマチックなカメラワーク、構図ではなく、ドキュメンタリーやニュース映像の様に淡々と事象を映す撮影になっていたことも、分かりやすさの一因でしょう。

 

高密度の映像と分かりやすい構図作りによって、あり得る現実を直視させること。これがCGと実写のハイブリット映像の根っこにある指針だとするならば、そこへ全くの嘘であるゴジラを現実として描き、かつ、嘘としても描くこと…。この矛盾する2つの要素に、今回のCGゴジラは挑戦していたと思います。

 

庵野秀明プロデュース シン・ゴジラ 第4形態 雛型レプリカフィギュア 全長約1055mm ソフトビニール製 塗装済み完成品

 

まずデザインからして、今回のゴジラはかなり異様です。細部はこれまでのゴジラと全く異なるのに、全体のフォルムで見るとゴジラに見えるんですよね。フォルムそのものが異なっていたハリウッドのゴジラ2体とは異なるアプローチで作られた、新しいゴジラです。

 

ケロイドの様にも、マグマの様にも、筋肉の様にもみえる赤い皮膚…むき出しの歯…瞼の無い鋭い眼…異様に発達した足と異様に小さい腕…巨大すぎる尻尾…事前に明らかになった姿から初代ゴジラや大怪獣総攻撃のゴジラを思い起こさせますが、その2体とは異なり「こいつは本当に生物なのか?」と疑問を抱くほど、無機質な印象も受けます。しかし、CGで作られているはずの体には、着ぐるみやミニチュアが持つ実在感がありました。フィクションのアイデアを現実へ落とし込んだ雛形模型を準備して、そこからCGでリアルに描いているんですね。

一見回りくどい手法ですが、これによって生物らしいゴジラではなく、現実にいそうな怪獣として、また、嘘である特撮怪獣としてのゴジラになっていました。デザインの時点で現実と嘘が混在していたわけですね。

 

そして劇中でその姿を披露するのかと思いきや…なんと陸上でのたうち回る超気持ち悪い黄色のゴジラが出現!血らしきものを吹き出しながら、むき出しの大きい目をぎょろつかせ、大地に身をこすりつけながら街を蹂躙するその姿は、痛々しくとも必死に生きようとする生物にも、文明を否定する悪夢的存在にも見えます。

ただまぁ、正直、初登場した時はあまりの衝撃に爆笑してしまいました。その後ゴジラは進化を続けていき、事前告知の様な姿へと変わっていきます。

 

ゴジラ ムービーモンスターシリーズ ゴジラ2016(第二形態)

 

今作では、ゴジラがどんな生物でありどこが弱点なのかを、少ない手がかりを基に偏屈オタク軍団が解析を試みるシーンが無類の面白さになっています。平成ガメラシリーズ、特に2で顕著だった「怪獣を科学的に分析していく」プロセスの面白さ、カタルシスに満ちているわけですが、これによってゴジラと言う嘘が、現実味を帯びた存在、認識できる存在へと徐々に変化していくんですね。同時に、ゴジラにとってお馴染みの「放射能をばらまく」という特徴を始めとした怪獣王らしいスペックが現実の中に現れるという恐ろしさも、より一層際立っていました。

 

しかしいくらリアリティを持ってゴジラが分析され正体が明かされていっても、それはあくまでも物語上の話であり、映像で映し出される姿は嘘そのもの。現実の街に質感を伴った嘘がいる…という、奇妙な感覚を抱かせる映像でした。怪獣映画に限らず、CGや模型で描かれた空想上の物体が現実の街並みに登場するというのは、もう見慣れ過ぎた映像ですが、現実に嘘がストンといる不思議さ、恐ろしさを改めて味わえる映像だったんです。

嘘なのか現実なのか、判断が曖昧になる中で容赦なく現実の街並みが、ゴジラに壊されていく…建物単位ではなく街単位で燃えていく景色…。しかし、この感覚は誰しもが、近年味わったことのあるものだと思います。震災や痛ましい事件の報道映像を見た時の、非日常が一瞬で日常を飲みこむ様を目の当たりにしたあの感覚に「シン・ゴジラ」で得られる感覚は非常に良く似ています。この感覚を抱かせんが為に、病的なまでのリアルさへの拘りと、そこへ嘘か現実か測りかねるゴジラを放り込んでいるのでしょう。

 

ゴジラとの戦いがCGで描かれたことによって、日本人にとって身近な光景を、ゴジラと言う存在が蹂躙する映像が出来上がっていました。ミニチュアや着ぐるみと言った「怪獣特撮の王道」ではなくCGを選んだことにより、ド迫力な映像は勿論ですが、ゴジラが街に現れると言ったお馴染みの映像へ、何層にも重なった意味を持たせていたんですね。この時代にゴジラを復活させること…それを考え抜かれて作られた作品であることが、映像を見るだけでも伝わってきます。

 

 

②リアルな物語で日本対ゴジラを見せる

①では映像が如何にリアルかについて触れましたが、「シン・ゴジラ」では政治家を中心にした作劇と、リアリズムを追求した演出によって、リアルな日本の物語になっていました。

 

今作で主人公となるのは、長谷川博己演じる若き内閣官房副長官、矢口です。庵野総監督達による綿密な取材によって収集された政府周辺の情報によって、政治家を中心にした「ゴジラが現れた時、政府はどう動くか?」という作劇が作り上げられていました。矢口以外の主要登場人物も殆どが役所の人間であり、徹底して行政側の視点で描かれています。

 

そして今作の作劇における最大の特徴は、ドラマチックな物語ではなく、連続した事態のみを描いたドキュメンタリーのような作劇になっている点でしょう。ゴジラと戦うだけでなく、ゴジラを政府がどう認識するのか、どう発表するのか、どうやって自衛隊出動の理屈を作るのか、どう避難指示を出すのか…そもそもそれらを行うためには何が必要なのか…ゴジラ映画を問わず、日本の対応というものをここまでのディティールで描いた作品は、そう多くないでしょう。

 

anan (アンアン) 2015/07/29号 [雑誌]

 

この様な「怪獣という未知の危機が現れた時、日本はどう動くのか?」をシミュレートした映画には1984年版ゴジラ平成ガメラ等がありました。それらの作品群と比べると「シン・ゴジラ」は、一般人の視点を物語に入れていないため、表面的な感情ドラマ、人間関係ドラマが削除されており、最もドキュメンタリックな怪獣映画になっています。ゴジラという嘘以外は、全部本物にしてやる!という気概を感じますね。

 

怪獣映画と言うのはどこか観念的な話が多くて眠くなるな…と心のどこかで感じていた私にとって、この路線はとてもありがたかったですよ…!ただリアリティを突き詰めた結果、非常に尖った爆笑ブラックコメディにもなっていましたね。日本ではこういった「体制を笑う」コメディは中々ないので、嬉しくもありましたが。

 

そして、庵野総監督が「つまらない部分もそのまんまに描く」と発言するように「前例の無い事態にはめっぽう弱い」「なんでも会議を通さないといけない」「法律が無いと動けない」といった、行政におけるいかにも日本的なシステムの不自由さもそのまんまに描かれていました。

 

これによって「見当はずれな上に遅い政府の初動」「避難指示すら出せない東京都」といった、物語上のサスペンスが生まれています。同時に、そんな不自由な日本の中で現実的な手段を用いて、「仕事」として黙々とゴジラに立ち向かっていく人たちのドラマを、真正面から描くことにも繋がっているんですね。SFメカも超天才博士もオキシジェンデストロイヤーも他の怪獣もいない、私たちが普段生きているこの平凡な日本がどうやってゴジラ出現に対応するのかを逃げずに描いてくれます。

 

日本沈没

この映画の影響大きいよね

 

しかし、こういったリアルな作劇が行われる時は、得てしてその実態を知らないと何が何だか分からないお話になってしまうことが多いです。専門用語だらけの台詞に、手順の分からない仕事を延々見せられる映画を思い浮かべるだけで、眠気が襲ってきます…。

シン・ゴジラ」でも、台詞は長ったらしい専門用語だらけで法律や政治の話が多く、科学の深い話題もてんこ盛りな挙句に登場人物は全員超早口で喋るのですが、全く眠くならないんですよ。理解できない話をされても、何をどうしようとしているかが、演出によって分かる様に演出されているんですね。そもそも、全ての台詞の意味を理解させるテンポにせず、その人が話していることはこんな内容だろうなと、語句の意味ではなく話し方で意味を理解させる様になっていました。

 

その上、その場を観たことない人にも「その場はこうなっているんだろうな」と思わせてくれるんですね。私は政府での話し合いも自衛隊のやり取りも全く知らないですが、日本に根付いた価値観の中で行政のトップに上り詰めた人たちは、こういう話し方や話し合いをするだろう、これが現実なのだろうと、スッと受け止めることができたんです。つまり「シン・ゴジラ」では、現実を知らない人にも現実を想起させる工夫がなされているんですね。役所ではこう使われてそうだなぁという小道具使いが徹底されていることも、その一因でしょう。

 

ドキュメンタリーの様にリアルな政府のゴジラ対応を描きながら、政府の実態を知らない私達にも「現実っぽい!」と思わせてくれるディティールの数々によって、私たちは見たことも聞いたことも無いはずの「日本対ゴジラ」を、現実として受け止めることができたんですね。

 

 

③絶望を描き切る

ドキュメンタリーの様に現実を切り取った映画だからこそ、叩きつけられる絶望はより大きなものになります。「シン・ゴジラ」では、ゴジラによる絶望と、合理主義社会による絶望とが、一切の甘えなく描かれていました。

 

前述した通り、ゴジラは現実の街を容赦なく蹂躙していきます。第2形体時は全高が低かったこともあり、圧倒的な「何か」「災害」によって街と人が襲われていく様子がまじまじと映し出されます。マンションが襲撃されるシーンでは逃げ遅れた人が巻き込まれる姿をしっかりと映していましたし、破壊後に映される「靴」は、命あるものが消えたことを、嫌が応にも意識させます。終盤で死者を写真付きで報道するニュース映像でも、同じ嫌さがありました。そして長回しでの車吹き飛ばし前進によって、理解できない脅威が文明を破壊していく様を、逃げ場無く見せつけられます。

 

ゴジラの絶望に絶句するのは、何と言っても夜のシーン。暗闇に赤い肌を燃やしながら進む姿は、理不尽な暴力の権化にも、人間社会を憎むドス黒い存在にも見えます。そして米軍の攻撃によって触発されたゴジラは、背びれを紫色に発光させ、異形な口をあらわにして黒煙を放出。黒煙が街中に広まったのちに灼熱の熱線を放ち、街を焼き尽くす…かと思いきや、熱線は見る見るうちに収束して紫の放射熱線となり、遥か上空にいる米軍爆撃機を撃墜します。その後も続く米軍の攻撃ですが、なんとゴジラは背びれから複数の熱線を放出し、爆撃弾ごと米軍爆撃機を撃墜し、そのまま口からの放射熱線で東京を破壊しつくします。

 

シン・ゴジラ ムービーモンスターシリーズ ゴジラ2016 クライマックスver. (ボーイズトイショップ限定)

 

放射熱線の前座に過ぎない熱線で東京の大地はマグマと化し、街並は燃え、東京駅周辺は放射能で汚染されてしまう…地獄絵図です。米軍の爆撃によって焦土と化した1945年の東京や、近年の地震災害、原発被害をどうしても思い起こさせる惨劇。第3形態の時に、逃げ遅れた老人2人に構わず攻撃を仕掛けていたら…等と考えてももう遅く、私たちは、起こってしまった状況をただただ観ていることしかできませんでした…。

 

こういった直接的な被害だけでなく、矢口をリーダーとする巨大不明生物特設災害対策本部が、ゴジラの人知を超えた能力を明らかにしていく過程でも、驚異の生物として絶望を与えていきます。「シン・ゴジラ」のゴジラは、真っ当な理屈でも、力でも、その存在全てで登場人物にも観客にも、容赦のない絶望を叩きつけるんですね。

 

未知への飛行フェイル・セイフ (字幕版)

合理主義が世界を滅ぼす

 

しかし、そんなゴジラ以上に私達を絶望の底に叩き落とすのは、他ならない人類、合理主義で人類全体を考える西側諸国でした。他大陸への被害を防ぎ、アメリカの情報秘匿を隠すため、ゴジラに対しての熱核攻撃が国連で決定されます。確かに、ゴジラと言う地球規模の脅威を完全に抹殺するには、熱核攻撃によって焼き尽くす方法が確実かもしれません。

この条件を飲めば、日本は世界各国から復興の援助を得ることが出来るようにもなっていました。合理的に考えれば、国連、アメリカの案を受託することが正しい選択でしょう。が、核を使うということは、ゴジラによる被害以上に東京を壊滅させることになり、日本の中心地へ長らく残り続ける放射能をばらまくことになります。何より、今一度、日本に原爆を落とすという事実そのものを、決して受け入れることは出来ません。しかし、熱核攻撃を使えば、ゴジラを消滅させる可能性は高くなる…。

 

合理的な考えによって叩きつけられる「熱核攻撃」という選択と、それをどうしても認められない日本人としてのジレンマ。攻撃のカウントダウンが進む中、どうしようもできない気持ちが渦巻くこの状況は、ゴジラ以上に切迫した絶望を感じさせます…。

 

街を破壊するゴジラと、合理主義で切り捨てを要求する世界という、物質面と精神面でどうしようもない危機を叩きつけてくる「シン・ゴジラ」。こんな状況に対して、現実世界の延長線上である「シン・ゴジラ」の日本は、どこまでも日本らしい方法で立ち向かっていきます。

 

 

④ダメな日本と、日本の希望を示しきる 

前述した通り、今作では日本的システム、日本的考え方のダメダメさが痛烈なブラックコメディのように描かれていました。実際、頑固過ぎて柔軟に動きづらい体制のせいでゴジラの被害が大きく広がってしまったことは否めません。しかし、初動に当たっていた閣僚の方々は無能だったのではなく、日本と言う存在を存続させるために、日本のシステムの中で最善を尽くしてきた人達として描かれていたように思えます。話し合いの中でも議論が止まることは殆どありませんでしたしね。

 

ただ、だからこそどうしようもなくダメだとも言えるのですが…。政府陣営だけでなく、避難誘導が出ても携帯で撮影をしまくったり、すぐにSNSやネットに書きこんだり、被害を出したゴジラを守れ!と深夜に官邸へ攻め寄ったりする民間人がいたりと、現実の日本にあるダメダメさがありありと描かれていました。(官邸前で抗議を続ける声を無視して寝る役人たちの姿も、かなりブラックコメディ色が強めでした)

 

シン・ゴジラ劇伴音楽集

 

そんな日本の「リアルな」ダメさ加減が次々と映し出されるのに対して、日本の日本らしい良さも示されていました。それは「仕事を黙々とこなすこと」と「人徳と協力」です。

矢口率いる巨災対のメンバーや自衛隊等、劇中の人物達は自らの仕事として割り当てられたこと、やるべきことを黙々とこなしていきます。何か個人的な思想があるとかではなく、国民のために働くことが仕事だから、そのために一途に頑張る…私たちの考え方の根っこには、仕事に務めるという意識が必ずあるはずです。

 

これは社畜思想として悲観されがちではありますが、どんな絶望的な状況の中でも決して諦めず、コツコツと仕事をする姿には、胸が熱くなります。現実の問題は、大天才1人によって解決されるものではなく、その場にいる1人1人が仕事をすることで解決されていくのだということが分かります。

 

そんな対応も報われず、ゴジラと熱核攻撃による危機にさらされる中で、日本はそのどちらへも立ち向かっていくことになります。ボロボロになった日本に示される希望は、今まで日本が大切にしていた考え方である「人徳と協力」でした。各所へ頭を下げ、コネと繋がりで協力を求めていく様子は、どこまでも日本らしいものです。そして、東京で核攻撃は使わせない!という気持ちと仕事を通して繋がっていく役所と民間企業、そして日本を信じて協力してくれる米軍と世界各国の研究機関…日本の、日本らしいダメさを散々観た後に、日本がこれまで大事にしていた日本らしい精神によって危機に立ち向かっていく展開は、同じ日本人として感動を禁じ得ませんでした…。

 

日本には確かにダメなところがありますが、でも、でも、それも日本なんですよね。そんな「ダメな日本」だからこそ、日本の良い点が育っていったんだなと信じられる物語でした。ここまでの段階で情報量とスピード感によって私達観客もボロボロにされているので、登場人物達とシンクロしてしまい、日本の希望の光が胸にくるのかもしれません…。

 

振り返ると「シン・ゴジラ」は、リアルな映像で日本対ゴジラを見せること、リアルな物語で日本対ゴジラを見せること、絶望を描き切ること、ダメな日本と、日本の希望を示しきることによって、「ゴジラに日本が立ち向かう姿を、その時代のリアルで描き、絶望と希望をエンターテイメントで示しきる」ことを行っていたんですね。

そして、この再構築されたゴジラ映画に対して全力で立ち向かった役者陣の好演無くしては、「シン・ゴジラ」は成立しなかったでしょう。

 

 

■329人の役者魂

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今作では総勢328人+1人という、大勢の役者さんが参加しています。それも、1人1人が主役をはれるような方ばかりであり、超豪華な日本役者映画にもなっていました。

ところがどっこい、「シン・ゴジラ」では私たちが普段触れるであろう演技や演出とは異なる方向へ、全力で向かっていました。箇条書きにするだけでも、

 

・全員が超早口&専門用語台詞ばかり

・超ドアップで顔を映す(化粧した顔とかではなく、毛穴まで見えるようなリアルな顔)

・身振り手振りといった動きのある芝居はほぼ無し

・身の上を語るシーンはほぼ無し

・喋らずに演技だけで表現するシーンはほぼ無し

・大体のシーンが話し合いのみ

・主役級以外は登場時間が5秒くらいしかない

 

と…感情の起伏をゆっくり楽しむとか、余韻を残すことを全く考えていないんじゃないかと思えるような描写の数々です。これらを考えても、今作において作為的なドラマチックさが排除されていることがよく分かります。

 

シン・ゴジラ」で目指された演技、役者の演出とは、ここでもやはり、リアルさなのでしょう。そのリアルさは情緒的な台詞ではなく、それぞれの役者の顔と、これまでの経歴、短いながらも全力を感じさせる迫真の顔&台詞演技によって表現されていました。つまり、役者個人の人生と、役者としての技量が合わさったものが、今作での登場人物達なんですね。

前田敦子に至っては「世間が前田敦子に対して抱いているイメージ」を最大限活かし、茶化したような人物として、短い時間ながら存在感を発揮していましたし、平泉成さんは正しく平泉成であり、また、平泉成という役者が演じてきた役そのものの様な人物として描かれていました。

 

シンプルに言うと、登場人物の顔を見た途端に「この人物はこういう奴だろう」「こいつは今こう考えている」と分かる様な演技と演出になっているんです。だからこそ、5秒も出ていない登場人物達1人1人の人生が見事に切り抜かれていて、それらが早いスピード感で積み重ねられていくことにより、フィクション物語と言うよりも現実物語が構築されていきます。「シン・ゴジラ」は、328+1人分の役者魂が集結した、骨太な日本役者映画だと言えるでしょう。真似したくなる台詞が多いことも特徴的ですね。

 

…ところで、先ほどから+1人という表記をしていますが、これは今作のゴジラモーションキャプチャーを務めた方の事を指します。それが何と、野村萬斎ゴジラにも演者の魂が入っていたのですね…着ぐるみ特撮への敬意を感じます。もしや、第2形態などのモーションキャプチャー等も務めているのでしょうか…メイキングが楽しみですね。

 

ここまで誠実な作り手として庵野総監督達の手腕を評してきましたが、忘れてはいけないのは彼らが生粋の「オタク」であるということです。それも、分かっている上にどこまでも拘るオタクです。

 

 

■オマージュと遊び

シン・ゴジラ」では、特撮作品等に対する溢れんばかりの愛がオマージュという形でも表出していました。私が気付いたものを、次に箇条書きにしていきます。

・冒頭、わざわざ昔の東宝ロゴを入れる

・冒頭からタイトルシーンまでの音楽の流れが初代ゴジラと同じ

・ファーストシーンが初代ゴジラと同じ構図

1984ゴジラを思わせる政治劇

・対戦ヘリが登場するシーンでかかる音楽のイントロがウルトラマンにそっくり

・モノラルだろうがぶち込まれる伊福部昭音楽

ゴジラの造形は初代ゴジラの要素がふんだんに盛り込まれている

・背びれの放射熱線がどう見てもイデオン

・燃え盛る東京にたたずむゴジラの構図が初代ゴジラと同じ

ゴジラとの決戦が、初代と対照的になっている

・薬は飲む方が効く

・散々壊されてきた電車や建物でゴジラに立ち向かう様子

・音楽でゴジラ史を遡るエンドクレジット

恐らく、これ以上にオマージュは存在するでしょう。特撮作品に限らずアニメや日本映画にもオマージュ元がありそうです。ただ、その描き方があまりにも愛に溢れすぎていて、気付いたときに笑ってしまうのですが(笑)。

 

シン・ゴジラ 無人在来線爆弾Tシャツ ブラック Lサイズ

 

さらにオマージュだけでなく、遊びに見えるような演出も多かったんです。しかし、どれもこれも無意味なものではなく、意味のある、作品になくてはならない遊びだったと言えます。

・頻繁に流れるエヴァの音楽

・緊急記者会見でもアニメを流す12チャンネル

ゴジラと言う意味の手話

・前半におけるコメディの様な編集

カップ

片桐はいり片桐はいり

無人新幹線爆弾、無人在来線爆弾

本当はもっともっと遊びの部分があったと思うのですが、とりあえず思い出せる範囲で…。

再構築したゴジラ映画、329人の役者魂、オマージュと遊び…これらが混然一体となり、どれ1つとしてかけても、「シン・ゴジラ」という作品は成り立たなかったでしょう。

 

オタク中のオタクである庵野総監督達ですが、今作は決してオタクのおもちゃになっているわけではないのです。固定観念に囚われることなく、ゴジラ映画を今一度作り上げるという拘り、ヒットする日本映画を作るという気概に満ちていました。「シン・ゴジラ」は、日本映画史で語り継がれる傑作となると思います。

ありがとう…本当にありがとう!「シン・ゴジラ」スタッフの方々!!!!

 

 

■欠点

ここまでは絶賛一辺倒でしたが、今作は少なくない、そして小さくも無い欠点がある作品です。どこをどう見ても普通の映画ではないので当たり前なんですが…。

 

①安いCG

今作におけるCG描写は、かなり高いレベルのモノであったと思います。それはゴジラや戦車、ヘリ、終盤の建物のCGを見れば納得の部分でしょう。しかし、時間が無かったのか、明らかに「安い」と感じてしまう部分もありました。

冒頭でのトンネル崩壊において落ちてくる瓦礫やゴジラの血は、がっかりするほど安さを感じるものでした。しかもかなり序盤の方に見せられるので、今作のCG技術を疑うような空気を作ってしまったことは否めません。その後に現れるゴジラのしっぽのCGも、確かに気持ち悪い嘘としての表現と言えば納得も出来ますが、パッと見の質感の安っぽさにばかり目が行ってしまいます。

その後も無人新幹線爆弾、無人在来線爆弾等で若干の安さを感じますが、ここでは画の迫力とアイデアそのものが素晴らしいのであまり気にならないんですね。やはり冒頭も冒頭であのレベルのCGを見せてしまったことが、作品全体のCGイメージを落とした原因だと言えるでしょう。

 

②すべてを台詞で説明

前述した通り、今作ではとてつもない量の台詞があり、ゴジラ登場時以外は常に誰かが喋っていると言っても過言ではありません。そういった作劇として素晴らしいモノになっていることは確かなのですが、映像で見せて欲しい部分まで全て説明台詞で済まされてしまうため、物語上の燃え上がりどころにおける「タメ」が不足しているように感じます。また、物語の核心や良い所も全て台詞で言ってしまう上に、やたらとハキハキ強調して喋る部分もあり、アニメっぽく見えてしまう箇所も多いです。日常生活で「福音」とか「覇道」とかは使わないと思うんですよ…。

画で見せるようなシーンがあると途端にフィクション味が増してしまう危険はありますが、せめて終盤に向けた準備描写では、民間企業側が役所と協力する様子、米軍隊員からの協力の申し入れ等を描いて欲しかったところです。

 

③音楽がオマージュ多し

今作では、ゴジラ音楽を作った伊福部昭の楽曲や、エヴァンゲリオンに似た音楽など、他作品を思い起こさせる音楽が多く使用されています。そのため、劇中何度も元になったものをイメージする時間が発生してしまい、「シン・ゴジラ」を観ているんだという感覚をブツ切りにされてしまうんですね。伊福部昭音楽に至ってはモノラルらしいので、かかった瞬間違和感が…。確かにオマージュ音楽等は燃えるのですが、それはあくまでも元作品ありきなものです。「シン・ゴジラ」では「シン・ゴジラ」の音楽で全編通してもらい、新時代のゴジラ映画体験を提供して欲しかったですね。

 

 

 

■超個人的感想

面白かった点

Windowsの日本とMacintoshのフランス

日本の役所が使用するパソコンは全て厚めのWindowsでした。それに対してフランスの研究機関はMacintoshを使用しています。こういった小道具使いで色々な違いを表現されると、何故だか無性に楽しくなるんですよね(笑)。因みに高橋一生演じるオタクもちらっとMacintoshを使っていましたが、私物なのでしょうか…。

 

②真似したくなる台詞の多さ

 

・え!蒲田に!?
・え、動くの?
・仕事ですから
・これはあまりにも酷すぎます!
・首を斜めに降らない
・骨太を頼むよ

 

声に出していいたい日本語ですよねぇ…。あと、無人在来線爆弾が並んで突撃していく様子が、スーパー戦隊シリーズでのメカ集合の構図に似ていたのも面白い部分でした。

 

残念な点

①英語の使い分け

劇中で石原さとみが英語を使うシーンとそうでないシーンがあるのですが、あれはどう使い分けられているのか…。鑑賞中ずっとノイズになっていました。英語自体はそんなに気になりませんでしたが。

 

②折り紙の意味

牧元教授が残した紙を折ることで、ゴジラに秘められた秘密を解き明かすことが出来たのですが、何故解き明かせたのかが全く分かりませんでした…。分析の過程をすっ飛ばして結論が述べられるので、折り紙になんの意味があるのかが謎なんですよね…。立体にすることで何かが分かるのでしょうが、何が分かるのか…。

 

 

 ■〆

何度も言うように、「シン・ゴジラ」は日本史に残る映画になるはずです。今作以降で日本の物語作りに「日本を描くこと」という革新が起こるかもしれません。何より、今、劇場に日本のゴジラがかかっているという事実が、ただただ嬉しい…。もう3回観ていますが、観られるだけ劇場で観ていきたいと思います。

 

日本映画史の転換点、最高のゴジラ映画を、今是非劇場でご覧ください!