映画:ザ・バニシング -消失- ~君が選んだことだろ?~
こんにちは。光光太郎です。
厭な話、後味が悪い話ってのは非常に需要があるもので。私もかなり好きで色々観るし読むんですが、そんな思考を逆手に取られた、恐い恐い映画を観てきました。
というわけで今回は、1988年作品ながら今年日本初公開の
ザ・バニシング -消失-
の感想を書いていきたいと思います。ネタバレしまくるから注意だ!!!!!
■鑑賞後ツイート
「バニシング 消失」を観た…。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年5月22日
面白い……けど重い…。ジャンルとしては失踪ものなんだが、エンタメはほぼなしでじっくりと、とある思いに囚われた二人の男の物語を交互に描いていく。見た目は地味だが画面内情報量は盛りだくさんで、これぞ映画だなと。あとあの劇盤ね!
「バニシング 消失」
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年5月22日
なんの楽器を使っているのか分からない、何を奏でているのかが分からない、ただひたすらに不快な劇盤が堪らない。しかもここぞという時にしか流れない。
■失踪もの
今作はいわゆる「失踪もの」で、旅行中突然いなくなってしまった恋人サスキアを探すレックスと、彼女を連れ去ったと思われる男レイモンの両者の視点が交互に描かれていく構成になっています。
人がいなくなる映画は洋邦問わず多くあります。失踪の理由を追ったり、誘拐犯との交渉を見せ場にしたりと、焦点を変えることで様々なエンタメを生み出してきたジャンルです。
私の年代で失踪ものと言えばコレ!
では今作における「失踪もの」としての面白みは何か?
それは好奇心を逆手に取った構成でしょう。何故サスキアは誘拐されねばならなかったのか?どんな目にあったのか?よく言われることですが、謎を主眼に置く失踪ものはタネを明かされると途端に物語のテンションが落ちてしまいます。
これを見事に克服し、恐ろしくも熱い展開へと昇華させたのは「バニーレークは行方不明」「ゴーン・ガール」位だと思っていましたが、今作はこの2作とは全く異なる方策「ラスト数分前まで被害加害者共に『失踪』へ好奇心を持ち続ける」という大胆すぎる方法で、恐ろしいほど綺麗に物語を集約させます。失踪ものが全部こんなのばっかりだと辛いけども!!!
名作失踪サイコサスペンスミステリー
■強制的な感情移入
ちょっと目を離した隙に子供がいなくなっている、いつまで経ってもトイレから戻ってこない……先ほどまで一緒にいた人が突然いなくなってしまい慌てるというのは、誰もが幾度も経験したことがあるでしょう。この「いなくなった……?いない!やばい!」が序盤のクライマックスになるんですが、この描き方が非常に上手い。リアルすぎる。
例えば、買い物から帰ってこないサスキアを心配するレックスは一度彼女を探しに行こうとします。しかし離れている間に戻るかもしれない…どうしよう…よし、メモ書きを残せば安全だ!となり、メモをワイパーに挟んで探しに行く…。この心理、絶対誰もが経験あるはず。登場人物の心情を観客側が自らくみ取りにいくよう仕向けられているわけです。
ここまでくればもう、完全にレックスに感情移入してしまいます。サスキアが向かった店内へ行き聞きこみするも有力な情報は得られず、あまつさえ邪険に扱われる、「それがどうした?」位にしか対応されない。張り裂けそうなほど心配しているのに、夫婦喧嘩の延長としか見られない…事の重大さを他者と共有できない状況になっています。これも大なり小なり経験がありますね。しかもここでは音楽が流れず、周囲の雑踏が聞こえるのみ…ますます焦ります。
「失踪もの」序盤の醍醐味は、何が起こっているのか分からずただひたすら心配することだと思いますが、これを忠実に行っているわけです。そしてこれは、前述した通り観客の感情移入を容易にし映画へのめり込ませるためのテクニックでもあると。
しかしこの映画はレックス視点のみでいくというぬるま湯に浸らせてはくれません。なんとサスキアを誘拐したであろう犯人、レイモン視点の話が始まります。謎が明かされても更なる謎に引き込まれる、正にサイコパート。
何度観ても面白い、サイコサスペンスの決定版!
■犯罪者=探究者の心理
劇中でレイモンが犯人だと明確に告げられるのは後半だが、初見で犯人がレイモンであることは誰しもが分かるだろう。つまり今作は「誰が犯人か?」で引っ張る話ではないのだ。何故彼が「誘拐」という悪事を決行しようとしたのか?という理由を、時制を遡って探っていくのがレイモンパートだ。
前述(何回使ってんだ)の通り、彼には強い好奇心がある。実行する度胸、準備を重ねる慎重さ、努力を惜しまない姿勢…何よりも全てを楽しそうに行っているからこその愛嬌…こう言うと面白いキャラクターの様だが、その通り非常に魅力的な人物だ。良き家庭人として家族を支えているし、大学教諭としての職にも就いている。その好奇心が「究極の悪とは何か?」に向けられなければ、こんなことにはならなかったろう。
余談だが、人生最初に震え上がった「悪」は「ダークナイト」のジョーカー
感情移入を重視したレックスパートとは異なり、レイモンパートでは彼の心情に同調できる箇所はほぼ無い。しかしながら、その行為は実に魅力的に映る。トライ&エラーを重ね誘拐計画をブラッシュアップしているというのに。観客はレイモンという人間にどうしようもなく好奇心をそそられてしまうのだ。感情の赴くままに遊ぶ子供の様にも映るので、庇護欲をそそられもするだろう。一切感情を吐露させることなく、行動の積み重ねだけでここまで魅せる手腕に脱帽。
興味だけで人を殺すクソ野郎を魅力的に映してしまう…先ほどまでは被害者であるレックスに共感していたはずなのに…この感情のグラつきに気付いた時、もうこの映画が恐ろしくて面白くて仕方なった。感情移入をコントロールされる、これぞ映画だと。
というかね、何度も何度も繰り返される「ナンパシーン」がコミカルすぎるんだよ!!!笑うけど怖いわ!!!!!ジャケットのボタンを閉めるな!!!!!!
■欲望の結果を突きつける〆
綺麗に3分割された今作。失踪が起こるレックス視点、犯罪者の心理に迫るレイモン視点、そして2人が交差し対峙するラストパートだ。ここに至って観客は、自分の好奇心=こういう映画が観たい!という心理を逆手に取られ、2人の探究者の心情と完全にリンクする。彼らの破滅的行為、残虐行為の片棒を、観客は背負わされることになる。
だって、結末知りたいから!!この面白い映画のラストを観たいからさ!!!!だから、レックスには「コーヒー」を飲んでもらわないと「困る」んだよ!!!!!!!!
そして結末…敢えて詳細は書きませんが、サスキアとレックスに起こった事態に関してはあっさり風味。しかしその意味を考えると、彼らがどこにいるのか、レイモンの表情の意図を考えると…レイモンが導き出した「究極の悪」とは、家族を愛する自分自身を傷つけ続けることだったのかもしれません。
人間の業というものをシンプルにシンプルに突き詰めて描き切った、もうここまで来たら人間賛歌とも思えるような、奇怪な失踪ミステリでしたよ。