映画:見えない目撃者 ~善と悪の継承~
こんにちは。
光光太郎です。
引っ越して間もない頃、近場の映画館で観た1作の邦画。久しぶりの映画館での鑑賞だった。「サバイバル・ファミリー」の時もそうだが、久々に映画館へ行くと心に響く作品と出会うことがある。
「見えない目撃者」もそうだった。まさか「魂の継承」の話、もっと言えば「ヒーローについての物語」だとは思わなかったので、号泣してしまった…。
というわけで今回は「見えない目撃者」の感想をさらりと書きたい。物凄く観念的な話になる気がする。
視覚障碍者の元刑事、なつめは誘拐事件の「目撃者」となる。しかし目が見えない彼女の証言を警察はなかなか信じない。なつめは事件現場にいたもう一人の目撃者、春馬と共に事件解決の為に奔走するが…。というのがあらすじである。
■鑑賞後ツイート
「見えない目撃者」観た!
— 光光太郎 (@bright_tarou) October 2, 2019
滅茶苦茶面白かった!ご都合主義や台詞ペラペラはあるけど、物語と人物心情ががっちり噛み合ってるので不自然さはない。序盤から積み上げられたドラマ・カタルシスに思わず泣いた。アイデアもざまぁ!もゴア描写も満載!!でも二時間越えは長いよ!
諦めていたけども、何か、何か出来ることがあるはずだ。ささやかな、何かにすがるようなこの思いが継承されていく。これ、小説仮面ライダー1971-1973なんすわ。泣くやん?
— 光光太郎 (@bright_tarou) October 3, 2019
ドラマ部分で割をくう吉岡里帆だが、演技ととあるシーンの愛嬌、何よりもあの仁王立ち!!!カッコよすぎるぜ!!! pic.twitter.com/ztMNHF3cFu
— 光光太郎 (@bright_tarou) October 3, 2019
視覚障碍者が殺人事件を調査する、あまつさえ犯人と対決する…というとジャンル映画的な面白さを期待してしまう。勿論その面もしっかりあるが、何よりも素晴らしかったのは前述した通り「魂の継承」だ。正義の継承と、悪の継承である。主役の吉岡里穂=なつめはあくまでも伝える側であり、真の主役は受け手である高杉真宙=春馬だろう。
悪はたやすく伝播する。思いは関係なくただ悪を目撃するだけで、凶行へのロマンは継承されてしまい、その犠牲者はドンドン増える。気に入らない世界に対する独りよがりの反抗という非日常に浸るのは、確かに心地いいだろう。
見るだけ、ひとりだけ、誰かを傷つけるだけ…簡単だからこそ悪は継承されていく。
対して、正義の継承は難しい。そもそも現状では、正しさが望まれることは少ないのかもしれない。いや、大人が子供に正しさを示す機会が無いのかもしれない。なつめと共に嫌々ながら事件を追うことになる春馬は、親にネグレクトされ教師からは見放され、社会に絶望しきっている。将来の道も見えない。また、事件に関わった刑事の吉野と木村も、やっかいな事件故になかなか調査に積極的にならないでいる。
しかし、なつめは「人助け」という、絶対に正しい行いを春馬と刑事に行動で示し続ける。本当に事件があるかどうかは分からないが、そこに向ける正義の魂にどうしようもなく心が動くのだ。なつめ自身も、何もゆるぎない心を持っているわけではない。彼女自身もまた、再び燃え上がった心火へ必死にすがり、なんとか自分を保とうとしているだけだ。そのもがきを見た人もまた、心が静かに燃える。
助けを求める人がいる、自分にも何か、何か出来ることがあるはずだ…春馬と刑事達にも徐々に正義が伝播していく過程は、ヒーローを目撃した人もまたヒーローになるという「ヒーローについての物語」であり「スパイダーマン2」なのだ。信じたい綺麗事の寓話である。泣くしかない。
正しいことを行うのは難しい。強力な悪によって傷つけられ倒れていく人もいる。しかし、その戦いを目撃して正義を目指す人も確かにいる。倒れた人たちの魂は、確かに継承されたのだ。最後に春馬が言うセリフ、号泣です。
継承される正義の話、いやさ「ヒーロー」の物語としての決定版です。今作を観て真っ先に連想したのがこれ。
映画:恋は雨上がりのように ~今、ここから走り出す~
こんにちは。
光光太郎です。
人におススメしやすい映画を挙げるのは結構難しい。どんな好みを持つどの年齢層の誰に対して何をススメるべきなのか…パッと出ないものだ。
しかし、同年代の、あまり映画を観ない人に対しては「勝手にふるえてろ」「ちはやふる」「恋は雨上がりのように」をススメている。どれも近作で有名芸能人が出ているので名前だけ知ってる、という場合が多いので取っつきやすいし、何よりも爽やかに面白いのでおススメしやすいと思う。
そして、本日Netflixをぼんやり観ていると来週配信予定作品に「恋は雨上がりのように」があった!!!!昨年の傑作邦画、漫画実写化作品だったのでてっきり感想書いたと思っていたがブログにしていなかったので、忘備録としてまとめてみる。
公開当時、ライターのヒナタカさんにお声がけ頂き、語り合ったラジオ。本当に「雨上がりのように爽やかな映画」ですよね…!!
■ざっくり感想
「恋は雨上がりのように」観た。
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 2, 2018
アイドル映画でヒューマンドラマで漫画実写作品な、アルティメット邦画爆誕。小松菜奈が映るだけで笑みが綻び涙を誘う。全部台詞で言っているようでも、肝心なところはさりげなく。おっさんとJKの恋愛ではなく、その二人だからこそ出来る成長をエンタメに。最高。
「恋は雨上がりのように」小松菜奈が泣くだけでこっちも泣けてくるんだが、一番泣いたのは靴屋のシーン。言動小道具に至るまで配された優しさと察しに、自然と涙が溢れた。
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 2, 2018
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 2, 2018
冒頭走り出すシーンだけで『いい映画観てる!俺今いい映画観てるよ!!』ってさせてくれる。最の高。
※ワンショットで繋ぐファミレス仕事シーンも最高。
■小松菜奈
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 3, 2018
で小松さんが見せる部屋着はいくらなんでも健康的にエロいだろと思ったが、原作準拠だった。
変態ツイートしかしてないが、今作で一気に彼女のファンになった。すらりと伸びた手足、切れ長の目…まるで本当にあきらのようだ。激似。「来る」の小松菜奈も良かった!
■大人感が増した店長を演じる大泉洋
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 2, 2018
店長を演じる大泉洋も少しオーバーアクト気味だが滅茶苦茶良かった。バイトの子が職務中に怪我したなら親御さんに会いに行くとか、コーヒーカップ渡すときに持ち手を相手に向けるとか、気遣いできる大人。
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 2, 2018
青春映画なんだけど、店長のことを思う小松菜奈のまぁ可愛いこと可愛いこと。美人系なのに、仕草が可愛い。こんな子にあそこまで言い寄られて、悩みながらもベストな対応を返した店長は大人の中の大人だ。
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 3, 2018
原作やアニメだと店長はあきらに肩貸すとき「セクハラちゃうセクハラちゃう!」って悩むシーンあるんだけど、映画ではカットして即助ける。こういう細かな改変がスピード感を生み、同時に店長の大人描写にも繋がる。見事すぎる。
■自ら足を止めていた人達が、もう一度走り出すまでのドラマ
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 2, 2018
アキレス腱切るっていう、大事だけど決定的な傷ではないものを全てのドラマに絡めてるので、話がすんごい分かりやすかったのも良かったな。
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 2, 2018
原作の展開と異なるとしても、喪失した、したと思っている人達が再び前を向くためのお話としてまとめたのがマジでいいね。
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 3, 2018
印象的に繰り返される「こんなところで何してるんですか?」という質問が、いい。これにどう応えるかが、本作のキモだ。
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 3, 2018
今回原作にもアニメにもない要素としてパラパラ漫画が追加されてるんだけど、あれもすんごくいい。
要素は揃ってる。後はめくるだけ。
■原作、映画のラスト解釈
なんで映画がこういうオチにしたか。
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 4, 2018
恐らく小松菜奈の演技に、そして大泉洋との化学反応にかけたからだと思う。正に映画というメディアでやる意義があるラストではないだろうか。
「恋は雨上がりのように」多分原作読んだ後に映画観てたらオチに少しガッカリしてたかもしれない。絵としても物語のオチとしても原作の方が大団円的だから。
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 2, 2018
でも、それでもやはり映画のオチは本当に素晴らしいと思う。小松菜奈と大泉洋の存在にかけたあのオチ。
ふせったーより引用
「恋は雨上がりのように」原作のオチでは店長とあきらは今後全く交流を持たないように見える。映画版では良き友人として支え合うようになる。決定的な違い。だのに、どちらも清々しく、納得のいく終わりに見える。
映画版のラストは原作と異なり二人は友達として連絡先を交換して終わる。これ原作のオチが示す意味とまるっきり違うやんと思ってたけど、もしかしたらあきら側から決定的な断絶を申し入れるシーンになってるのかも。
あきらは店長から背中を押され再び陸上を始めたけれど、確か面と向かって自分から断絶について持ちかける場面は、原作映画ともになかった気がする。
だとすれば、あの「友達として」発言は、自分で自分の恋心に決着をつけたということを、店長に伝えているシーンだったのではないだろうか。原作でもこの連絡先交換シーンはあるが、上手く文脈を変えて入れ込んだなと思う。
真っ正面から店長に恋の別れを告げたあの瞬間、彼女は雨宿りを辞めたのかもしれない。
■魅力的なキャラクター造形
「恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 3, 2018
実写版で一番素晴らしい改変、というかキャラクター造形の変更?は、はるかではないだろうか。原作では結構あっさり確執が解決するけど、映画ではエピソードを前後させたり色々して、すげぇいいキャラになってるんだよね。 pic.twitter.com/zfW3WuvZKK
「 恋は雨上がりのように」
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 3, 2018
メインの二人は勿論のこと、サブキャラ全員もアルティメットドはまり。特に前述したはるかと加瀬さん(アラン様最高!)、んで久保さん。久保さんは漫画だと一番デフォルメ効いたキャラなのに、濱田さんが演じると圧倒的な久保さん味を感じる。 pic.twitter.com/MVddmZgo7w
■原作、アニメ共に全部観た
さて……… pic.twitter.com/jj7IQdDLga
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 2, 2018
オチが完全にアニメオリジナルなんだけど、店長のオチとしては原作映画アニメトータルでアニメが一番好きかも。あきらのオチと関係性のオチはちと弱いかなぁ…。
— 光光太郎 (@bright_tarou) June 8, 2018
ふせったーより引用。
アニメ版恋は雨上がりのようにのラスト、店長の小説タイトルが「恋は雨上がりのように」だったのってアニメ版だけか?
■「フロントメモリー」最高。100回は聴いた。
抜群な掴み、清涼感溢れる演出の数々、さりげなく仕込む人間ドラマ、今ここから立ち上がるお話…「ロッキー」好きなオッサンにも、大泉洋大好きな若い子にも、アラン様推しの仮面ライダーオタクにもおススメしたい、大傑作邦画!!!ネットフリックスで観よう!!待ちきれないなら、レンタルだ!!!!
映画:ジョーカー ~俺の主観が最強よ~
こんにちは。
光光太郎です。
遅ればせながら「ジョーカー」を観てきた。時期的にもう観れないだろうな、と思っていたので散々ネタバレを踏んでいたが、まぁなんとか観れた。
ジョーカー、ひたすら煙草吸う姿がカッコいいよね。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年11月6日
これは「主観」についての映画だと思った。「気の持ちよう」でもいいかもしれない。
ホアキン・フェニックス演じるアーサーは最初、自分を弱者だと認識していただろう。病気持ちだし(恐らく)薄給だし頭もいいわけでなく字も汚いし喧嘩も弱い。だからこそ、助けてくれるはずのカウンセラーから軽く扱われても、ゴッサムスラムのガキからリンチされても、上司から理不尽に怒られても無抵抗だった。自分は弱者で何も出来ないのだからと。
序盤、彼は銃を手に入れる。肌身離さず「力」を持ち歩く。そして偶然、インテリチンピラを射殺してから、加速度的に彼の自己認識は変化していく。自分には力があるし、世間も自分を認識し始めた…自分への「主観」が変わった、自信を持ち始めたのだ。そこから彼はどんどん「カッコよく」なってゆく。コメディアンとして初めてショーに出ることにも挑戦した。
テンション昇り調子のアーサーだが、出生や母を巡る問題、そして憧れのコメディアンから馬鹿にされたことで、信じていた夢が瓦解してしまう。今まで彼を支えていた「主観」は一気に逆転し、憎しみの「主観」へと変貌するのだ。
そしてジョーカーへと変身する。信じたいものを信じ、やりたいことをやる。病気の笑いでなく、心から笑うためのことをするのだと。弱者を指差し笑いものにすることを「上品な笑い」と宣う奴を撃ち殺す。
アーサーは「主観」を転換させることで、自分が幸せになれる道を歩み始めたのだろう。社会道徳に照らし合わせればその行為は全く許されないが、クソの役にも立たず見向きもしない「客観」よりも「主観」なのだと。ある意味理想的な生き方だ。
「主観」は正しさとは別だ。アーサーの最初の殺人に意味を勝手に見出してピエロをシンボル化するのはマスコミや群衆の「主観」であり、アーサーの意図とは全く異なる。マレーの正しさは、一定の客層に支持される笑いを提供すること。アーサーの母親にも、トーマス・ウェインにも、ブルース・ウェインにも、彼ら自身の正しさの基盤となる「主観」がある。そしてそれは、他者の「主観」と相容れるとは限らない。
そもそもこの映画で語られていること自体、アーサーの妄想に過ぎないかもしれない。いや、誰が個人の「主観」を妄想であると断言できるのか?劇中、アーサーの憧れは絶望と憎悪へ変化したというのに…。
ジョーカーはバットマンのヴィランであるので、今作はヒーロー映画に対してヴィラン映画と言えるかもしれない。そして、私はヒーローに纏わる物語は全て教育物語、教訓を伝える物語であると思っている。では「ジョーカー」は反教育的な物語なのかと言えば、そうではない。むしろ生きる上での知恵を教えてくれている。
誰が何を考えているかなんて分からないんだから、信じたことを真実と思うしかない。
そして真実の対象にされた人は、その人にとってのヒーローやヴィランになる。
んでもって「真実」は変わりやすい。
これは日本の特撮ヒーローものでも散々テーマにしてきたことでもある。
さて、明日も空元気の「真実」を持って、仕事に行きますかね…。
オモチャ:子供たちを守るフォースエグゼキューター
こんにちは。
光光太郎です。
オモチャ、買ってますか?
このブログではあまり触れませんが、私は結構特撮ヒーローものが好きでして。そしてそのオモチャも好きで。中学生の頃は戦隊ロボをフリマや中古屋で買い集め、大学生になってからは仮面ライダーベルトに興じ、社会人になってからはもう歯止めが効きませんでしたね。
俺の誕生日プレゼントを用意してくださった20数名の皆様、そして直接購入してくれた友人T、本当に、本当にありがとう!
— 光光太郎 (@bright_tarou) November 27, 2015
これから毎日遊ぶよ!ありがとう! pic.twitter.com/f3p2ijn7fl
ヒーローのオモチャ。ギミックやなりきり、造形の素晴らしさを愛でるのは勿論なのですが、実際触ってみて感動するのは「遊びのデザイン」や「安全に遊んでもらうための仕組み」なんですよね。
仮面ライダーやスーパー戦隊、ウルトラマンのオモチャ達は3歳以上が対象なので、未就学児も遊びます。しかも基本的に戦う遊び=体を激しく動かす遊びになるので、安全であることが絶対条件でしょう。もし憧れのヒーローのオモチャでケガをしたり、させたりしてしまったら、子供たちの夢が壊れるだけでなく、彼らの人生において暗い影響を与えてしまうかもしれない…。
安全なオモチャで楽しく遊び、夢を育んでもらいたい…そんな思いをもって、様々な企業が工夫をしているわけですね。
つまり、安全への拘りというのは、子供たちへの思いの結晶であるんですよね。これを見つけた時、無性に嬉しくなるんです。絶対に取れない、じゃなくて、敢えて取れやすくしてる、とかもニッコリしてしまいます。
で、今日発売された「滅亡迅雷フォースライザー」にも、その拘りがあったんですよ!!!!
滅亡迅雷フォースライザー、レバーを強く引きすぎた時は動きが鈍くなるように調整されてる!?!?
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年11月2日
うーんすごいな、このブレーキ。 pic.twitter.com/m7KHtLY9SF
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年11月2日
確かにね、カッコつけて滅茶苦茶強くレバー引いたり押したりはしちゃうもんね!スクラッシュドライバーもスパナ部分が取れやすくなってた。他のおもちゃも色々工夫されてるんだろう。
— 光光太郎 (@bright_tarou) 2019年11月2日
開封後、興奮してカッコつけてフォースエグゼキューターを引いてみてもエクスパンドジャッキが展開しなくて「不良品か!?!?」と思いましたが、落ち着いてからやってみるとスムーズに動く。色々試すと、短時間で一気にフォースエグゼキューターを引こうとするとブレーキがかかる仕組みになっているようで。
これがケガ防止のためなのか、オモチャ自体が壊れるのを防ぐためなのかは分かりませんが、なんにせよ「安全に長く遊んでもらうための」工夫であることは確かなのではないでしょうか?
子供たちに夢を与えているのはTVのヒーローだけじゃない!技術屋さん、オモチャ屋さんもヒーローだ!!!
映画:IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 ~自分に立ち向かえ~
こんにちは。
光光太郎です。
ジャンルに入り込む決定的なきっかけは、なんにでもあるだろう。私の場合「ホラー映画」にあたるのは「イット」だ。
このジャケットに、いや、イットを演じるティム・カリーが怖すぎて惹かれたのをよく覚えている。小学生の頃、ブックオフでね。
音楽、編集、メイク、顔芸、全てが「怖さ」を産む最強のオープニングシーンにやられたものだ…大学生の頃だったか…。
さて、というわけで、遂に公開となった上記「イット」リメイク版の続編「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」。(クソ長いタイトルだな…)
これに万全の態勢で臨むためにも、前作の「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」の感想を(引用多めで)書いていくぜ~~~~!!!!!
「イット それが見えたら終わり」を観た。傑作ジュブナイル爆誕。
— 光光太郎 (@bright_tarou) November 4, 2017
ホラー描写は(極上の)お化け屋敷のノリだけど、それはこれが恐怖を主題にしたホラー映画ではないから。本作の主題は「成長」であり恐怖はそれを描く上での道具だ。キモは他者や自分自身に対する恐怖を見つめ立ち向かう物語にある。
あと、TV映画版と比べて第二次性徴要素がかなり強かった。明らかに「キャリー」オマージュなところも含めて。まぁ、男の子達にとっては、しゃあないっすわ!!!! pic.twitter.com/oLQDf77ZWP
— 光光太郎 (@bright_tarou) November 4, 2017
「イット」映像がいちいち凝りに凝られてたからまるで「美化された少年時代」っぽく見えたな。すんなりと大切な思い出として消化されていく感じ。
— 光光太郎 (@bright_tarou) November 6, 2017
そもそも原作小説はスティーブン・キングが手掛けた「IT」。キングと言えば映画になった小説が無茶苦茶多い作家である。シャイニング、キャリー、ペットセメタリー、ミザリー、マングラー、ミスト等、ホラー怪奇ばっかりのイメージがあるがジュブナイルものの名作「スタンド・バイ・ミー」も彼の作品だ。先に挙げた「キャリー」も青春要素が色濃いし「シャイニング」も子供が出てくる。「炎の少女チャーリー」なんてのもある。
キング作品は「恐怖×青春」という構図が多いのだろう。現在世界中で人気の怪奇ジュブナイルドラマ「ストレンジャー・シングス」もキングの影響下にあると言われているし、やはり「恐怖×青春」なのだ。
では青春における恐怖とは何なのか?それはトラウマであり、親であり、病気であり、後悔であり…子供たちが「他者とは共感しえないと思い込んでいる何か」ではないだろうか。
TV映画版からの素晴らしい変更点としてバスルームでの事件がある。半端じゃない量の血を出すことで同じキング原作の「キャリー」を意識させるし、第二次性徴への不安や恐怖のメタファーであることが分かりやすくなっている。スマートだ。
更に唸ったのは、その後にルーザーズクラブでその血まみれのバスルームを掃除するシーンをいれたこと。自分自身への不安や恐怖を見つめて友達と共に立ち向かうという、この映画の主題を示しきった超絶名シーンだと思う。
子供たちは視野が狭いし、地元に縛られ家に縛られ自由が無い。日々自分を悩ます「何か」に抗うことは難しい。だからこそ彼らはクラブを作り、一緒に行動し、恐怖に立ち向かっていく。上記のシーンはそれを端的に示しているだろう。
いじめっ子のリーダーも親からの圧力、それに負ける自分を紛らわす為に徒党を組んでいたのかもしれない。しかし彼は抗うのではなく、屈しているだけだった。
人にはそれぞれ怖いものがあるし理解もされないが、皆で協力すればそれに負けないことだって出来るんだ!という、非常に熱くシンプルなストーリーが、リメイク版「イット」の最大の魅力だ。
逆に言えば今作の恐怖要素、ペニーワイズは早々に「克服すべきもの」であることが分かる、つまり存在理由が付いてしまうので、あまり怖くない。いやビックリはするし超キモいけど、怖くはない。正直TV映画版の方が何倍も怖い。というか、ティム・カリーの顔が怖い。冒頭の動画観れば分かるだろ??
あ、でも序盤の「後ろでずっとデブを見つめてるピンボケババァ」は怖かった!黒沢清映画みたいでさ…。
あと今作の面白ポイントと言えば、引用されまくるポップ・カルチャーだ。音楽は分からないが、スーパーマンの話題が出たりする。
そーーーーいえば、「イット」で極厚眼鏡の子がやってたゲームって「ストリートファイター」の最初のやつだよね!2からの格闘ゲーじゃなくてベルトスクロール式の1!
— 光光太郎 (@bright_tarou) November 11, 2017
とにもかくにも、「恐怖を感じてしまう自分」に立ち向かう美しい青春ジュブナイル映画だったということだ!続編は169分あるらしいが、楽しみだ!
映画:続・男はつらいよ ~鬼畜人情物語~
こんにちは。
光光太郎です。
最近は「男はつらいよ」か「HiGH&LOW」しか観てません。てなわけで今回は「続・男はつらいよ」の話をば。
続・男はつらいよ、泣いちゃったよ…。良かったなぁ、寅さん。
— 光光太郎 (@bright_tarou) September 26, 2019
疑似的なお父さんを得て、実際のお母さんに幻滅するものの最後は…ってのも、オムニバスに見えて見事な連続エピソードになってる。というか男はつらいよシリーズはぬるいと先入観があったから、続の出来事はマジでビビった!なーめてーたー!
— 光光太郎 (@bright_tarou) September 28, 2019
前作「男はつらいよ」でも結婚や恋に関する見事な物語構成に唸ったが、今作では更に磨きがかかっていた。そう思うのは、寅さんを結構追い詰めるからだろうか。前作から三か月後公開とはとても思えない…。
前作では段々と寅さんへ感情移入させる作りだった。対して今回は「可哀そうな寅さん…」という気持ちにさせる導入で始まる。観客は早めに登場するマドンナと同じ、懐かしい友人の悪ガキっ子を見守る視点になるだろう。まぁその悪ガキ具合が、前回以上にハチャメチャではあるのだが(笑)。
まぁともかく、寅さんを見守る映画である、ということだ。
今回のテーマは、ズバリ「親子」だ。父に会い、母に会い、父と別れ、また母に会う。それだけの話なのだが、一切無駄なくドラマを積み、瞬間最大風速の「静かな感動」をぶちかますのだ。
前述した冒頭は、寅さんが母親の夢を見ることで始まる。今回の寅さんは「子」なのだ。そして疑似的な「父親」である先生と、生き別れになっていた産みの「母親」。
寅さんは先生によく懐く。何故なら理知的に自分を叱ってくれ、思ってくれる存在だからだ。しかし母親には絶望してしまった。せっかく会いに行ったのに、一言せめて「お母さん」と言いたかっただけなのに、残酷に追い返されてしまう。支えてくれる疑似親と、突き放してくる実親…えぐい対比だ。
(すっかり傷心の寅さんがとらやに帰ってきてからの「絶対『母親』って言葉を言うなよ!」から始まる怒涛のコメディシーンはベタながら最高!!)
しかし山田洋次は甘やかさない。
寅さんが慕った先生は、彼の心の父親は老衰で亡くなってしまう。しかも、マドンナに思い人がいることを知ってしまうのだ…。今回の寅さんはよく泣くが、窓辺に座りさくらと共に泣く姿が本当に辛い…悲しみに飲まれ、弱音を吐き、涙を流すしかない…。
しかし、山田洋次は人情の監督でもある。
ラスト、結婚旅行で関西に訪れたマドンナは、あの母親と口げんかしながらも共に歩く寅さんを、母親を「おかぁちゃん!」と呼ぶ寅さんを見る。傷ついた彼が助けを求めたのは母親であり、それを母親は受け止めた…。しかし、寅さんが再び元気に歩く姿を、先生が見ることは永遠に無いのだ…。
一切説明台詞を使わずにドラマを連想させる手腕が見事すぎて、少し泣きました。親子の愛が確実に存在することを示す感動的なラストだけでは終わらせずに、子の幸せを知ること無く去っていく親の哀しさ寂しさも添える様なバランス感覚こそが「男はつらいよ」シリーズを決して単純明快な話にさせないキーポイントなのかもしれない。
映画:男はつらいよ ~ナーメテーター~
こんにちは。
光光太郎です。
転勤引っ越し諸々あって精神が荒んでいたころ、これはほんわかゆるゆる人情モノでも観ないとあかんなと思った。そこで途中で終わっていた「男はつらいよ」をNetflixで鑑賞。しかし、全然「ほんわかゆるゆる」では無かった!!!とんでもなく面白く、ビターな映画だった。
「男はつらいよ」観た。
— 光光太郎 (@bright_tarou) September 25, 2019
久しぶりに会ったとんでもない兄貴、それでも慕って涙を流す倍賞千恵子が超綺麗。寅さんも最初はイライラしてたけど、結婚式のエピソードで男泣き。というか皆元気な!!!
「男はつらいよ」を思い返しているんだが、3本のお話のオムニバス形式に見えるが「結婚」という軸が1本通っているし寅さんの立ち位置も変化していくので、思い出せば思い出すほど隙の無い構成だったなとため息をついてしまう。
— 光光太郎 (@bright_tarou) September 28, 2019
最初「途中で終わった」と書いたが、以前観た時は寅さんのあまりのクズっぷりに参ってしまい、鑑賞を止めてしまったのだ。20年ぶりに会った妹の縁談をくだらないマシンガントークでぶち壊すし、何より彼は女を殴る。
ほんと耐えられなかったが、最後まで観てみると、このどうしようもないお調子男を、自分にはとても不器用な人間を、好きになっていた。
寅さんはとにかく感情の動きが激しい。よく笑いよく怒り、周囲の感情をどんどん引き出していく…渥美清の強烈な演技も相まってその様自体が楽しく面白い。
しかし、何より「共感」を誘うのは、寅さんは結局「道化」でしかないことだ。道化だからこそ人を動かし物語を動かすが、道化は道化として扱われてしまう。愛の無い縁談を壊しても、妹に愛のある結婚をさせても、マドンナを元気づけたとしても、彼自身が幸せをつかむことは無い。途中でどれだけ愛や恋について語ったとしても、自分がいざ向かうと、全く上手くいかないどころか、周囲からも「そういうものだから」と言われてしまう。でも、道化だったとしても傷つかないはずがないのだ。傷心に気付いた周囲は彼を止めようとするが、時すでに遅し。傷つく度に旅に出て、笑って傷を洗い流すしかない。監督山田洋次は、寅さんを甘やかさない。最後は爽やかだが、かなりビターなラストだと思う。
そんな寅さんを、20年ぶりに会い幼少期でもそんなに思い出が無い兄貴を慕う妹のさくら=倍賞千恵子がめっちゃ可愛く美しい。振り回されつつも、どうしても憎み切れず寅さんを思い涙する姿にこっちももらい泣き。今の待ち受けは倍賞千恵子です。
「男はつらいよ」は、心のある道化、寅さんを軸にして進む人情ものだ。人の心の機微をしっかりと、さりげなく捉えている。感情移入をコントロールするのが映画というメディアの特徴だと誰かが言ったが、なるほど確かに今作は恐ろしく完成度が高く無駄が無い「映画」である。人を殴るクソ野郎のラストの笑顔に泣かされるのだから…。