光光太郎の趣味部屋

Twitter感覚で趣味や心情、言いたいことをつらつらと。

オモチャ:子供たちを守るフォースエグゼキューター

こんにちは。

光光太郎です。

 

オモチャ、買ってますか?

このブログではあまり触れませんが、私は結構特撮ヒーローものが好きでして。そしてそのオモチャも好きで。中学生の頃は戦隊ロボをフリマや中古屋で買い集め、大学生になってからは仮面ライダーベルトに興じ、社会人になってからはもう歯止めが効きませんでしたね。

 ヒーローのオモチャ。ギミックやなりきり、造形の素晴らしさを愛でるのは勿論なのですが、実際触ってみて感動するのは「遊びのデザイン」や「安全に遊んでもらうための仕組み」なんですよね。

仮面ライダースーパー戦隊ウルトラマンのオモチャ達は3歳以上が対象なので、未就学児も遊びます。しかも基本的に戦う遊び=体を激しく動かす遊びになるので、安全であることが絶対条件でしょう。もし憧れのヒーローのオモチャでケガをしたり、させたりしてしまったら、子供たちの夢が壊れるだけでなく、彼らの人生において暗い影響を与えてしまうかもしれない…。

 

安全なオモチャで楽しく遊び、夢を育んでもらいたい…そんな思いをもって、様々な企業が工夫をしているわけですね。

www.bandai.co.jp

www.takaratomy.co.jp

 

つまり、安全への拘りというのは、子供たちへの思いの結晶であるんですよね。これを見つけた時、無性に嬉しくなるんです。絶対に取れない、じゃなくて、敢えて取れやすくしてる、とかもニッコリしてしまいます。

 

で、今日発売された「滅亡迅雷フォースライザー」にも、その拘りがあったんですよ!!!!

toy.bandai.co.jp

 

開封後、興奮してカッコつけてフォースエグゼキューターを引いてみてもエクスパンドジャッキが展開しなくて「不良品か!?!?」と思いましたが、落ち着いてからやってみるとスムーズに動く。色々試すと、短時間で一気にフォースエグゼキューターを引こうとするとブレーキがかかる仕組みになっているようで。

これがケガ防止のためなのか、オモチャ自体が壊れるのを防ぐためなのかは分かりませんが、なんにせよ「安全に長く遊んでもらうための」工夫であることは確かなのではないでしょうか?

 

子供たちに夢を与えているのはTVのヒーローだけじゃない!技術屋さん、オモチャ屋さんもヒーローだ!!!

映画:IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 ~自分に立ち向かえ~

こんにちは。

光光太郎です。

 

 ジャンルに入り込む決定的なきっかけは、なんにでもあるだろう。私の場合「ホラー映画」にあたるのは「イット」だ。

イット (字幕版)

このジャケットに、いや、イットを演じるティム・カリーが怖すぎて惹かれたのをよく覚えている。小学生の頃、ブックオフでね。

 

www.youtube.com

音楽、編集、メイク、顔芸、全てが「怖さ」を産む最強のオープニングシーンにやられたものだ…大学生の頃だったか…。

 

 

さて、というわけで、遂に公開となった上記「イット」リメイク版の続編IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」。(クソ長いタイトルだな…)

wwws.warnerbros.co.jp

 

これに万全の態勢で臨むためにも、前作の「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」の感想を(引用多めで)書いていくぜ~~~~!!!!!

 

 

 

そもそも原作小説はスティーブン・キングが手掛けた「IT」。キングと言えば映画になった小説が無茶苦茶多い作家である。シャイニング、キャリー、ペットセメタリー、ミザリーマングラー、ミスト等、ホラー怪奇ばっかりのイメージがあるがジュブナイルものの名作「スタンド・バイ・ミー」も彼の作品だ。先に挙げた「キャリー」も青春要素が色濃いし「シャイニング」も子供が出てくる。「炎の少女チャーリー」なんてのもある。

 

キング作品は「恐怖×青春」という構図が多いのだろう。現在世界中で人気の怪奇ジュブナイルドラマ「ストレンジャー・シングス」もキングの影響下にあると言われているし、やはり「恐怖×青春」なのだ。

 

では青春における恐怖とは何なのか?それはトラウマであり、親であり、病気であり、後悔であり…子供たちが「他者とは共感しえないと思い込んでいる何か」ではないだろうか。

 

 TV映画版からの素晴らしい変更点としてバスルームでの事件がある。半端じゃない量の血を出すことで同じキング原作の「キャリー」を意識させるし、第二次性徴への不安や恐怖のメタファーであることが分かりやすくなっている。スマートだ。
更に唸ったのは、その後にルーザーズクラブでその血まみれのバスルームを掃除するシーンをいれたこと。自分自身への不安や恐怖を見つめて友達と共に立ち向かうという、この映画の主題を示しきった超絶名シーンだと思う。

 

子供たちは視野が狭いし、地元に縛られ家に縛られ自由が無い。日々自分を悩ます「何か」に抗うことは難しい。だからこそ彼らはクラブを作り、一緒に行動し、恐怖に立ち向かっていく。上記のシーンはそれを端的に示しているだろう。

いじめっ子のリーダーも親からの圧力、それに負ける自分を紛らわす為に徒党を組んでいたのかもしれない。しかし彼は抗うのではなく、屈しているだけだった。

 

人にはそれぞれ怖いものがあるし理解もされないが、皆で協力すればそれに負けないことだって出来るんだ!という、非常に熱くシンプルなストーリーが、リメイク版「イット」の最大の魅力だ。

 

逆に言えば今作の恐怖要素、ペニーワイズは早々に「克服すべきもの」であることが分かる、つまり存在理由が付いてしまうので、あまり怖くない。いやビックリはするし超キモいけど、怖くはない。正直TV映画版の方が何倍も怖い。というか、ティム・カリーの顔が怖い。冒頭の動画観れば分かるだろ??

あ、でも序盤の「後ろでずっとデブを見つめてるピンボケババァ」は怖かった!黒沢清映画みたいでさ…。

 

 

あと今作の面白ポイントと言えば、引用されまくるポップ・カルチャーだ。音楽は分からないが、スーパーマンの話題が出たりする。

www.youtube.com

 

 

とにもかくにも、「恐怖を感じてしまう自分」に立ち向かう美しい青春ジュブナイル映画だったということだ!続編は169分あるらしいが、楽しみだ!

映画:続・男はつらいよ ~鬼畜人情物語~

こんにちは。

光光太郎です。

 

最近は「男はつらいよ」か「HiGH&LOW」しか観てません。てなわけで今回は「続・男はつらいよ」の話をば。

 

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www.cinemaclassics.jp

 

 前作「男はつらいよ」でも結婚や恋に関する見事な物語構成に唸ったが、今作では更に磨きがかかっていた。そう思うのは、寅さんを結構追い詰めるからだろうか。前作から三か月後公開とはとても思えない…。

 

前作では段々と寅さんへ感情移入させる作りだった。対して今回は「可哀そうな寅さん…」という気持ちにさせる導入で始まる。観客は早めに登場するマドンナと同じ、懐かしい友人の悪ガキっ子を見守る視点になるだろう。まぁその悪ガキ具合が、前回以上にハチャメチャではあるのだが(笑)。

まぁともかく、寅さんを見守る映画である、ということだ。

 

 

今回のテーマは、ズバリ「親子」だ。父に会い、母に会い、父と別れ、また母に会う。それだけの話なのだが、一切無駄なくドラマを積み、瞬間最大風速の「静かな感動」をぶちかますのだ。

 

前述した冒頭は、寅さんが母親の夢を見ることで始まる。今回の寅さんは「子」なのだ。そして疑似的な「父親」である先生と、生き別れになっていた産みの「母親」。

寅さんは先生によく懐く。何故なら理知的に自分を叱ってくれ、思ってくれる存在だからだ。しかし母親には絶望してしまった。せっかく会いに行ったのに、一言せめて「お母さん」と言いたかっただけなのに、残酷に追い返されてしまう。支えてくれる疑似親と、突き放してくる実親…えぐい対比だ。

(すっかり傷心の寅さんがとらやに帰ってきてからの「絶対『母親』って言葉を言うなよ!」から始まる怒涛のコメディシーンはベタながら最高!!)

 

しかし山田洋次は甘やかさない。

寅さんが慕った先生は、彼の心の父親は老衰で亡くなってしまう。しかも、マドンナに思い人がいることを知ってしまうのだ…。今回の寅さんはよく泣くが、窓辺に座りさくらと共に泣く姿が本当に辛い…悲しみに飲まれ、弱音を吐き、涙を流すしかない…。

 

しかし、山田洋次は人情の監督でもある。

ラスト、結婚旅行で関西に訪れたマドンナは、あの母親と口げんかしながらも共に歩く寅さんを、母親を「おかぁちゃん!」と呼ぶ寅さんを見る。傷ついた彼が助けを求めたのは母親であり、それを母親は受け止めた…。しかし、寅さんが再び元気に歩く姿を、先生が見ることは永遠に無いのだ…。

 

一切説明台詞を使わずにドラマを連想させる手腕が見事すぎて、少し泣きました。親子の愛が確実に存在することを示す感動的なラストだけでは終わらせずに、子の幸せを知ること無く去っていく親の哀しさ寂しさも添える様なバランス感覚こそが「男はつらいよ」シリーズを決して単純明快な話にさせないキーポイントなのかもしれない。

映画:男はつらいよ ~ナーメテーター~

こんにちは。

光光太郎です。

 

転勤引っ越し諸々あって精神が荒んでいたころ、これはほんわかゆるゆる人情モノでも観ないとあかんなと思った。そこで途中で終わっていた「男はつらいよ」をNetflixで鑑賞。しかし、全然「ほんわかゆるゆる」では無かった!!!とんでもなく面白く、ビターな映画だった。

 

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www.cinemaclassics.jp

 

 

最初「途中で終わった」と書いたが、以前観た時は寅さんのあまりのクズっぷりに参ってしまい、鑑賞を止めてしまったのだ。20年ぶりに会った妹の縁談をくだらないマシンガントークでぶち壊すし、何より彼は女を殴る。

ほんと耐えられなかったが、最後まで観てみると、このどうしようもないお調子男を、自分にはとても不器用な人間を、好きになっていた。

 

寅さんはとにかく感情の動きが激しい。よく笑いよく怒り、周囲の感情をどんどん引き出していく…渥美清の強烈な演技も相まってその様自体が楽しく面白い。

 

しかし、何より「共感」を誘うのは、寅さんは結局「道化」でしかないことだ。道化だからこそ人を動かし物語を動かすが、道化は道化として扱われてしまう。愛の無い縁談を壊しても、妹に愛のある結婚をさせても、マドンナを元気づけたとしても、彼自身が幸せをつかむことは無い。途中でどれだけ愛や恋について語ったとしても、自分がいざ向かうと、全く上手くいかないどころか、周囲からも「そういうものだから」と言われてしまう。でも、道化だったとしても傷つかないはずがないのだ。傷心に気付いた周囲は彼を止めようとするが、時すでに遅し。傷つく度に旅に出て、笑って傷を洗い流すしかない。監督山田洋次は、寅さんを甘やかさない。最後は爽やかだが、かなりビターなラストだと思う。

 

そんな寅さんを、20年ぶりに会い幼少期でもそんなに思い出が無い兄貴を慕う妹のさくら=倍賞千恵子がめっちゃ可愛く美しい。振り回されつつも、どうしても憎み切れず寅さんを思い涙する姿にこっちももらい泣き。今の待ち受けは倍賞千恵子です。

 

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男はつらいよ」は、心のある道化、寅さんを軸にして進む人情ものだ。人の心の機微をしっかりと、さりげなく捉えている。感情移入をコントロールするのが映画というメディアの特徴だと誰かが言ったが、なるほど確かに今作は恐ろしく完成度が高く無駄が無い「映画」である。人を殴るクソ野郎のラストの笑顔に泣かされるのだから…。

ゲーム:ファイアーエムブレム風花雪月 ~関係性萌えシステムを逆手に取った残酷戦記物~

こんにちは。

光光太郎です。

 

今回は最近ハマっているゲーム

 

ファイアーエムブレム風花雪月

 

について。ネタバレするが、ネタバレなんか問題ないパワフルさと現代性がある素晴らしいゲームだと思います。

 

ファイアーエムブレム 風花雪月 -Switch (『TCGファイアーエムブレム0』限定カード「士官学校の新任教師ベレト」 同梱)

www.nintendo.co.jp

 

 

■今作のあらすじ

あらすじを公式サイトから引用する。

士官学校の教師として担任する学級を選び、生徒たちを育て、導いていく第一部。

そして士官学校での日々から五年後、三国が相争う戦争を、三国それぞれの立場で描く第二部。

激動の時代を生きる若者たちの成長と共に、
フォドラ全土を巻き込む戦乱のきっかけから結末までを、二部構成の物語として描きます。

主人公は帝国(アドラーラッセ)、王国(ルーヴェンラッセ)、同盟(ヒルシュクラッセ)から選んだ勢力に加わり、生徒たちと共に教育や戦闘に身を置いていくことになる。

 

一部は言わばハリポタで、二部は戦記物。この二部構成こそが本作最大の特徴であり、最近のファイアーエムブレムを親しんできたファン達への痛烈な(嬉しい)カウンターパンチになっていたのだ!まぁそもそも私も「if」から入った新参者なのだが。

ファイアーエムブレムif 暗夜王国 - 3DS

初めて徹夜して遊んだゲーム。支援レベルを上げる作業のためにキャッスル戦をしまくった。多分マップ攻略よりもキャッスル戦の時間の方が長い。

 

支援会話システム=関係性萌え

ファイアーエムブレムを象徴するシステムの一つに「支援会話」がある。キャラクター同士の好感度を上げると特別な会話が見れるようになるのだが、この数が非常に多い。ヒルシュクラッセのキャラクター同士の支援会話だけで80種類ある。これが三勢力分あるので簡単計算で240種。しかも学級を超えての会話や先生たちとの会話もあるので、合計で何種類になることか…。

 

「if」をプレイした際にはとにかく支援会話を全部出したい一心だった。こいつとこいつが話したらどうなるだろう?一体どんな関係性を築くのだろうか?結婚させたらどんなプロポーズをするのか…。どの親を持ったら子供たちはどんな会話をするのか…。

そんな「関係性萌え」の沼に引きずりこまれたのはファイアーエムブレムからだろう。

 

ファイアーエムブレム Echoes もうひとりの英雄王 - 3DS

ファミコンのリメイク。結婚は出来ないが育成が面白い。支援会話はあんまり覚えていない。ナデナデは出来ない。

 

今回は学園モノ!という初報を聞いた時は正直失望していた。「関係性萌え」に振り切りギャルゲー要素を強めたゲームになるんだろうと思ったからだ。

しかし!そんな甘くは無かった!!「関係性萌え」を期待し支援上げに勤しんだプレイヤーを待っていたのは、フォドラ地方の闇に苦しむキャラクター達の姿だ。

 

支援会話=人生に触れる一部

プレイした方はフォドラが架空の場所だとは思えなくなっているのではないだろうか?

それほどまでに、大陸の歴史をガッツリと作り込んでいるのだ。多国間競争、宗教&神話、他地方との争い、民族差別、身分差別、才能の有無による家督争い…。きな臭い上に解決が難しい問題を全部ぶち込んだようなカオスであり、現実そのものだろう。

 

この現実を、仲間になる生徒たち一人一人が背負っていると分かるのが、今作の支援会話だ。

こんな話は序の口で、暗殺事件の報復によって滅亡させられた民族の生き残りとその

事件によって婚約者を殺された女性の支援会話があったり、よりよい家に嫁がせるため教育DVを受け続けたことを吐露する生徒がいたりと、しんどい話が山の様にある。萌えに漬かってきた身としては、非常に辛い…。

 

しかし、暗い話ばかりではないのも現実だ。辛い境遇の中でも支え合って、時には必要以上に触れず理解するだけで、またある時には趣味を共有して…もがいて前へ進もうとする姿を垣間見える支援会話もある。関係性萌えだけに終わらない、キャラクター達の人生そのものを体験できるのが、今作の支援会話なのだ。

 

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同盟側の支援会話で一番好きだったローレンツ君。最初こそ貴族の特権階級やプライドを振りかざすクソ野郎かと思ったが、実際は「自らが理想とする貴族」を実践しようとする気高い男だった。階級に囚われず相手の実力を認め徴用し、平民は命がけで守る。

 

また、選んだ学級以外の生徒とも支援会話を行うことは出来るし、条件を満たせば自分の学級へ迎えることも出来る。勿論会話だけでも全く問題ないので、どんどん仲良くなって支援会話を楽しんでもいいのだ。システム上は…。

 

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初回プレイでスカウトした2人。ごめんな…。

 

■戦争=殺し合いを痛感させる二部

第一部から五年後の第二部では三勢力が本格的な戦争状態に突入する。第一部の舞台だったガルグ=マク修道院も崩壊し、生徒たちも散り散りに。主人公は最初に選択した勢力と行動を共にし、フォドラの戦雲へ挑んでいく…。

 

ファイアーエムブレムは元々「死んだら生き返らない」システムが特徴。いくら愛着を持って育てていても、采配ミスで倒されてしまったら最後。二度と自軍に戻ることはない。最近のシリーズでは「倒されたら撤退扱い」にするカジュアルモードがあり非常に遊びやすくなっているが、緊張感が無いと言われがちだった。しかも制限付きで時間を巻き戻してやり直すことも可能と、最早なんでもあり。死は撤廃されたかに見えた。味方限定で。

 

前述したように戦争状態なので、自勢力以外とは戦うことになる。つまり、他学級にいた生徒達と戦場で殺し合いをする。平民から騎士になる夢を持っていたアッシュを、引き籠りだが可愛かったベル公を、おっとり年上おねぇさんのメルセデスを、努力家のアネットを、私は殺した…。同盟を救うために、殺した…。カジュアルモードだから撤退扱いになるなんてことはない。人生を語ってくれた子達の未来を永遠に奪ったのだ。

 

スカウトしていた上記の2人、帝国側のペトラと王国側のフェリクスは最初から同盟側について戦ってくれたが、それはつまり元々の勢力と殺し合いをさせることになる。第二部になって出撃数が減ったのは言うまでもない。だが、インターミッションで会話してみると、かつての仲間や主君への思い、無念を語ってくる。スカウトしない方が幸せだったのだろうか…。

聞くところによると第二部になっても条件次第でスカウトができるらしいが、私は全員皆殺しにしてしまった。一人も救うことは出来ず、人殺しと罵倒されながら二勢力を滅ぼした。

 

第一部で他学級の生徒達と会話をしまくっていたプレイヤーほど、関係性萌えをしゃぶりつくそうとしていたプレイヤーほど、このあまりに悲惨な翻りに戦慄したはず。戦争の悲劇を文字通り追体験させられたのは、このゲームが初めてだ…。

 

では同盟が負けるように戦えばよかったのか?そうも思えない。なぜなら同盟側にも譲れない正義があるからだ。そしてそれは帝国、王国も同じであろうことが、二週目プレイで分かってきた。三者三様の思想のもと、守るべきものの為に殺し合っている。避けようのない悲劇、逃げ道のない感情にもうお手上げだ。

 

 

■今、語られるべきゲーム(そして〆)

 

ファイアーエムブレム風花雪月は本当にしんどいゲームだ。

キャラクター達の背景は重いし展開も非情で甘えはない。現実世界の問題、差別や家族関係という身近な問題も支援会話で叩きつけてくる。

 

しかしだからこそ、支え合い困難に向かっていく物語に手に汗握ってしまう。まだ同盟側しかクリアしていないが、恐らく全勢力に通底するテーマは「抑圧を多様性で打ち破る」ことなのではないだろうか。同盟側が打ち破る抑圧は「鎖国的な体制=フォドラの歴史」であり、それを成すのはバラバラなルーツを持つ者達だ。

(多分帝国側では「人間を神々から解放する話」になる気がする。王国はまだ掴めず…。)

 

ナショナリズムからグローバリズムへ、価値観の刷新へ。戦略シミュレーションゲームという形式を最大限活かし、極めて現代的なテーマに挑んだゲームだろう。

 

というわけで王国側で絶賛二週目プレイ中です。時間が足りないぜ!

漫画:古見さんは、コミュ症です。 ~気遣いのヒーロー~

こんにちは。

光光太郎です。

 

今日はちょこっと漫画をご紹介。週刊少年サンデーで連載中の

 

古見さんは、コミュ症です。

 

です。最新14巻が発売中の人気コメディ?漫画。

古見さんは、コミュ症です。(1) (少年サンデーコミックス)

 今回書くことは大体1話を読めば分かることなのでWEBサンデーの試し読みをするのがおススメです。

sunday.tameshiyo.me

なぜ紹介するか?それは今作が「日常に根差した正義=優しさ」を絶妙なバランスで描いているからです。

 

 

■コミュニケーション漫画

今作のあらすじをWEBサンデーから引用すると…

古見さんは、コミュ症です。なので人付き合いがとても苦手です。でも友達が欲しい古見さん。人の気持ちを察するのが得意な只野くんが友達になり、その伝手で少しずつ友達がふえ、高校生活がだんだん楽しくなってきました。2年生になった沈黙の美少女・古見さんのコミュ症コメディー!!

主人公であるコミュ症こと古見硝子(こみ・しょうこ)が、テストも身体能力も全て平均値である只野仁人(ただの・ひとひと)と友達になったことをきっかけに、様々な人物と友達になっていこうと奮闘するお話です。*1

 

 

つまりこれはコミュニケーションについてのお話なんですよ。

古見さんは男女問わず振り向いてしまう程の超絶美人。無口で凛とすました雰囲気に皆やられてしまい「神」と敬われていたり。その為周りからは羨望の眼差しを向けられるものの、一歩距離を置かれています。しかし実際は、人前では緊張しすぎて喋れなくて、誰かと一緒にいたくとも話しかけることが出来なかった…ずっと孤独だったんですね。

周囲の人々は古見さんを嫌っている訳ではなく「凄い人だ」という先入観をもっているだけ。その先入観が、古見さんを傷つけることになってしまった。

 

古見さんは、コミュ症です。(2)【期間限定 無料お試し版】 (少年サンデーコミックス)

とある方法を取る以外は殆ど話せない古見さん。飲食店では凝視された店員が勝手に察してメニューを作ってくれることが殆ど!

 

これは別にコミュ症限定の話ではない。主観と客観の違いからくるコミュニケーションのズレという、普遍的で身近な話なんですよ。そしてそれは、誰もが悪くなくとも誰かを傷つけることもあると。

 

 

■ 日常の正義、身近なヒーロー

そんな彼女を救う、初めて友達になるのは「普通の人」である只野くん。

彼は何をしても普通で、中学時代に厨ニ病になるほどオーソドックスな人物だと言われる。クラスでもさほど目立っていない。普通の人なのだ。だからこそ彼は、普通に誰かを気遣うことが出来る。

ひょんなことをきっかけに古見さんがコミュ症であると知り、黒板で筆談を始める2人。古見さんから秘密を打ち明けられた彼は、謝罪して去ろうとする古見さんへ「言葉」を返す。

 

sunday.tameshiyo.me

 

 「はい」と答える古見さん。その後2人は黒板を埋め尽くすまで筆談=会話を続け、友達になります。只野くんは古見さんの「友達100人作り」を手伝っていくことになる…。

 

正直ね、泣きました。こんな見事な演出があるかと。

本音をさらけ出した不器用なコミュニケーションが、ささやかな願いが他者へ通じた瞬間。苦しんでいる人を助けようと一歩踏み出した(気の利いた)勇気。ヒロイックな行為は日常でも描けるんだとね…。そしてこれらを「普通の人」の象徴にやらせる意義。まぁ話が進むごとに「気遣い」が超能力レベルに達するんですが、これは「信じたい綺麗事」の寓話でもあるので、これでいいのだ!!

 

やたらと重い感じに書いてますが、実際読んでみると非常に軽快。只野くんと、そして2番目に友達になる長名なじみ(性別不詳)らと共に、一癖も二癖もある人物達と友達になっていく様子を、ギャグ8割感動2割という感じに構成しているので実にバランスがいい。構成の巧みさは特にコミックスで如実に分かるでしょう。

 

古見さんは、コミュ症です。(3)【期間限定 無料お試し版】 (少年サンデーコミックス)

kindleでは無料お試しもやってるぜ!

 

■極端さと多面性

コミュ症の古見さんが誰かと友達になるのは簡単なことではありません。あがり症な上理さん、ヤンデレな山井さん、厨ニ病な中々さん、おねぇさん気質な尾根峰さん、ギャルの万場木さん…そもそも誰もが個性を持っているのだからすんなりとコミュニケーションを取れるわけはないのです。時には個性が災いして事件を起こし心を傷つけることも。でも、だからと言って個性「だけ」が性格の人なんているわけもない。誰もが多面性を持っているからこそ、人付き合いは面白い。

 

面白い変化を遂げるのは、古見さんが好きすぎる山井恋(やまい・れん)。最初は行き過ぎた思い故に邪魔な只野くんを監禁するなどした彼女ですが、自分のイメージではなく現実の古見さんと向き合い話した結果、友達になりました。

その後もヤンデレ行為は尽きないものの(巻を追うごとに作者がエスカレートさせており、少年誌でやるのはギリギリな場面も…)段々と異なる面が見えてくる。意外と博識だったり自分磨きに余念が無かったり、それこそ古見さんが嫌がり傷つくようなことを控えるようにしたり。

この漫画はとにかくキャラクターが多いのでここまで細かく描かれるのは稀なんですが、そんな枠に山井さんを当ててるというのがいいなと思うわけで。まぁ難しい話は抜きにして、とにかく縦横無尽に動きまくる山井さんは見ていて本当に面白い。

 

古見さんは、コミュ症です。(10) (少年サンデーコミックス)

今注力されている万場木さんと友達になるのは10巻。

適切な気遣いという、現実の絶対正義。ヒーローを産むからこそヒーローである構図。泣く。

 

電子書籍向き?

 今作のコマ割りというかページ構成は非常に独特だ。

 

・1週の連載の中で複数の小話を入れる

・1ページ毎に何かしらオチが付く

・横長4コマで構成されたページが多い

・見開きを利用した演出はここぞという時だけ

 

ちょっと読んだだけでもこの4つの特徴が分かるだろう。スマホ電子書籍で読むことを意識しているのではないだろうか?WEB上でなく週刊誌で連載していることを考えると挑戦的だ。しかも1ページ毎表示の方がドラマチックになっている場面もある。

 

例えば1話のこのシーン。紙媒体だとこう見えるが

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スマホkindleで1ページ毎の表示だとこうなる。

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感じ方は人それぞれだとは思うが、私は1ページ毎表示の方が只野くんの表情や返し言葉が印象深く目に飛び込んできた。「漫画における筆談」という、静的かつジャンプカット的な表現だからこそなのかもしれないが。

 

こういったいページ表示の工夫を凝らした漫画だと、現在WEBで連載している「キン肉マン」や「働かないふたり」が挙げられるだろう。前者については作者が言及していたし、後者はそもそも縦読みである。

 

wpb.shueisha.co.jp

kuragebunch.com

 「働かないふたり」も「日常に根差した正義=優しさ」のお話だと思う。

 

■〆

どうやってもブログを短く終えることは出来ない性分なのか…!そろそろ〆です。

コミュニケーション漫画であることや気遣いの尊さ正しさについて書いてきましたが、そういう視点を抜きしてギャグ漫画ラブコメ漫画としても無類に面白いのだ!そしてとにかく美麗作画に酔える!

 

正直ギャグの構成は天丼気味だがあまりのテンションの高さ極端さに笑ってしまうし、古見さんの筆談は笑いも感動も生んでくれる漫画だからこそ出来る表現で最高だし、古見さんと只野くんの関係性も萌える(終わらない焦らし地獄)。

 

とにかく!kindleの試し読みかオダトモヒト先生のTwitterをフォローして美麗作画を一見して欲しい!是非!

 

twitter.com

*1:※因みに登場人物はほぼ全て「名は体を表す」になっています。コミュ症だから、こみしょうこ。みんなの幼馴染だからおさななじみ。この他にもよく考えたなと膝を打つ名前が目白押しで、お気に入りは米谷忠釈(こめたに・ちゅうしゃく)。なんにでも※付き注釈を挟んでしまうやつだ。

映画:魔人ドラキュラ ~原作イメージを塗り替えた紳士魔人~

こんにちは。

光光太郎です。

 

今回は最初期のモンスター映画であり「小説実写化作品」でもある

 

魔人ドラキュラ

 

の感想を書いていきたいと思います。公開は1931年!90年近く前!!

 

魔人ドラキュラ [Blu-ray]

 

 

■「魔人ドラキュラ」以前のドラキュラ

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ドラキュラと言えば十中八九こんな姿を思い浮かべるでしょう。

タキシードとマントを身にまといオールバックで凛々しく決めた紳士…その実態は生血を吸う吸血鬼だった…。姿形だけでなく「紳士」であることもすぐ連想できるのではないでしょうか。これはいつ出来上がったのか?

 

そもそもドラキュラとは小説です。1897年に執筆された「吸血鬼ドラキュラ」はヴラド三世の串刺し凶行をモデルにした怪奇小説。しかしこの段階ではビジュアルイメージはさほど確立されておらず、読者の想像に任せる形でした。ここら辺は「フランケンシュタイン」とも同じですね。

 

その後変身マジック等のギミックが詰まった舞台が数多く上映され、ここで黒マントにタキシードという姿が作られました。この間に「ノスフェラトゥ」というサイレント映画が作られるのですが、原作者に許可を取らずに作っていたのでお蔵入りに…。姿もドラキュラというよりも化物より。しかし影を有効に使った恐怖演出は後世まで影響を残していますね。

吸血鬼ノスフェラトゥ 《IVC BEST SELECTION》 [DVD]

 

 

ベラ・ルゴシが確立させた「ドラキュラ」

そして「魔人ドラキュラ」が作られる。ドラキュラ伯爵を演じるのはベラ・ルゴシ。彼こそがビジュアルにキャラクター性を付与させ決定的なドラキュラ像を確立させた。そのキャラクター性とは「異国のミステリアスな紳士」だ。

(因みにドラキュラはトランシルヴァニアからロンドンへと渡るが、結構距離があるのだ)

www.google.com

 

まず「異国」だが、ベラ・ルゴシハンガリー出身で訛りが強いため、劇中では結構独特な英語を話す。「アイアムドラキュラ」と自己紹介する時も「アイッアム、、、ドラッキュラァ」と、やけにタメて話す。人を呼ぶときは「ミスッッタァァ、、レンッフィィィールドゥッ」とタメにタメる。トーキー初期はハッキリと喋ったり独特なセリフ回しだったりする人が多いのだが、その中でも彼は群を抜いている。それでもコメディにならないのは、ベラ・ルゴシの美しい立ち姿の為だろう。

 

魔人ドラキュラ(AR Oリング仕様)(初回生産限定) [DVD]

 

続いて「ミステリアス」。謎の多いナルシストと言ってもいいかもしれない。

そもそも「魔人ドラキュラ」自体がドラキュラの謎、彼が起こしたであろう事件を解明していくという筋書きなので、自然と謎多き人物として描かれている。しかし彼は社交的であり、挨拶や会話は礼儀正しい。ただその中で、明らかに変なことを言ったりするのだ。「死よりも恐ろしいことが、世の中にはあるのですよ」とか「一度も死を知らない割には知恵者だな、ヴァンヘルシング博士?」とか、接すれば紳士なのにどこか変だと…。文言がカッコいいから自己陶酔なのかな?となる絶妙なバランスでもある。この「ミステリアス」な部分が、ドラキュラというモンスター最大の魅力かも知れない。

 

 

最後に「紳士」だが、これはもう前述した通りベラ・ルゴシの美しい立ち姿に由来する。更に言えば「指」と「目」の演技だ。立っている時に添える手は勿論のこと、女性の血を吸う際に力強く広げる指まで表現が込められている。端的に言えば目立つのだ。今作は白黒映画なので、黒装束だと肌が白く目立つ。エロティックに、目立つ。

そして「目」だ。キリリとした目、柔らかい態度の笑った目、そして人を操る時の鋭い目…ドラキュラ伯爵のアップが多いので猶更目立つ。軽薄さなど1mmも感じさせない貫禄ある目…特殊効果として白い光が当てられていると妖艶な光が宿る目…今作は「目」を楽しむ映画でもある。

 

以上の通り、ベラ・ルゴシは演技一発、もっと言えば立ち姿1つで「ドラキュラ」を体現してしまった。90年後の今まで続くイメージを確立させたのだ。更に言えば、彼は「フィクション・モンスター映画」を大ヒットさせた最初期の役者であり、ユニバーサルはこの後に「フランケンシュタイン」や「透明人間」「狼男」とモンスター映画を量産していく。これらの作品がどれほどの派生作品を誕生させただろうか?ベラ・ルゴシの功績は語りつくせないだろう。

ここら辺の話は以前ブログでも紹介したが、Blu-rayに詳細なメイキングがあるのでそちらを是非観て欲しい。

 

bright-tarou.hatenablog.com

 

因みに、ドラキュラと言えば「むき出しの歯」も有名だが、これは1958年に製作された「吸血鬼ドラキュラ」で初めて描かれている。演じるのは我らがクリストファー・リー

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■サイレント的なトーキー映画

ここからは内容面の話。

今作はトーキー、音が出る映画だが、実際観てみるとサイレント映画的な演出が印象深い。劇伴がほぼないのだ。

 

音楽らしい音楽はタイトルシーンで流れるチャイコフスキーの「白鳥の湖」位で、後は劇中のオーケストラが演奏するものしかない。つまり、殆ど環境音のみで、「夜の子供たちの声」のみで進むのだ。これは恐怖演出にもマッチしており、薄暗い部屋で美女に迫るドラキュラや闇で目を光らせるドラキュラのシーン等で大きな効果をもたらしている。全然音ならないのは正直ちょっと飽きるが、無音だからこその独特な雰囲気が味にもなっているだろう。

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■モンスター映画として魅力的か?

そもそもこの頃には「モンスター映画」や「ジャンル映画」という概念があまり確立していなかったのだからこういう目線で観るのはお門違いだろうが、どうしても「モンスター映画」として観てしまうわけで。

 

では今作は魅力的なモンスター映画なのか?それは否だと思う。原因は明確!弱すぎるオチだ!!!

ドラキュラは狡猾でありスキが無く、学も礼儀も嗜むキャラクターである。にも拘わらず、どう考えても追跡される状況でヒロインをアジトへと連れ込み、追われているのに棺桶に入って眠ってしまう!当然、追い付いたヴァンヘルシング博士に(寝息を立てているところに)杭を打たれて、そのまま死んでしまう!!アホか!!!!!!!!

 

血を吸うシーンを直接見せないのは、まぁいい。当時は検閲がきつかったと聞くし、眠る女性に迫る場面だけでもギリギリだったのかもしれない。

狼や蝙蝠への変身シーンを描かないのも、まぁいい。それをやると面白さというか、ギミック面が強くなりゴシックホラーの雰囲気が崩れかねない。(のちの作品では特撮使ってバンバンやってる)

これら2つが無くてもいいのは、ドラキュラというモンスターの根幹とは微妙にずれているからだ。奴の恐ろしさは前述した通り、紳士を装い人を襲う狡猾さにある。だからこそ、知恵者同士の戦いを見たかったのに…。アホか!!!!!!!!!!

 

では、今で言う所のモンスターはいないのか?それがいるのである。ドワイト・フライ演じるレンフィールドだ。最初期のサイコパス系キャラクターではないだろうか。

彼の狂人演技は圧巻の一言で、かなり極端な演技や台詞回しであるものの、完全に目が向こう側に行ってしまっているのだ。

 

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真ん中がレンフィールドである。一目で分かるこの狂人さ。演技により醸し出される恐ろしさだけでなく、狂わされてしまった者の悲哀もあるので、正にモンスターと言える存在だろう。彼の名演を観る為だけでも今作を鑑賞する価値はある。(狂人役がえらく受けたのか、今後もこういう役回りが多くなる)

 

■〆

さてそろそろ〆だ。

ドラキュラ周りばかり書いてきたが、ゴシックな魅力が詰まりに詰まった美術や衣装も本当に素晴らしい。特にドラキュラ城は最高だ。当時の鮮明でない映像だからこその、暗闇と美術とが混ざり合った映像は堪らない。特撮面で言うと、繋ぎ目が分からない見事なマット・ペインティング合成だろうか。

 

また今作は海外向けに、キャスト総入れ替え同セット撮影のスペイン語版があるのだが、そちらは迫力満点のカメラワークや鏡を叩き割るアクション、更に狂人さ(うるささ)が増したレンフィールドなど、こちらはこちらで見どころが多い。

 

文化史を知る教材の1つとしてBlu-rayを買ってみるのはいかが?1000円きるし。

 

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