光光太郎の趣味部屋

Twitter感覚で趣味や心情、言いたいことをつらつらと。

映画:夜は短し歩けよ乙女 ~怒涛のメタファー~

スマートフォン・ムービー・ウォッチの中でとんでもない傑作、オールタイムベスト級にあってしまった。

 

ネットフリックスという配信サービスではスマートフォンに映画やアニメなどをダウンロードし、いつでもどこでも観ることが出来る。映画館で観られるべく作られた映画をスマートフォンの様な小さい画面で観ることに抵抗が少なからずあったが、利便性と手軽さにぞっこんになり、遠出するときや会社の休み時間等にちょくちょく観るようになった。

 

今回感想を書くのは、GW帰省中、新幹線の中でスマホで途切れ途切れに観た

 

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である。これは凄い。ぶつ切りで字幕付きで観ても、ぶっ飛ばされてしまった。湯浅政明監督、天才。

 

kurokaminootome.com

 

とりあえず、まずは予告でアニメーションを観て欲しい。

www.youtube.com

 

 

さて、それでは雑感だ。

上の動画でも分かる様に、想像力とセンスに満ち溢れたアニメーションを見ているだけで楽しい。が、大学生の青春詰め詰めな物語がこの上なく面白い。メタファーどころではない直喩の数々に脳味噌は降伏。まいった。Twitterでの嫌われ者、星野源が主人公に声当ててるから心配したが、とにかく悲惨な目に会いまくるので全く無問題だった。最後には大好きになるし、彼でしか発せない言葉を出していた。

 

 

今作は黒髪の乙女にとっての一夜であり、様々な人々にとっての人生でもある。このズレは劇中で言及されるうえにご丁寧にアニメーションでも見せてくれる。そして、この特殊な構造こそが今作テーマのキモの一つであると思う。

今作の感想を観るたびに「一夜の物語」という文言を読んだが、どう観ても一夜の出来事じゃないだろと思っていた。しかし、年齢によって時間の感覚が違うってのを活かしてしっちゃかめっちゃかにしていたのだ。

若者にとっては時間の進みは遅く、年を取る毎に早くなるという感覚論を視覚化。大人達にとっては数日数年の時間が黒髪の乙女にとっては一夜でしかない。彼女にとっての一瞬は多くの人々を変え、人々の人生を乙女は柔軟に瞬時に吸収する。

 

だからどうしたって話だが、これを観た大学生、更に年下の子達は勇気付けられること間違いないだろう。私達の一秒には大人達の一か月、一年の価値があるのだ、と。これを上手く使えば何でもできる、夜の街に飛び出して大人たちの数十年分の人生に触れてみたい、と。

 

そして大人も若者への接し方が変わるんじゃないだろうか。これは、年齢の違うもの同士の理想的な付き合いなのかもしれない。

 

 

そう、付き合いだ。劇中で何度も言われるように、この映画は人と人との「縁」の映画だ。

最初の飲み歩きパートでは人脈が次々と広がっていくこと自体の楽しさ。乙女は色んな大人に出会い、酒を飲み、話していく。仲良くなり、一緒に次の店へ。大学生の時、学校内外の人と出会って一緒に何かをし、その後飲みに行って仲良くなることが無類に楽しかったが、正にその楽しさ、及び理想的な姿が凝縮された20数分間なのだ。

 

黒髪の乙女や天狗樋口、羽貫先輩達に代表されるような「理想的な大学生像」も、今作の大きな魅力だろう。気の利いた会話!含蓄に富んだ言葉!早口!脳内会話!てめぇ理論!!最高だ。

 

因みに星野源…先輩は「黒髪の乙女をじ~~~~っと見つめる眼球」として初登場する。あまりにもキモイ。その後下半身丸出しで町を歩くことになり、乙女に殴られる。男は下半身でしか動かないという言葉があるが、正にそのメタファーというか直喩にされてしまい悲惨すぎて涙も出ない。

 

 

古本市パートでは人と物と歴史の繋がりの楽しさ。あまりにもキモく、恐ろしい勉強家で、化け物じみたイメージセンスの持ち主が作っていることがよく分かるパートでもある。ここでの白眉は何と言っても古本市の神が講釈を垂れる場面だ。アルティメット・オタク・トークも楽しいのだが、作家達が時間と場所を超えて繋がりあっていること、つまり人と人との縁についてがっつりと話してくれる。

 

因みに星野源は股間にアイスクリームコーンを付けて登場する。興奮しているということだろうか。カッコいい見せ場がある分前よりマシだ。

 

 

学園祭ではズバリ恋愛の縁。これをミュージカル仕立てで見せる。

同監督の「夜明け告げるルーのうた」や「DEVILMAN crybaby」と比較して、今回の登場人物たちはファンタジックかつスーパーエネルギッシュだ。誰もが言葉を紡ぎまくり、自分を表現しまくる。イメージは世界を動かす。どう観てもフィクションなのに「理想のリアル」を感じてしまう。だからこそ、歌を歌ってるっていうよりも音楽に合わせて自分の気持ちを話してる風だったのが心にきた。彼らは胸の内で幾万回も思考反芻したからこそ、すぐに話せたのだろう。

 

まぁアニメの登場人物だからなんでも出来るのは当たり前なんだが、私もああいう風に、即座に気持ちを声に出せるよう常日頃から考えを巡らせたいなと思ったね。

 

星…先輩はこのパートで直接乙女に関わっていく。もうここまで来たら星野源ではなく、年下の乙女に惚れ、ストーカーまがいのことをしてでも彼女の目に止まろうとするエネルギッシュかつ後ろ向きな男だ。

 

 

そして最後にはこれまでの繋がりの総決算にして乙女と先輩二人というミニマムな縁に集約されていく風邪パートだ。酷い風邪を引いている人の近くには無茶苦茶強い風が吹いている。もはや直喩に脳が慣れてきた。

 

ここでは乙女が先輩について、今まで出会った人々から少しずつ話を聞き、知っていく。無邪気で常に興味のある所へ歩き続ける、風来坊の様な自分の前に現れ続けていた、あの先輩。この過程は観客とも重なる。今までは下半身丸出し(直喩)キモ大学生にしか見えなかった先輩の、そうであるが故の強さや純粋さを、同じく風邪になった登場人物達が語っていく。実写版「俺物語!」も、この視点の反転が素晴らしかった。今までの描写が全て乙女の気付きと先輩評価へと転換していき、二人の出会いと対話に最大のカタルシスが生まれるようになる。

 

 心を閉ざす先輩に、乙女は果敢に向かっていく。出会った人々との繋がりを武器に、次々と心の障壁を突破する。摩訶不思議というよりも狂気に満ちた世界で繰り広げられるチェイスは、先輩と乙女の空中ダイブで締めくくられる。

 

先輩の言う「僕にとってはいい景色だ!」というセリフ。彼は今までもずっとこの景色を見続けてきた。「僕はこれしか飛び方を知らない!」と彼は言う。待ち続けた彼の純愛は、彼の行動力によって結実したのである。

 

 

結局あの大冒険は一夜の夢だったのかもしれないが、確実に先輩と乙女の関係は変わった。先輩は一歩踏み出し、乙女は赤くなれた。白から赤になった。朝になった世界は夜と違い人がいない。ほぼほぼ、先輩と乙女しかいない。その世界の中で二人は過ごしていく…という場面で映画は終わる。

 

 

飲み歩きでは人脈の広がり。

古本では時間と場所を超えた人の繋がり。

学園祭では恋愛、運命の縁。

そして最後には先輩と黒髪の乙女の縁。

 

ミクロからマクロへ、そしてミクロへと集約していく美しい構成だ。トリップ映像すれすれのアニメーション表現も、最後には比較的リアルになる。一本の映画を観たな!という満足感が凄まじい。

 

 

さて、そろそろ結びに行きたい。

時間感覚=価値観の異なる人に出会うことはとても楽しい。更にその出会いが様々な事象、次なる人の縁へと繋がっていくことは無類に楽しい。人と出会い話すことで経験がインプットされていき、エネルギッシュなアウトプットへと昇華される。これは人生賛歌だ。

 

生きることは、酒を飲むことは、恋愛することは、こんなにも楽しいのだ!!!!!!!!!!!!!!!

 

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