映画:椿三十郎 ~エンタメとアンチテーゼ~
過去の名作を再上映する名企画、午前十時の映画祭に初めて行ってみた。観たのは黒澤明監督、三船敏郎主演の「椿三十郎」4Kデジタルリマスター版。今回初鑑賞だったが、とんでもない、非常にとんでもない傑作だった。96分。
エンタメ映画の決定版
今作のプロットは「如何にして要人を奪い返すか?」というシンプルなもの。作中舞台、経過時間、登場人物共にコンパクト。これを96分間ノンストップで、以下の4つのエンタメが突っ走る。
・流れ者ヒーローという型
・ロジカルな情報戦
・一瞬の殺陣アクション
・適度なギャグ
流れ者ヒーローという型
流れ者ヒーローはお手軽に楽しめる映画ジャンルだ。
- さすらいの強者が弱者を助けて去っていく、シンプルなストーリー
- 分かりやすい対立構造
- 戦い=ミッション消化
- 切なさを残す別れ
この4点がどれもこれも無理なく高水準でまとまっている。
物語は三船敏郎演じる「ヒーロー」椿三十郎(この時点では名無しの浪人)が「弱者」である9人の若侍達を助けるところから始まる。
余談だが、この若者たちが土屋嘉男、平田昭彦、久保明、太刀川寛といった東宝特撮映画オールスターキャストになっているのが面白い。若き日の田中邦衛もいるぞ!
今作は基本的に「若侍が危機に→椿三十郎が憎まれ口叩きつつ解決策をうつ→見事にハマる」の繰り返しで話が進むが、この気持ちよさを冒頭数分で示した後に数分感覚で反芻してくれるので、楽しみ方が非常に分かりやすい。顔つきからして情けない若侍達を、頭も刀も口も切れる椿三十郎が助けていく様は痛快だ。
言葉少ない最後の別れも上記の通り切なさを残すのだが、ここにエンタメへのアンチテーゼを盛り込んでいるのがキモでもある。詳しくは後述で。
ヒーロー椿三十郎に相対する悪役も魅力的。
カッコいいヒーローを引き立てるのは「姑息な悪漢」だ。自分は頭いいと思っている小悪党、大目付の菊井はその設定に似合わぬどっしりとした芝居を魅せてくれるが、終盤で「ダメだこりゃ」となる。志村喬達が演じる取り巻きの狼狽具合も堪らない。小動もしないヒーローとのいい対比として、観客を気持ちよくさせてくれる。
「強いライバルキャラ」も外せない。用心棒の室戸は椿三十郎に匹敵する頭脳と剣術、度胸の持ち主であるが、彼にないギラついた野心を持つ。実際に殺陣を披露する場面は少ないものの、表情と声とで只者ではないことが分かるのだ。この強敵を如何に騙すかがミッションであり、これを一つ一つこなしていくことになる。殺すのではなく騙すのがキモであり、ロジカルな気持ちよさが生まれるのだ。
流れ者ヒーローの型を作り西部劇にも多大な影響を与えた傑作「用心棒」は「椿三十郎」の前日譚的作品…らしいが繋がりは特にない
ストーリーと登場人物はシンプルにして、幾度も行われるミッション消化でカタルシスを産んでいく。このカタルシスには「ロジカルな情報戦」と「一瞬の殺陣アクション」の2つがある。
ロジカルな情報戦
今作は江戸時代を舞台にした時代劇であるが、高度な情報戦が繰り広げられるスパイ映画でもある。たった10人しか戦力がいないヒーロー側と、大人数の悪役側とで正面対決しても勝ち目がないので、確かな情報をもとに一瞬の電撃作戦を仕掛けることには道理も通っている。
また、悪役側は三十郎達の正体が分からないので「敵は大勢では?」といった憶測を立て策を練ってくる。戦力では劣るが情報に勝る三十郎側と、情報不足ながら圧倒的戦力と人質を持つ室戸側。
両者が情報を探り合い策を練るロジカルな面白さ、ハッタリ上等な策を実行する際のバレるかバレないかサスペンス……計算されつくした緊張感に気持ちよさが止まらない。
バレるかバレないかサスペンスで面白いのは「ローマの休日」だったりする。
一瞬の殺陣アクション
情報戦が静のエンタメだとしたら、こちらは動。三船敏郎の、力強いというよりは華麗な刀裁きには酔いしれるしかない。殺陣アクションをする場は少なく、時間も一瞬だが、だからこそ所作の一つ一つに見ほれることが出来る。
中盤の30人切りも最後の決戦も魅力的だが、最も美しくカッコいいのは3人の敵相手に不意打ちを仕掛ける場面。予備動作無しの抜刀からの斬撃、落ち着いた収刀までの一瞬だ。アクションとしてのアクションではなく、静かに殺すための動作。彼の人切としての暗い背景を覗かせ、アンチテーゼ展開への布石にもなっている。
適度なギャグ
今作は意外と笑える場面が多い。それも変にお道化るのではなく、間や仕草で笑わせる映画的ギャグだ。ちびるほどの緊張感の後に、真面目だからこそ可笑しい笑いをぶち込んでくる緩急の妙には脱帽するほかない。
何より、このギャグ要素にはドラマ的意味があったりするので全く無駄がない。このギャグがあるからこそ、終盤の物悲しい結末は単に悲劇的なものになっていないのだ。
「ヒーロー=人殺し」ジャンルへのアンチテーゼ
終盤、御城代を助け出した三十郎は室戸と一対一の決闘を行う。
居合切りによって噴出する大量の血。ここまでは刀で人を切っても血の一滴も出なかったのに、である。事ここにおいて「ヒーローが悪を切るエンタメ」をひっくり返す。リアルタイムで、何の予備知識もなくこれを観た時の衝撃は如何程のものか…。これまでジャンルムービーで享受してきた人切りの気持ちよさには、死が欠けていたことに気付かされたのだ。これまで散々粋がってきた若侍達も、マジモンの死にただただ戦慄するばかり。ジャンルムービーの気持ちよさに溺れる観客と、お題目の正義を振りかざし三十郎に頼りきっていた若侍達との衝撃がクロスする、正に映画的瞬間だ。
椿三十郎は、見ず知らずの若者を助けられる優しい男であるのに、容赦なく人を切れる人殺しでもある。死を背負ってしまった強者は、平和な世界では生きられないから、去るしかない。力を持つ者の末路、力を振るってしまった結果を目撃した若侍達は、今後どのようにして生きていくのだろうか。
「椿三十郎」は、子供が大人を通して現実に直面するドラマでもあるのだ。大人はただ、大人であるだけ……。
本当に強い人間とは?
ヒーロー、椿三十郎は頭も良く腕も立つ、強い男だった。しかしそれは室戸も同じ。強くはあるが、真っ当ではない。いくら人の為とはいえ、人切りは人切りだ。では真っ当に強い人間とは何のだろうか?そのヒントは、劇中で三十郎をして強者だと言わせた人々にある。
まずは御城代の妻。とんでもなくマイペースな彼女だが三十郎に対して真っ向から「人切りはいけない」と説き、三十郎をたじろかせたほぼ唯一の人物だ。
次に囚われた要人の御城代。一筋縄ではいかない狸であると劇中何度も言われるが、最も恐るべきはその懐の広さ。彼を捕らえ罪を被せようとした者達の生死を案じ「腹切りは止めさせ、せめて命だけは助けたかった…」と言う。
この2人に共通することは、死の重みを知っていること。人が死ぬとはどういうことかを物理的にも精神的にも社会的にも知っているのだろう。だからこそ、人切りを咎める。帯刀する侍だから、その妻だからこそ、だ。
一般人こそが強い、というのは同監督作の「七人の侍」でも、西部劇リメイクの「荒野の七人」でも描かれていることだが、一般人側の描写が多く、ヒーローを見届ける若者の視点が一貫されている今作では、よりそのテーマがはっきり打ち出されているだろう。
〆
恐らく、DVD等で観たらこれほど興奮しなかっただろう。4Kデジタルリマスターの映像と音、そしてスクリーンの迫力があったからこそ、ここまで楽しく、悲しく、胸をうつ名画だと思えた。7月6日からは同じく4Kデジタルリマスター版の「七人の侍」が始まるし、夏からは小津4Kも仙台にやってくる。
名画を楽しみまくる夏が、今、始まった!