光光太郎の趣味部屋

Twitter感覚で趣味や心情、言いたいことをつらつらと。

最近読んだ本:幼年期の終り

幼年期の終り

こんにちは。光光太郎です。

 

SF熱が高まり何かいい小説ないかと探したところ、目についたのがSF史上の傑作と名高い「幼年期の終り」(原題は「Childhood's End」読み終わるとなるほどとなる)だった。ところが読んでみると、確かに思考実験SFとしての面白さはあるのだが、読後感としては「泥臭く人間臭い物語」という印象が強かった。

こういう話、好き。

 

 

はじめに

幼年期の終り」はアーサー・C・クラークによって1952年に発表された小説である。

あらすじはこうだ…

地球上空に、突如として現れた巨大な宇宙船。オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人は姿を見せることなく人類を統治し、平和で理想的な社会をもたらした。彼らの真の目的とは何なのか?

これ以前にもH・G・ウェルズによる「宇宙戦争」を始め様々なSF小説が刊行されていたし、映画でも1951年「地球の静止する日」がある。異星体との邂逅も理知的な異星人との出会いにも先行作品があったわけだが、とてつもなくデカいUFOを出したのは「幼年期の終り」が最初だと言われている。「インデペンデンス・デイ」の都市をまるごと覆う巨大な宇宙船の元ネタなわけだ。

 

ビジュアルイメージ以外でも「人類の進化」というテーマや「宇宙人による人類の飼育」というアイデアは後続作品に絶大な影響を与えているらしい(Wikipedia情報)。アーサー・C・クラーク自身も後に非常に似た要素を持つ「2001年宇宙の旅」を手掛けている{これはスタンリー・キューブリックとの映画と小説合わせての共同製作だったらしい(日本で言うとデビルマンのアニメと漫画の関係性に近いか?違うか…)}。

特撮系でパッと思いつくのは「仮面ライダー鎧武」だろうか。

なんにせよ、高次の存在によって進化を促される人類というのはフィクションで誰もが一度は見ている構図だろう。

 

ネタバレ無し:思考実験の面白さ

もし宇宙人が現れたら人類はどうなるか?現実的な世界、等身大の人間たちが活きる社会に異物が紛れ込んだらどんなことになるか?アホらしい要素を真面目に思考実験した結果をリアルに描写されること自体が感動を呼ぶのは勿論のこと、物事を客観視する良い機会にもなるのだ。

今作の思考実験は、圧倒的な知性と技術力を持った存在が現れたら人類はどうなるか?また、その存在はどう人類と関わるのか?というもの。これが政治宗教文化娯楽全てにおいて徹底されている上に、文章表現が非常に知的かつユーモアに富んでいるのだ。正直言って本編の4割以上は思考実験の説明に充てられているのだが、苦も無く読み進められるのはその表現力の豊かさと絶妙なタイミングで挟み込まれる皮肉交じりのユーモアがあるおかげだろう。

とにかく「頭のいい奴」の最上表現を楽しめるのは間違いない。

GODZILLA 怪獣黙示録 (角川文庫)

思考実験として無類の面白さを誇る小説。ゴジラ知らなくても楽しいぞ!

WORLD WAR Z 上 (文春文庫)

もし世界各国にゾンビが現れたら…。

 

ネタバレ無し:侵略理由を読み解くミステリー

序盤から終盤にかけて人類側は常に「何故オーバーロードは地球へ来たのか?」という問いを抱いている。突如現れ地球へ様々な支援を行うこの異星の友は、一体何の目的があってこんなことをしているのか…100年に渡るこの物語を読んでいく中で読者もまたこの謎に困惑することになる。つまり今作はミステリーでもあり、オーバーロードが行うあまりにもまどろっこしい支配の手順や人類との交流等から彼らの目的を読み解いていく面白さもあるのだ。

まぁミステリーと言うには提示される情報が余りにも少ないのだが…それでも物語を読み作品内宇宙の事を考えれば、かなり序盤から謎のヒントが明示されているとも思う。オーバーロードの目的を考えるということはオーバーロード自体を考えることでもある…。

 

ネタバレ有り:オーバーロードとは

普段ネタバレはあまり気にしないが、今回は敢えて分けてみた。

非常に理知的で上品な物語だなと読み進めた「幼年期の終り」であったが、最後までいくと全く異なる印象になった。これは、オーバーロードであるカルレンが主人公の、種に対する絶対的な諦めと嫉妬、それに対する一筋の意地についての物語だったのだ!なんて泥臭く、人間臭い物語であろうか!

 

このドラマのキモは前述した構図、関係性にある。最初は次の図の様に、オーバーロードが人類を支配統治していた。

f:id:bright-tarou:20200314012955p:plain

 

しかし終盤になるとオーバーマインドという更なる上位存在が登場し、関係性がガラリと変わる。人類はオーバーマインドへと進化できる種族であり、オーバーロードは人類を育て「幼年期を終わらせる」存在だった。更に言えば彼らの進化は完全に止まっており、オーバーマインドの指令をこなすだけの種族になっていたのだ。

f:id:bright-tarou:20200314013648p:plain

幼年期であるものの進化の可能性がある人類と、 圧倒的な力を持つにも関わらず成長出来ないオーバーロード。最後カルレンは100年に渡り監視し続けた人類への嫉妬をスピーチにのせる…。我々で例えると、ミジンコを霊長類超えの超越者へと進化させるようなものだろうか?

 

この小説のテーマは「進化とは何か?」であると言われる。と同時に「やりたいことをやれる幸せ」や自己実現についてのお話でもあると思う。天文学者のジャンはほんの小さな手掛かりからオーバーロードの母星を突き止め、宇宙へのロマンに突き動かされて危険な旅を実行した。オーバーロードの出現によって宇宙開発がストップした世界で押さえつけられていた彼の夢は実現されたのだ。カルレンはさぞかし嫉妬しただろう。やりたいことを成し遂げたのだから。

 

オーバーマインドへと無理やり進化させられた人類は幸せだったろうか?宇宙規模でいえば、オーバーロード達からすれば幸福なことなのだろうが、人類視点でいえば生活を滅茶苦茶にされたわけだから幸せだとは断言できない。

カルレンは人類の遥か先を行く存在だが、オーバーマインドへ進化したいという欲求が果たされることはない。彼は夢を抱いてあがき続けることしか出来ない。彼もまた幸せとは言えない。

更に言えば、人類とオーバーロードの関係が逆転したように、オーバーマインドにもまた更なる上位存在がいるのかもしれない。彼らも次への進化を果たす為に、もしくは上位存在の支配から脱却するために同族を増やしているのかもしれない。

 

劇中で最も幸せそうなのは、満足感を得ているのはストルムグレンやジャンといった人間達だけだ。彼らの幸せや自己実現は劇中で語られる出来事の規模からすれば実にちっぽけなものだが、幸福感を得ているのは確かだ。

どれだけ高次の存在へ進化しようとも、やりたいことが出来ない状態は幸せなのだろうか…?自己への諦めに支配されて嫉妬に狂い見果てぬ夢にしがみつくカルレンよりも、欲しいオモチャ買えて本も読めて仕事にも程ほどの達成感を抱いている私の方が幸せなのかもしれない…。

 

最初読んだ時の印象からは全く予想できなかった、とても身近で人間臭い結末。

明日を生きるためのちょっとした考え方を得るにはもってこいの物語だった。あとやっぱ頭いい人同士の会話を読んだり聞いたりするのはそれだけで面白い。