光光太郎の趣味部屋

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映画:二十四の瞳

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ムービーオンやまがたで観賞。Huluで観てたけど劇場では勿論初めて。どうでもいいけど、ポテトが滅茶苦茶美味しかった。ハッシュドポテトをシューストリングスサイズにしたような食感とホクホクさ。毎回食べよう。



二十四の瞳には戦闘シーンはなく兵器すら映らないが、ドスンと心に杭を打つ戦争映画だ。子供たちが歌うのは童謡から軍歌へ変わり、教師は軍国教育を施し、生活苦の家庭は子供に自由を許せない。劇中20年経過するが小豆島の姿は変わらない、しかし子供たちの人生は決定的に変わってしまった。


昔観たときは大石先生が和服を着るようになったのは岬の人達に抑圧されてかと思ってたが、本校に行ってからも周りは洋服着てるのに彼女だけ和服を通す。子供たちがお見舞いに来てから、岬の人達にお見舞い貰ってから、大石先生は小豆島に寄り添うことを決めたんだろう。だからこそ和服を着るんだな。


大石先生は無力だ。子供たちの人生を救うことは出来ず、軍に志願する子を止めることも出来ない。立場上無理強いは出来ないから、自分の気持ちを言うことしか出来ない。しかし社会に気を使って嘘を吐くことだけは絶対にしない。子供たちの気持ちを受け止めて共感する、それがどれだけ救いだったことか。


戦争前後の時代、子供たちが勉強して成人する、たったそれだけのことがどれだけ幸運なことだったのか。しかし、今も無事に成長出来ると言えるだろうか?コロナの中で正反対なことばかり言われやらされる子達が無事に育っていくことを心から祈る……だけじゃなく行動しないといけないな。


生活目線の戦争映画を今観ると、コロナの社会と通じる場面ばかりが目につく。先生たちは満員電車の中で通う子供達をどう思っているんだろう。親は子供がオリンピック観戦に連れていかれるのをどう感じるのか。公務員という立場で先生は国の姿勢をどう生徒たちへ論じているのか…。


ロケ地である小豆島の話もしよう。冒頭から雄大な自然を歩いていく子供たちを映すシーンが入るが、もうこれだけでリッチな映画を観ているなと思わされる。山と海と民家と舗装されていない道、そこを歩き走る人々を遠景から撮るのもいい。このスケール感に浸れるのは映画館ならでは。


1年生を演じた子役達の可愛さはつらつさに思わず笑顔になるが、展開を知っていると冒頭から辛い。6年生に成長した彼らは当然別人が演じているんだがだれもが激似で本当に成長してるんじゃないかと錯覚してしまう。これは大人もしかりだ。そして子役達の演技もいい…。


子役達が可愛ければ可愛いほど、やはり、後半が辛い。勿論大人の犠牲者も出るが、この映画では子供たちの方がドンドン死んでいくように見える。戦争が終わっても………。いつの時代も選択肢を与えられない子達が犠牲になるんだ。死をとことんドライに描き湿っぽくしないのも、殊更にしんどさを増す。


大きな時代のうねり、国からの抑圧に対して一市民が出来ることは少ない(選挙は別)。しかしそれでも出来ることはあるはずだ。気持ちを一緒に受け止めること、嘘をつかないこと、意見を言うこと、前向きに生きること…後悔しないよう、胸はって生きれるように、やれることをやりたい。